切る理由
朝の倉庫は、静かすぎた。
荷の積み替え音も、怒鳴り声もない。
あるのは、石床に落ちた自分の足音だけ。
(こういう日は、ろくなことがない)
帳簿を受け取る。
紙の角が、妙に揃っている。
(丁寧すぎる)
最下段に、追記。
同行者:補助要員一名
(……来たか)
名前は、まだ書かれていない。
だが、想像はつく。
(若くて、素直で、何も知らない)
(切られるために、選ばれたやつだ)
倉庫の奥から、足音。
「今日の便?」
ミラだった。
革靴が、床の埃を払う音。
(察しがいいのが、今はつらい)
「同行がつく」
帳簿を見せる。
ミラの視線が、止まる。
「……代わり?」
(身代わり、だな)
「そうなる」
空気が、張る。
倉庫の匂いが、鼻につく。
薬草と、油と、少しの毒。
(全部、慣れた匂いだ)
「それ、受けるの?」
ミラの声は、低い。
(感情じゃなく、線を引いてきた)
「受けないと」
「どうなる?」
(聞かなくても分かるだろ)
「俺が切られる」
「それで?」
(それで終わりだ)
「次は、別の誰かが運ぶ」
ミラが、一歩近づく。
「その誰かが、死ぬ人を出す」
(出すだろうな)
「出さなくても、別の便で出る」
自分の声が、乾いて聞こえる。
(嫌な音だ)
「だからって」
ミラの目が、まっすぐ俺を見る。
「やっていい理由にはならない」
(正論だ)
(完璧だ)
(だから、逃げ場がない)
俺は、息を吐く。
「助けられる数には、限りがある」
口にした瞬間、
胸の奥が、ぎしっと鳴った。
(ああ、言っちまった)
ミラの表情が、少しだけ変わる。
「……選ぶの?」
(来た)
「もう、選ばれてる」
沈黙。
遠くで、荷馬車の軋む音。
(世界は、俺たちを待たない)
箱を開ける。
灰色の袋。
粉が、静かに揺れる。
(軽い)
(命のくせに)
俺は、手を伸ばす。
袋を、いくつか抜く。
全部じゃない。
(全部抜いたら、終わりだ)
別の袋と、入れ替える。
効力を弱めた配合。
それでも、ゼロにはならない。
(死ぬやつは、出る)
(でも、数は減る)
(それだけだ)
ミラは、止めなかった。
怒らない。
叫ばない。
ただ、少しだけ距離を取る。
(それが、一番刺さる)
箱を閉じる。
木が、鈍い音を立てる。
(戻れない音だ)
「それが」
ミラが言う。
声は、震えていない。
「あなたの答えなんだね」
俺は、頷くしかなかった。
(説明しても、軽くなるだけだ)
外に出る。
朝の空気が、冷たい。
水路の匂い。
腐りかけの世界の匂い。
(俺は、善人じゃない)
(でも、悪役でも足りない)
馬車に、箱を積む。
粉が、中で音もなく動く。
(死ぬ順番を、変えただけだ)
そう分かっているのに
胸の奥が、重い。
ミラは、最後まで馬車に近づかなかった。
視線も、合わせない。
(切ったのは、命だけじゃない)
馬車が、動き出す。
その振動で、
俺の中の何かが、確かに折れた。
この日、俺は
初めて“生き残る理由”を切り捨てた。




