値段を決める
朝のスラムは、臭い。
夜に溜まった排泄物と、湿った布と、焦げた何か。
鼻が慣れた頃には、もう逃げ場はない。
(王都の朝がこれかよ)
昨日の毒箱の感触が、まだ腕に残っている。
軽い。
軽すぎた。
(中身より、人の命のほうが重いはずなのにな)
ミラが、壁にもたれて乾いたパンを割る。
「次、どうする?」
質問に感情はない。
いつも通り。
「同じ仕事は受けない」
俺は言った。
「理由は?」
「報酬が安いから」
一瞬、ミラの目が動いた。
(今の、決まったな」
「昨日の仕事だけど」
俺は指を折る。
「毒。検問あり。尾行あり。失敗したら即切り捨て」
(ブラック企業なら、危険手当が三倍はつく)
「なのに、あの報酬」
パン一切れ分の銀。
「命の値段としては、ゴミだな」
ミラは、少しだけ口角を上げた。
「値段をつける気?」
「今までは、つけられてただけだ」
スラムでは、仕事に値段はない。
あるのは、奪うか、奪われるか。
だが
(あいつらは、値段で動いてる)
商会。
グレイフォール。
彼らは感情で切らない。
数字で切る。
(なら、こっちも数字で殴る)
裏市場の入口。
昼間の顔とは違う。
布と影と、低い声。
カインが、いた。
「早いな」
「用がある」
俺は、袋を放る。
中身は、昨日拾った検問情報。
「次の仕事、条件を出す」
カインは、袋を覗き、鼻で笑った。
「ガキが交渉?」
「嫌ならいい」
俺は、即座に背を向ける。
(引き止めなきゃ、終わり)
「……待て」
(来た)
俺は、振り返る。
「値段だ」
俺は言った。
「危険度で三段階」
地面に、線を引く。
「通常運搬、これ」
一本線。
「検問あり、これ」
二本線。
「毒、禁制品、人目あり」
三本線。
「この三本は、最低でも倍」
カインは、黙る。
(計算してる)
ミラが、口を挟む。
「運び屋が捕まった場合」
カインが、見る。
「情報遮断。名前削除。家族不干渉」
空気が、冷えた。
(核心だ)
「できないなら、受けない」
俺が言う。
カインは、舌打ちした。
「……面倒だ」
(褒め言葉だな)
「裏に通す」
その一言で、分かった。
(俺たちは、数字になった)
裏市場を出る。
昼の光が、やけに眩しい。
「怖くなかった?」
俺が聞くと、ミラは首を振る。
「値段を言える人は、殺しにくい」
(確かに)
歩きながら、俺は考える。
(前世じゃ、値段を言えなかった)
残業も、責任も、全部無料。
ここでは違う。
(命を売るなら、ちゃんと高く)
スラムの空気は、今日も重い。
だが一つだけ、違った。
俺たちはもう、
“拾われる側”じゃない。
値段を決める側になり始めていた。




