選ばれなかった側
朝の空気は、妙に澄んでいた。
雨が降ったわけでもない。
ただ、王都裏の匂いが一段、薄い。
(何か、終わったな)
市場の隅。
魚の匂いが、いつもより強い。
(血の匂いを隠すためだ)
人が、集まっていない。
それが、逆に不自然だった。
(噂は、もう一周した)
俺とミラは、露店の影に立つ。
布の端が、風で揺れる。
その音が、やけに耳につく。
(今日は、音がうるさい)
「聞いたか?」
声が、低い。
(来た)
「夜の運び」
「橋の下だろ」
「事故だってさ」
(便利な言葉だ)
俺は、視線を落とす。
荷車が、引きずられた跡。
石に残る、黒い染み。
(洗ったな)
完璧じゃない。
(急いだ証拠)
「子供だったらしい」
別の声。
(……)
「一人で?」
「いや、二人」
息が、少し詰まる。
(身代わりが、出たか)
ミラの肩が、わずかに揺れる。
(聞くな)
「名前は?」
「知らない」
(それで十分だ)
通り過ぎる人の匂い。
香油。
パン。
汗。
(生きてる匂いだ)
俺は、指を握る。
(俺たちが選ばれた)
同時に
(誰かが、選ばれなかった)
橋の下。
昼でも、暗い。
水の音が、鈍い。
(流したな)
石段に、欠けた靴。
(片方だけ)
布切れ。
(運び屋の)
ミラが、動かない。
(止まるな)
「見ない方がいい」
俺は、言う。
声が、乾く。
(遅い)
ミラは、ゆっくり首を振る。
「……見る」
(そういうやつだよな)
橋の影。
何もない。
だから、分かる。
(何も残さなかった)
「事故だって」
ミラが、呟く。
「事故は、綺麗すぎる」
(同意)
俺は、息を吐く。
(ここで吐いたら終わる)
「私たちが」
ミラの声が、震える。
「進んだから」
(違う、と言えない)
「代わりが、死んだ」
俺は、黙る。
(正解だ)
だからこそ、言えない。
市場に戻る。
声が、もう一段、低い。
「生き残ったガキがいるらしい」
(俺だ)
「運が良かっただけ」
(違う)
「選ばれたんだ」
(それも違う)
全部、違う。
でも、全部、正しい。
宿に戻る。
狭い部屋。
布団が、薄い。
(寝れねぇな)
ミラが、言った。
「これで、終わりじゃない」
(知ってる)
「次も、ある」
(当然)
「……それでも」
言葉を探している。
(無理するな)
「私は、隣にいる」
(それが、一番重い)
俺は、天井を見る。
木目の節が、歪んでいる。
(選ばれなかった側は、声も残らない)
だが。
(覚えてる限り、消えない)
これが、値段だ。
俺たちが、払った。
そして
(まだ、払い終わってないものだ)




