紙を殺す方法
紙は、殺せない。
燃やせば証拠になる。
破れば、別の紙が出てくる。
奪っても、控えが残る。
だから紙は強い。
人より長生きで、
人より嘘をつかない顔をしている。
少なくとも、そう思われている。
ミラは、帳簿室の端で椅子に腰掛けていた。
机の上には、三種類の紙。
処理書。
控え。
照合用の一覧。
どれも正しい。
どれも嘘だ。
(殺すなら……壊すんじゃない)
(通らなくする)
ミラはペンを持ち、紙の余白をじっと見つめる。
書類は、確定を好む。
曖昧を嫌う。
決まらない状態を、何よりも恐れる。
だから
未確定が混じると、止まる。
「……ここね」
ミラは、小さく呟いた。
処理書の理由欄。
そこに並ぶ便利な言葉。
前例。
迅速。
再確認不要。
その下に、
ほんの一行、書き足す。
同一条件の確認、未了。
それだけだ。
否定もしない。
反論もしない。
事故だとも、事故じゃないとも書かない。
ただ、決まっていないと示す。
ミラは、次の紙を取る。
控え。
同じ場所に、同じ文言。
照合用一覧にも、同様に。
(これで、揃った)
紙は、揃うことで進む。
揃わなければ、止まる。
ほんの一箇所でも、
未確定が混じれば、
処理は次へ回らない。
「……静かすぎる」
隣の机で作業していた男が、顔を上げる。
「何か?」
「いいえ」
ミラは、笑わなかった。
ここで笑うと、
余計な理由が生まれる。
ペンを置き、
紙を揃えて戻す。
それだけ。
声を荒げない。
正義を叫ばない。
責任を押し付けない。
ただ、確定を奪う。
それが、紙を殺す方法だった。
数刻後。
帳簿室に、ざわめきが走る。
「これ、止まってるぞ」
「理由は?」
「……未確認事項あり、だと」
「誰が書いた」
「分からん」
分からない、が正解だ。
ミラの名前は、どこにもない。
紙の上では、
彼女は存在しない。
(これで一件)
(でも、代償は来る)
止めたのは、一件だけ。
その分、別の場所で詰まる。
誰かが困る。
誰かが待たされる。
それでも
事故として流されるよりは、ましだ。
夜。
ミラは、路地の影で主人公と落ち合った。
「どうだった」
「一件、止めた」
「一件か」
「一件が限界」
ミラは正直に言う。
「これ以上やると、
“誰か”が気づく」
「もう気づいてるだろ」
「うん」
ミラは、視線を落とす。
「だから、これは切り札。
何度もは使えない」
主人公は、短く頷いた。
「十分だ」
「十分?」
「止まるって前例ができた」
その言葉に、ミラは少しだけ目を見開く。
(……ああ)
そういう使い方。
前例を増やすためじゃない。
前例を壊すための前例。
「でも……」
ミラは続ける。
「これ、嫌われる」
「知ってる」
「静かに」
「一番、厄介だな」
二人の間に、短い沈黙。
遠くで、鐘が鳴る。
いつもと同じ音。
だが今日は、少し違って聞こえた。
「紙は、まだ生きてる」
ミラが言う。
「でも、無敵じゃない」
主人公は、夜の向こうを見つめた。
「次は、事故が事故じゃなくなる番だ」
それが、
この戦いの次の段階。
ミラは、ゆっくりと息を吐いた。
(……やっぱり、この人)
(切るところが、違う)
人じゃない。
紙でもない。
前提を、切っている。
それが分かって、
少しだけ、安心してしまった自分に気づきながら。
ミラは、影の中で立っていた。




