切る前提
書類は、もう揃っていた。
机の上に並べると、数は少ない。
だが中身は、どれも同じ匂いがする。
事故。
前例。
再確認不要。
(……切る前提だな)
俺は紙束を揃え直し、端を指で叩いた。
音は軽い。
中身の重さに反して。
扉の向こうで、足音が止まる。
ノックはない。
そのまま、ミラが入ってきた。
「まだ動いてない?」
「まだだ」
嘘ではない。
だが、待っている理由もない。
ミラは机の上の紙を見て、眉を寄せた。
「……これ、もう切るって決まってる?」
静かな声。
確認の形をした問い。
「書類上はな」
「現場は?」
「昨日のままだ」
ミラは紙に手を伸ばさず、視線だけを動かす。
「じゃあ、切る理由は?」
「前例」
答えると、彼女は小さく息を吐いた。
「それ、理由じゃない」
「知ってる」
短い沈黙。
ミラが一歩、近づく。
「順番が逆」
「分かってる」
「分かってるなら、待てるでしょ」
待てる。
確かに、待てる。
だが
「待ってる間にも、通る」
俺は紙を一枚、指で弾いた。
「これも、これも。
止めなきゃ、増える」
ミラは唇を噛む。
「だからって、切るの?」
「切る前提だ」
言い切ると、空気が少しだけ張る。
「……流れを?」
「流れごと」
ミラは視線を落とし、考える。
帳簿のこと。
現場のこと。
噂のこと。
「切ったら、反発が来る」
「かもな」
「商会も、裏も、黙らない」
「黙らせる気はない」
ミラが顔を上げる。
「じゃあ、何がしたいの」
俺は一瞬、言葉を探した。
(何がしたい)
正義でも、救済でもない。
「……切らせない」
そう答えると、ミラは目を細めた。
「切らせないために、切る」
「矛盾してる」
「仕組みが、もう矛盾してる」
ミラは、紙の端を見つめたまま言う。
「証拠を積めば、通る」
「通る前に、終わる」
「終わらせないために、慎重に」
「慎重にやって、間に合った試しがない」
言ってから、少しだけ声が強くなったことに気づく。
ミラも、それに気づいた。
沈黙。
外から、馬車の音が聞こえる。
普通の音。
普通の街。
「……もう動く気?」
ミラが言う。
「止めるなら、今しかない」
「止める方法が、切るだけ?」
「今のところは」
ミラは、深く息を吸った。
「私は、まだ書ける」
「書類?」
「曖昧さを入れられる。
再確認を戻せる。
一件なら、止められる」
「一件だけだ」
「それでいい」
「俺は、全体を切る」
ミラの視線が、真っ直ぐこちらを見る。
「……合わないね」
「ああ」
否定しない。
だが、背を向ける気もない。
「だから、分かれる?」
ミラの問いは、静かだった。
「いや」
俺は首を振る。
「同じ案件だ」
「同じ目的?」
「同じだ」
「方法が違うだけ」
「それは、いつものことだ」
ミラは、少しだけ苦笑した。
「先に動くの?」
「止めるなら、先にだ」
ミラは一歩下がる。
「私は、追う」
「分かってる」
追ってくれるから、動ける。
それを、言葉にしなくても分かっている。
ミラは扉の前で立ち止まり、振り返った。
「切るなら……」
一瞬、間を置く。
「切りすぎないで」
それだけ言って、出ていった。
扉が閉まる。
静かになる。
俺は紙束を掴み、立ち上がった。
(切る前提、か)
もう、戻れない。
だが、
切らない前提で待つよりは、マシだ。
俺は、最初の一枚を裏返した。
ここからは、
流れを相手にする。
人じゃない。
噂でもない。
前提そのものを、切る。




