奥様のお仕事
――一方その頃、アイリスの方はと言うと――
美しい庭の景色を望めるテラスで、新婚初日を迎えたアイリスは使用人に囲まれてお茶を飲んでいた。
テーブルには中央にピンクのバラが活けられ、その周りにずらりと沢山の可愛らしいお菓子が並んでいる。
……ど、どうして皆さんに凄く見られてるんでしょうか……⁈
実家で食べたことのない色とりどりの芸術品のようなお菓子を前に、心躍るよりも粗相をしてしまわないかアイリスの頭は一杯になっていた。
メイドにお皿に盛りつけてもらった山盛りのお菓子を緊張しながら食べているのだが、待機する3人のメイドがずっとこちらをニコニコといい笑顔で見守っている。
しかもメイドさん達にエプロンをかけた厳つい髭面の料理長も混じっており、じっと注がれる熱い視線でアイリスのひ弱な神経は焼き切れる寸前だ。
「奥様、お菓子はどうです?お口に合いますか?」
満面の笑みを浮かべた料理長に話し掛けられ、アイリスは「はひっ……!」と危うくケーキを喉に詰まらせかけたのを、慌てて飲み込んだ。
「……と、とっても美味しいです!クリームたっぷりでフルーツも新鮮で、甘すぎず、絶妙なお味です。有難うございますっ」
アイリスが答えると、ぱああーっと顔を輝かせた料理長が感激した様子で瞳を潤ませた。
「ああっ、こんなまともな感想を頂けるのは何年ぶりだ……!奥様のお陰で、料理を作る張り合いが蘇りました。奥様がお嫁に来て下さって嬉しいですよ。坊ちゃんに愛想を尽かさないで、ずっとこの屋敷にいて下さいね!」
買われた花嫁と蔑まれるかと思いきや、反対に屋敷の使用人達がやたらと歓迎ムードで、正直、アイリスは面食らっている。
今朝は目が覚めたらもうリヒターは出勤した後で、侍女がすっ飛んできて、数人がかりで入浴させられ、頭からつま先までピカピカに磨かれた後、可愛らしいクリームイエローの小花柄のドレスに着せ替えられた。
ドレスは実家から持ってきた物ではないので、リヒターが用意してくれたのだろう。
こんな可愛いドレスは似合わないと遠慮しようとしたら、髪を結ってくれた3人の侍女に「可愛い、可愛い!」とはしゃがれて、断り切れなくなってしまった。
食事は温かくて美味しくて食べきれないほどの量が並ぶし、暇そうにしていると書庫や屋敷を案内してくれる。
使用人達は皆親切で礼儀正しい。
リヒターの事を坊ちゃんと呼ぶのは、使用人達は全員、もともとリヒターの実家の辺境伯領で彼が幼い頃から仕えて来た人達だからだそうだ。
それにしても、リヒターを始め辺境伯領出身の使用人達も男女問わず身長が高い。
アイリスは栄養状態が悪かったために国民の平均身長より少々小さく、メイド達より頭ひとつ分近く小さかった。
だから子供扱いなのかもしれない。
「坊ちゃんにメニューの要望を聞くと、『肉』しか言わないんですよ!デザートの感想も『甘い』で終わるんです。全く、作り甲斐が無いったら!」
料理長が嘆くが、確かにリヒターなら言いそうな感じだ。
苦笑すると、料理長達がクッキーを勧めて来る。
やたらとクッキーを食べさせたがるのをアイリスは不思議に思っていたのだが、サクサクと一生懸命食べている姿がリスみたいで可愛いと、料理長やメイド達にうっとり愛でられているのに気付いていなかった。
「どうしましょう……奥様が可愛くて、いつまでも眺めていられるわ」
「今朝なんて、ベッドに丸まって寝ている奥様が小鳥の雛みたいでキュンとしたわ」
「坊ちゃまをお迎えする奥様の姿を見逃せないわね。私も奥様に『お帰りなさい♡』って言って貰いたい……!」
そんなメイドたちの熱い視線を浴びつつ、クッキーを無心に噛むアイリスは、リヒターの妻としてやっていけるのだろうかと悩んでいた。
昨日はいきなりキャパシティをオーバーして、失礼にもリヒターの話の途中で気を失ってしまったので、彼が帰ってきたら謝らねば……!と気合を入れる。
昨日は何やら聞き違いかもしれない言葉のオンパレードだったので、改めて聞き直して、オイゲン侯爵の魔の手から救い出してくれたことに礼を言うのだ。
何しろリヒターは、アイリスを嫌って一度婚約解消した相手だ。
売られる身を憐れんで、同情でアイリスを引き取ってくれたに違いない。
だが同情は長く続かないだろうから、リヒターが真に愛する人が出来たらすぐに離縁できるように心の準備を怠らず、かつ、少しでも恩を返せるように役に立てるよう頑張るのだ。
リヒターの真意を知らないアイリスはそう決心する。
そうと決まれば、早速実行だ。
メイドと料理長に美味しいティータイムのお礼を言って、アイリスはいそいそと家令のベネディクトの所へ向かい、昨日いきなり倒れた失態を詫びた。
ベネディクトは忙しいらしく私室で帳簿をつけていたのだが、慈愛に満ちた微笑みを浮かべて「とんでもございません」と丁寧にお辞儀した。
「昨日は長時間の移動でお疲れでしたでしょう。坊ちゃまから、奥様のお疲れを癒す事を最優先にする様にと仰せ付かっております。何か御入り用の物がございましたら、何なりと使用人達にお申し付け下さいませ」
――何て良い人達なんだろう――
実家でぞんざいに扱われていたアイリスは、労わりに満ちた対応にジーンとする。表面的ではない温かさが伝わって来て、使用人達の主であるリヒターも、きっと良い人なんだろうなと胸が熱くなる。
「十分おもてなししていただいて、私には勿体無い程です! あの、手持無沙汰なのもなんですし、何か私にもできる事はありませんか……? 」
掃除洗濯、草むしりも得意だ。人参や芋の皮むきも出来る。
張り切って申し出たアイリスに、ベネディクトは微笑みを絶やさず、そっと本を差し出した。
――もう見なくても分かる。
〈マダム・カレンのヒミツの生活♥〉だ。
目が泳ぐアイリスに、ベネディクトは慈愛に満ちた笑みを浮かべた。
「……坊ちゃまが無体を働きそうな時は、これで御身をお守りくださいませ。大丈夫です。私、治癒魔法を使えますので。思いっきりやっちゃって下さい……!」
――――――まさかの武器だった。
お仕事でなく、本(武器)を与えられたアイリスは、ぷるぷる震えながら本を抱え、……さすがに結婚してすぐに未亡人になる事態は避けたほうがいいんじゃ……と思ったのだった。
こちらの連載はイベント時期に投稿させて頂いております。
お楽しみいただけると幸いです*