幕間 ミラの理解
帳簿を閉じる音は、いつもより軽かった。
その日は、裏市場からの報告が一枚だけ混じっていた。
正式な報告書ではない。
噂話に毛が生えた程度の、走り書きだ。
「最近、商会絡みの人間がうろついたらしい」
「スラムが警戒している」
それだけ。
名前は出ていない。
だが、ミラには分かった。
(……戻ったんだ)
いや、正確には
戻ろうとした。
彼が選ぶ場所は、いつも決まっている。
一番、面倒をかけたくない場所だ。
(だから、スラム)
噂は、すでに完成しているはずだった。
商会の犬。
仲間を切った帳簿係。
死んだか、生きているか分からない男。
(戻れるわけ、ない)
ミラは、紙の端を指で押さえた。
力を入れすぎると、折れてしまう。
(行けば、居場所を壊す)
彼も、それが分かっている。
だから戻らない。
いや。
戻れないと、理解した。
ミラは、帳簿の山から一冊を抜き取った。
対象番号二七―四。
開かずに、元の場所へ戻す。
(今は、数字のままでいい)
人として扱えば、
商会は動く。
スラムとして扱えば、
彼は消される。
ミラは、視線を窓の外へ向けた。
遠く、王都の外縁が霞んでいる。
(……生きてるなら)
続きの言葉は、考えなかった。
帳簿は、静かに棚に戻される。
そして彼女は、次の数字を見た。
それが、
彼女にできる唯一の選択だった。




