値札のない命
目を覚ましたとき、最初に分かったのは
生きている、という事実だった。
次に分かったのは、
寒い、というどうしようもない現実だ。
(……ああ、そうか)
吐いた息が白く、薄暗い空気の中に溶けていく。
岩肌に囲まれた空間。
湿った土と鉄錆の混じった匂いが鼻を刺す。
(廃坑、か……)
天井は低く、ところどころ崩れている。
運よく、爆風に飛ばされた先がここだったらしい。
(運、ね)
その言葉を頭の中で使うのは、どうにも落ち着かなかった。
これは運じゃない。
生き残る確率が、たまたまゼロじゃなかっただけだ。
左脚が、ずきりと疼く。
布越しに触ると、指先がぬるりとした。
(……まだ血、出てるな)
俺は歯を食いしばり、脚を引き寄せた。
保存食の布を裂き、傷口をきつく縛る。
(消毒? あったら苦労しない)
それでも、何もしないよりはマシだ。
水袋を開ける。
中身は、半分より少し下。
(想定より、残ってる)
この一文が浮かんだ瞬間、苦笑が漏れた。
(……命の価値、今はこれか)
水を一口含み、ゆっくり喉に流す。
身体が、正直に反応する。
生きたい、と。
(誰にも管理されてないって、こういうことか)
商会にいた頃は、
食料も、水も、仕事も、全部“割り当て”だった。
今は違う。
(……自由、だけど)
自由は、温かくなかった。
外に出るのは、日が高くなってからにした。
廃坑の入口から覗く森は、静かすぎる。
(静かってのは、安心じゃない)
音がないのは、
誰かがいない証拠じゃなく、
誰も動いていない証拠だ。
俺は、木の枝を拾い、簡単な杖にした。
左脚をかばいながら、一歩ずつ進む。
(追手は……たぶん、来ない)
来るなら、もう来ている。
商会は効率を重んじる。
(死亡推定、って便利な言葉だよな)
死んだかどうか分からなくても、
死んだことにできる。
(俺は今、数字から消えてる)
それは、守られていないという意味でもあり
命令されない、という意味でもあった。
夕方、森を抜けた先で、遠くに街道が見えた。
(……戻れるか?)
一瞬、スラムの景色が脳裏をよぎる。
ゴミ山。
裏市場。
ミラの横顔。
(いや、無理だな)
噂は、足より速い。
死んだはずの人間が戻れば、
それはそれで問題になる。
(値札のない商品は、棚に戻せない)
俺は、街道から距離を取った。
あくまで“見える場所”に出ない。
夜。
焚き火はしない。
灯りは、命取りだ。
闇の中で、俺は膝を抱えた。
痛みは、ずっとある。
不安も、ずっとある。
それでも。
(……生きてる)
その事実だけが、今はすべてだった。
誰の帳簿にも載っていない。
誰の計算にも含まれていない。
(値段がつかないってのは……)
一瞬、言葉に詰まる。
(……思ったより、怖いな)
俺は、闇の中で、目を閉じた。
生きている。
だが、どこにも属していない。
値札のない命として。




