揺さぶり
ミラが戻ってこなかった。
約束の時間を、少し過ぎても。
さらに、もう少し待っても。
(……遅れる理由が、ここには多すぎる)
裏市場へ向かう路地の角で、俺は立ち尽くしていた。
風が冷たく、金属と血の匂いが混じる。
(嫌な予感って、当たるよな)
足を動かす。
来た道を戻る。
頭の中で、選択肢を並べる。
(探す。逃げる。切る)
どれも、正解になり得る。
どれも、後悔を残す。
曲がり角を一つ越えたところで、声が聞こえた。
「……で、どうする?」
低い男の声。
壁の影に身を潜め、覗く。
盗賊の一人。
その前に、ミラがいた。
(やっぱりか)
ミラは、殴られていない。
だが、逃げ道は塞がれている。
「お前、頭いいだろ」
「普通」
ミラの声は、平坦だ。
「なら分かるよな。
あのガキ、足手まといだ」
(……来た)
「置いてけ。
お前だけなら、話は早い」
盗賊は、笑っている。
獲物を選ぶ顔だ。
(ここで“頷く”のが、最適解に見える)
俺の足が、止まる。
(助けに入れば、殴られる。
逃げれば、生き延びる)
前世の記憶が、ちらつく。
責任を押し付けられ、切り捨てられた日々。
(同じこと、するか?)
盗賊が、ミラに一歩近づく。
「返事は?」
ミラは、少しだけ視線を逸らした。
俺の隠れている方向へ
(気づいてるな)
「条件がある」
ミラが言った。
「ほう?」
「あの子を切るなら、今すぐ。
後腐れなく」
(……は?)
盗賊が笑う。
「いいねぇ。合理的だ」
俺の胸が、きしむ。
(ミラ……それ本気か?)
次の瞬間。
「でも、それはしない」
ミラは、はっきり言った。
「この子は、まだ伸びる」
盗賊の笑顔が、消えた。
「感情か?」
「計算」
(ミラ……!)
空気が張りつめる。
盗賊の手が、腰の短剣にかかる。
(ここまでか)
俺は、影から出た。
「その通りだ」
二人の視線が、俺に集まる。
(最悪のタイミングだが、最善でもある)
「俺は、伸びる。
だから今、切るのは損だ」
盗賊は、俺を見下ろす。
「自分で言うか」
「言う」
(営業は自分でやる主義です)
沈黙。
盗賊は、舌打ちした。
「……チッ。
今日は見逃す」
(今日は、か)
「だが次は、結果を見せろ」
そう言い残し、男は去った。
足音が消える。
しばらく、誰も動かなかった。
ミラが、先に口を開く。
「……見てた?」
「最初から」
「逃げなかった」
「逃げる理由が、減った」
(増えてるとも言う)
ミラは、少しだけ息を吐いた。
「私を切る選択も、あった」
「当然」
「それでも、来た」
(言葉にすると、重いな)
「三日契約は?」
俺が聞く。
ミラは、少し考え
「延長」
(よし)
路地裏を並んで歩く。
距離は、ほんの少しだけ縮まっていた。
(信頼ってやつは、高い)
だが、今日払った代償は、悪くない。
俺は知った。
ミラは、切り捨てる判断ができる。
それでも、切らなかった。
それだけで、十分だった。




