第7話「悪役令嬢、沈黙の騎士に救われる」
「な……!?」
空中に投影された映像を見て、一条院蓮は言葉を失った。桜井ひかりが、見事なまでにわざとらしく転ぶ瞬間が、スローモーションのように再生される。誰が見ても、私が突き飛ばしたわけではないことは明らかだった。
ひかりは顔面蒼白になり、わなわなと震えている。
「そ、そんな……。うそ、です……」
か細い声で否定するが、動かぬ証拠を前にしては、あまりにも無力だった。
隼人は映像を止めると、静かに蓮の父親に向き直った。
「玲奈お嬢様にいかなる危害も及ばぬよう、常に記録しておりますので」
その淡々とした口調は、事実を述べているだけなのに、有無を言わせぬすごみがあった。この男、いつの間にこんなものまで仕込んでいたんだ。というか、常に記録って、私のプライバシーはどこへ。
まあ、今はそんなことを気にしている場合ではない。
蓮の父親は、厳しい顔でひかりを、そして息子を見つめた。
「……蓮。どういうことか、説明してもらおうか」
「父さん、これは……! 何かの間違いで……!」
「間違いだと? この女は、我々を、そして公条院家を、あざむこうとしたのだぞ!」
雷のような怒声が響き渡る。もはや、私と蓮の婚約関係の修復どころの話ではなくなっていた。
私の父も、ようやく状況を理解したらしい。安堵のため息をつくと、今度は怒りに満ちた表情で一条院親子をにらみつけた。
「一条院殿。これは、どういうことですかな? 我が娘が、このような茶番に巻き込まれたこと、納得のいく説明をしていただけるのでしょうな?」
立場は完全に逆転した。
ひかりは泣き崩れ、蓮は顔を真っ青にして立ち尽くすばかり。
私は、この予想外の展開を、ただ呆然と見つめていた。助かった。またしても、隼人によって、最大のピンチを救われたのだ。
私の背後に戻ってきた隼人は、いつもと変わらぬ無表情でそこに立っている。だが、私は知っている。彼の上質なスーツの下には、頼もしい筋肉と、そして私への絶対的な忠誠心が隠されていることを。
『私の、騎士……』
思わず、そんな言葉が心に浮かんだ。
会食は、当然ながら最悪の形でお開きとなった。一条院家は平謝りで、後日改めて、と何度も頭を下げていた。ひかりは、蓮の父親の秘書に連れられて、どこかへ姿を消した。彼女の未来が、決して明るいものではないことだけは確かだろう。
帰りの車の中、父は上機嫌だった。
「いやあ、玲奈。見事だったぞ! まさか、あそこまで証拠を揃えていたとはな。父さんも鼻が高いよ」
「ええ、まあ……」
私は曖昧に笑うしかない。手柄はすべて隼人のものなのだが、父は私が裏で糸を引いていたと信じて疑わない様子だ。もう、勘違いされることにも慣れてきた。
隣に座る隼人を見ると、彼はいつも通り、窓の外を静かに見つめていた。
「……隼人」
「はい、お嬢様」
「ありがとう。あなたがいなければ、どうなっていたことか」
心からの感謝を伝えると、彼はゆっくりとこちらを向いた。
「お嬢様をお守りするのは、私の使命です。感謝のお言葉には及びません」
「でも、言わせてちょうだい。本当に、ありがとう」
私がもう一度そう言うと、彼の黒い瞳が、ほんの少しだけ、優しく揺れたように見えた。
「……もったいないお言葉です」
それだけ言うと、彼はまた窓の外に視線を戻してしまった。
私は、そんな彼の横顔を見つめながら、胸の奥が温かくなるのを感じていた。
彼への信頼は、今や絶対的なものになっていた。彼さえいれば、どんな破滅フラグが立とうとも、乗り越えられる。そんな気さえしてくる。
しかし、私はまだ気づいていなかった。
彼の私への忠誠心が、そして愛情が、この一件を境に、常軌を逸した領域へと足を踏み入れていくことになるとは。
彼が私に向ける、あの熱のこもった視線の意味を。
その瞳の奥に潜む、深く、暗い執着の正体を、私はまだ、何も知らなかった。
車は、公条院家の壮大な屋敷の門をくぐっていく。
私の破滅回避の物語は、大きな転換点を迎えた。それは、ヒロインの没落の始まりであり、そして、モブだったはずの護衛との、歪で甘い関係の始まりでもあった。




