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生まれ変わってもスラムでした  作者: 灰原ノア
スラム編

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転生先は、スラムの路地裏でした

 臭い。


 目を覚ました瞬間、まずそれがきた。

 鼻の奥にこびりつく、酸っぱい腐臭と、鉄のような血の匂い。喉の奥がきゅっと縮み、反射的に息を止める。


(……いや、無理無理無理。空気が汚すぎる)


 次に感じたのは、冷えだった。

 背中に当たる地面は硬く、湿っていて、じわじわと体温を奪っていく。コンクリートでも畳でもない、砕けた石と土の感触。服?いや、これは布切れと言ったほうが正しいかな‥‥薄く、風をまるで防いでくれない。


 ゆっくりと目を開ける。


 視界に入ったのは、崩れかけた石壁と、積み上げられた木箱。隙間から差し込む光は鈍く、空は見えない。どこかで水が垂れる音と、遠くの怒鳴り声が混じって聞こえた。


(……ここ、どこだよ)


 起き上がろうとして、違和感に気づく。

 体が軽い。軽すぎる。筋肉の張りも、慢性的な腰痛もない。


 自分の手を見た。


 小さい。

 骨ばっていて、指は細く、爪の間には黒い汚れがこびりついている。


(は? 俺、いつの間に子供に)


 その瞬間、脳裏に一気に流れ込んでくる記憶。


 終電。

 光らないモニター。

 「今日中に終わらせろ」という上司の声。

 机に突っ伏したまま、視界が暗くなって


(あ、これ……死んだな)


 妙に冷静な自分がいた。

 ブラック企業に人生をすり潰されて、最後は過労。テンプレみたいな最期だ。


(で、ここが……異世界?)


 ファンタジー小説は嫌いじゃなかった。

 転生ものも、それなりに読んだ。

 目覚めたら王子とか、才能覚醒とか、チートスキルとか。


 期待した俺がバカだった。


 腹が、鳴った。


 ぐう、なんて可愛い音じゃない。

 内臓同士が擦れるような、切実な音だ。胃の奥が焼けるように痛み、唾液だけが虚しく溜まる。


(空腹デバフ、初手で最大かよ……)


 周囲を見回す。

 路地裏の奥、ゴミと瓦礫の山。腐った布切れ、割れた陶器、錆びた金属。生きていくのに役立ちそうなものは、何一つない。


 そのときだった。


「おい、そいつ、起きてるぞ」


 耳障りな声。

 視線を向けると、同じくらいの年齢の子供が二人。痩せて、目だけがやけにぎらついている。視線は、俺の顔ではなく


 俺の手元。

 正確には、地面に落ちていた、硬そうなパンの欠片。


(あ、これ……)


 次の瞬間、理解した。


(狙われてる)


「それ、よこせよ」


 子供の一人が、ずいっと距離を詰めてくる。

 逃げようとしても、今の体は思ったより動かない。筋力も体力も、期待できそうになかった。


(正面から取り合えば、負ける)


 瞬時にそう判断する。

 前世で身につけたのは、根性じゃない。状況判断と、無理をしない判断だ。


 俺は、わざとパンから目を逸らし、背後を見た。


「……来たぞ」


「は?」


 二人の視線が一瞬だけ、俺の後ろに向いた。


 その隙に、俺はパンを掴み、体を丸めて地面に伏せた。

 埃と臭いが一気に舞い上がる。


「てめっ――!」


 殴られる前に、口いっぱいにパンを詰め込む。

 硬い。乾いている。味なんてほとんどない。


 それでも


(生き返る味だ……)


 腹に落ちた瞬間、少しだけ、世界がマシに見えた。


 蹴られ、罵られ、最後には見向きもされずに放置される。

 痛みはある。屈辱もある。


 でも、死んではいない。


 路地裏に転がりながら、俺は思った。


(魔法もない。チートもない。スタート地点は……最底辺)


 それでも、口の端が少しだけ上がる。


(上等だ)


 どうせ前世でも、底辺からだった。

 なら、もう一度


「今度こそ、這い上がってやる」


 誰にも聞こえない声で、そう呟いた。


 スラムの冷たい空気が、静かに俺を包み込んでいた。


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