拾われる価値
夜の裏道は、王都の匂いがしない。
石畳は磨かれておらず、湿った土と油の臭いが混じっている。
鼻の奥に引っかかるのは、古い鉄と、捨てられた革の匂いだ。
(……ここ、地図にないな)
いや、正確には“載せない”場所だ。
商会の地図にも、衛兵の巡回表にも。
足音を殺して歩く。
靴底に伝わる感触が、均一じゃない。
補修された石、割れたままの石、わざと外された石。
(歓迎はされてない。でも、追い返す気もない)
つまり、見られている。
そう思った瞬間、声が落ちてきた。
「立ち止まる必要はない」
上でも後ろでもない。横だ。
反射的に肩が強張る。
「右から三歩。灯りの切れ目だ」
(……案内役か。いや、“誘導”だな)
言われた通りに歩く。
灯りが消えた瞬間、視界が一段落ちる。
暗さではなく、情報量が減った感覚。
そこに、人がいた。
外套は地味。
顔は影の中。
年齢も性別も分からない。
ただ
手に持っている紙束だけが、やけに白い。
(帳簿……じゃない。白紙だ)
「名前は?」
来た、と思った瞬間。
「聞かない」
即座に訂正される。
「君の、ではない。
“仕事”の名前だ」
(……)
喉が乾いているのに、唾が出ない。
「運ぶ。壊さない。見ない」
「それで?」
「戻らない」
(……帰り道、なし)
短い。
説明がない。
報酬も、期限も、危険度も。
(これ、交渉じゃないな)
「断れるか?」
沈黙。
相手は首も傾けない。
ただ、白紙を一枚、風に晒す。
「断れる。ただし」
紙がひらりと揺れる。
「次は、ない」
(ああ、これだ)
胸の奥が、妙に冷える。
商会は数字を見せた。
スラムは噂を見せた。
ここは違う。
(“機会”だけ置いていく場所だ)
成功すれば、次がある。
失敗すれば、終わり。
生きていようが、死んでいようが関係ない。
(安い命だな。……でも)
俺は、ゆっくり息を吸った。
油と土の混じった空気が肺に入る。
(今さら、何を失う)
「受ける」
声は、思ったより低く出た。
相手は頷かない。
ただ、白紙を畳む。
「条件は満たされた」
「条件?」
「“選んだ”ことだ」
(……は?
それ、条件だったのか)
外套の奥から、小さな包みが差し出される。
重さは、軽い。
「中身は?」
「見ない」
(徹底してるな)
「終わったら?」
「置いてくればいい」
「どこに?」
少しだけ、間があった。
「君が、戻らない場所だ」
(……ああ)
理解してしまった。
これは仕事じゃない。
確認だ。
俺がもう、どこにも属していないかどうか。
包みを受け取る。
指先に、冷たい感触。
顔を上げた時、
そこに人影はなかった。
風だけが通り抜け、
白い紙切れが一枚、足元に落ちていた。
何も書かれていない。
(帳簿に載らない価値、か)
俺はそれを拾わず、
暗がりの奥へ歩き出した。
試されているのは、腕じゃない。
消え方だ。




