死体のいない帳簿
商会本部の奥、採光の悪い部屋では、昼でも灯りが落とされている。
明るさは必要ない。
必要なのは、数字だけだ。
帳簿をめくる音が、一定の間隔で続いていた。
「……ここだ」
合理派の一人が、指を止める。
机の中央に置かれた帳簿には、細かい文字と線がびっしりと並んでいる。
「対象番号、二七―四。処理済み案件」
声は低く、抑揚がない。
事実を読み上げているだけだ。
「死亡推定、回収不要、後続対応なし」
別の男が頷いた。
「問題は?」
「……数字が合いません」
そう言って、彼は別の帳簿を引き寄せた。
物流記録。
現地消費、物資損耗、周辺支出。
「爆発に伴う消費量が、想定より少ない」
「誤差の範囲では?」
「通常なら、そう処理します」
一拍、間が空く。
「ですが、“何もない”のが不自然です」
沈黙が落ちた。
合理派は、問題が起きたときではなく、
問題が起きていないように見えるときに立ち止まる。
「回収班が動いていないからだろう」
「ええ。ただし……」
男は、紙の端を軽く叩いた。
「痕跡が、少なすぎる」
「死体が見つからない案件は、珍しくない」
年配の男が口を開いた。
「問題にするほどではない」
「“死体がない”こと自体は、です」
若い合理派が続ける。
「ですが今回は、“生存を示す痕跡”もない」
血痕。
足跡。
争った形跡。
「どちらも、ない」
まるで、
最初からそこにいなかったかのように。
「……消えた、ということか?」
「消えるには、手間がかかります」
即答だった。
「我々が想定した事故は、
“処理された死”です。
“消失”ではない」
沈黙。
帳簿の上では、対象番号二七―四は、すでに線を引かれている。
終わった案件だ。
だが。
「確認を?」
「いいえ」
白髪混じりの男が、ペンを置いた。
「確認はコストがかかる。
現時点では、不要だ」
「では?」
「記録を残す」
彼は、帳簿の端に小さく印を付けた。
チェックでも、修正でもない。
保留の印だ。
「次に似た数字が出たら、その時に考える」
合理的な判断だった。
合理派らしい結論だ。
会議が終わり、部屋を出る直前。
一人だけ、帳簿をもう一度振り返った者がいた。
ミラだった。
彼女は、対象番号二七―四の行を見つめる。
死亡推定。
行方不明。
(……死体がない)
ただ、それだけ。
彼女は何も言わなかった。
言えば、数字が動く。
(今は、動かさない方がいい)
それが、彼女なりの判断だった。
帳簿は閉じられる。
案件は棚に戻される。
だが、
死体のいない数字だけが、
静かに残り続けていた。




