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生まれ変わってもスラムでした  作者: 灰原ノア
無所属編

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真似された刃

 路地に足を踏み入れた瞬間、鼻の奥がひりついた。


 血の匂いだ。

 鉄臭さだけじゃない。湿った土と、腐りかけの生ゴミ、油の焦げた匂いが絡みついて、甘ったるく変質している。


(……ああ、これは時間が経ってる)


 新しくない。

 切ってから、迷って、放置して、そのまま死んだ、そんな匂いだった。


 奥に進むと、人が一人、倒れている。

 仰向け。目は半開き。白目が少し濁っている。


 喉は切られていない。

 腹も裂かれていない。


 それなのに、死んでいる。


(切り損ねだな)


 思った瞬間、自分の頭の中に浮かんだ言葉に、ほんの一拍遅れて嫌悪が湧いた。


(……切り損ね、って言葉が先に出るのかよ)


 死体を見て、可哀想だとか、運が悪かったとか、そういう感想はもう出てこない。

 先に来るのは、出来の評価だ。


 俺はしゃがみ込み、血溜まりの縁を見る。

 輪郭が歪んでいる。

 刃を入れた角度が一定じゃない。途中で手首が逃げている。


(躊躇したな。しかも、一回じゃない)


 切るなら、迷うな。

 迷うなら、最初から切るな。


 それが俺のやり方だ。


 なのに、この現場は

 それを“分かったつもり”の誰かが、形だけなぞった痕跡で満ちている。


(……真似されたか)


 嫌な予感は、当たるときほど静かに確信へ変わる。


 死体の胸元。

 布が中途半端に裂かれ、その下の皮膚が赤黒く変色している。

 致命傷には足りない。だが、放置すれば死ぬ。


 つまり、殺す覚悟が足りなかった。


(やるなら、最後までやれよ)


 内心で吐き捨ててから、すぐに気づく。


(……違うな)


(やるな、だ)


 背後で、靴底が小石を踏む音。


「……終わってる?」


 振り向かなくても分かる。

 見張り役だ。声に緊張はあるが、恐怖は薄い。慣れている。


「終わってる」


 俺の声は、自分で思っている以上に平坦だった。


「仕事、これで完了?」


「いや」


 即答だった。


「これは失敗だ」


 空気が、少しだけ重くなる。


「失敗? でも、口は封じてる。依頼主も」


「条件は満たしてる」


 途中で遮る。


「でも、切らなくていいところまで切ってる」


 男が口を閉じた。

 分からない、という顔だ。

 数字の合わない帳簿を前にした商人と同じ表情。


(ああ、そうだよな)


(“死んだ”って結果だけ見れば、成功だ)


 だが、俺は結果だけで切らない。


 必要な線だけを引く。

 余計な線は、後で必ず歪みになる。


 俺は立ち上がり、死体を見下ろす。


 手は半開きだった。

 何かを掴もうとした形。


(助けか? 言い訳か? それとも……ただの反射か)


 どれでも同じだ。

 ここには、もう答えは残っていない。


「……あんたがやったんじゃないよな?」


 探るような声。


 俺は少し考えてから、首を横に振った。


「俺じゃない」


 事実だ。

 手も出していない。

 指示もしていない。


 なのに


(俺の刃だ)


 切り口が、そう主張している。


 俺の噂。

 俺のやり方。

 俺の“結果”。


 それを都合よく借りて、誰かが振った。


「報告、どうする?」


 男の声が低くなる。

 厄介事に触れたときの声だ。


「失敗として上げろ」


「誰の?」


 一瞬だけ、言葉に詰まる。


(……誰の失敗だ?)


 俺か?

 真似した奴か?

 それとも、このやり方を便利に扱った連中か?


「現場判断のミスだ」


 そう答えた。


 嘘ではない。

 だが、全部でもない。


 男は小さく頷き、踵を返した。

 足音が遠ざかる。


 路地に残ったのは、死体と、血の匂いと、俺。


 風が吹き、紙屑が転がる。

 血に触れ、赤く染まる。


(真似された刃は、必ず鈍る)


 覚悟のない手で振れば、必ず余計なものを切る。

 その余計が、連鎖を生む。


 噂は、もう俺の手を離れている。


(このままだと、もっと死ぬ)


 しかも、俺がやっていないことで。


 路地を出る前、もう一度だけ振り返る。


 死体は何も言わない。

 当然だ。


「……俺は判断役じゃない」


 誰に向けたでもなく、呟く。


「切るやつだ」


 だからこそ。

 この刃が勝手に振るわれるのは


(我慢ならない)


 それだけは、はっきりしていた。


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