神聖騎士団のお仕事
神殿の敷地内に、神殿を取り囲む様に3つの塔が建てられている。
東西と北に配置された塔は遠方まで見渡せる監視塔になっており、そこはサファイア、ルビー、エメラルドと名付けられた神殿に仕える騎士団の詰め所になっていた。
――――結婚の翌日。
結婚ほやほやのリヒターはサファイア騎士団に所属している。
神殿の背後を護る北に位置する塔の最上階の職場で副団長をしている彼は、朝から難しい顔をして机に向かっていた。
昨日休んだために机の上に山と成していた書類を、猛スピードで捌く。
だが、何かに詰まったのか真剣な顔で書類を凝視しているリヒターに気付き、彼の補佐官であるギルベルト・アークロイドは自らが取り組んでいた書類確認の手を止め、リヒターへ声を掛けた。
「どうした?何か問題でもあったか?」
室内には副団長と補佐官、記録官の3人しかいない。
本来は団長も出勤のはずだが、コネ入団した団長はしょっちゅう休んで不在が多いため、団長の分の仕事まで引き受けている彼らはいつでも仕事を抱えて忙しい。
「いや、大丈夫だ。これは昨日が提出期日の書類だった様だが、後で長官にゴリ押ししてくる。今なら幸せいっぱいで長官の小言など、子守歌程度でダメージなど無い」
フフ、といつになく頬を緩めるリヒターの珍しい笑顔に、補佐官と記録官の二人がびしりと固まった。
「……なあ、確か昨日結婚した奥さんは、金で買った契約結婚の花嫁だって言っていたよな?」
恐る恐る補佐官のギルベルトが質問する。
「だから突っ込んじゃ悪いと思っていたんですが、何でそんなに上機嫌なんです?」
記録官のミヒャエル・ランバートが気持ち悪そうに言うと、「ああ」とリヒターは頷いた。
「確かに金で買った花嫁だ。だが、以前、俺と妻のアイリスは婚約者同士だった。それを解消してしまったのだが、俺の心は今も昔もアイリスで貸し切りだ。念願叶って一緒になれたんだ。浮かれもするだろう」
――――は?
まったく意味が分からない。
目が点になったギルベルトとミヒャエルは、仕事どころではなくなり、身を乗り出した。
「以前、婚約していたのを解消した相手と結婚したのか?金を払って?どういう事⁇」
「嫌になって婚約解消したけど、あの噂のオイゲン侯爵に買われるのが可哀想で買い取ったとか言うボランティア的な話じゃないんですか?――若い令嬢でアイリスって言うと、アイリス・ヨハンネスですよね?妹は可愛いけど、姉は残念……って有名な。彼女を買ったんですか?お金を出してまで身受けするのは酔狂だと思いますが」
質問責めにあって、リヒターはふっと遠い眼をした。
明後日の方角に何か幻を見ているらしい。
「ああ、俺が買ったのはアイリス・ヨハンネス伯爵令嬢だ。……彼女との婚約解消は13歳の頃だ。俺は当時、彼女を好きだった。いや、そんな表現じゃ足りないな。好き過ぎて、夜も眠れないくらい、四六時中彼女の事ばかり考えているくらい大好きだった。……だが、彼女が向けて来る好意は友達止まり……自分と想いの重さが違う事に絶望した俺は、その残酷な事実に耐えられなかった。――あの頃は思春期真っ只中のいたいけなチキンハートの成せる技で、両想いでない事が辛くて、離れることにした。自分から別れたくせに、一か月は泣き暮らした。家族にうっとおしいと言われて、泣くのを止めたが、傷心は癒されずに引き摺り続けた」
――引き摺るのが長すぎやしないか?
振る理由が理不尽過ぎて、もはや理解不能だ。
唖然とした二人だったが、ギルベルトがそれを聞いて首を傾げる。
「はあ……よく分からないが、別れて9年も想い続けていられたとはご立派なもんだ。だが、大昔に婚約解消された向こうは、お前の事を好きじゃなくなっているだろう?むしろ嫌われている可能性すらある。よく娶る気になったな。お前のチキンハートはこの9年で少しは打たれ強くなったのか?」
「ふっ……もちろん大人だからな。大人になると、色々吹っ切れる。――金を出したんだから、むしろ遠慮なく我が儘が言える。俺は金を払ってでもアイリスに『好き♡』と言われたい‼ 後ろめたくなんかないぞ……! これが大人ってやつだ……!」
何かが色々間違っている。
「……どこで常識を踏み外した?」
「……飲み屋のおっさんが言いそうなセリフですね……」
ぼそりとギルベルトとミヒャエルが呟くが、拳を握って熱弁するリヒターの耳に入っていない。
「取り敢えず長い間の片思い相手なのはわかった。けど、アイリス・ヨハンネスって、猫背でぱっとしない御令嬢だろう?お前なら相手は選び放題だろうに、何故そんなに執着してるんだ?」
だいぶ言葉を濁したが、正直アイリスは、社交界では暗く俯く灰色のドレスの陰気な令嬢としか認識されていない。
惚れた理由を是非とも聞きたい。ギルベルトが好奇心で尋ねると、リヒターは真顔になった。
「――あれは俺が6歳の頃……母親が亡くなった時の事が切っ掛けだ。母の葬式で俺は呆然として泣く事も出来ず、母が居なくなったことも実感できずにぼんやりしていた。だが、それが一部の親戚の気に障ったらしい。母親が亡くなったのに泣きもしない、非情な子供だとなじられた」
完全な誤解だったが、感情表現が得意でないリヒターは咄嗟に言い返せず、その場を逃げる事しか出来なかった。
目つきが悪いせいか、何かと誤解されがちなリヒターにはこういう事がよくあった。
子供なのに可愛げが無いと、しょっちゅう言われ慣れていたが、流石に母親の死を悲しんでいないと言われたのは辛かった。
「それ以上攻撃されない為、屋敷の庭の生垣の間に身を隠していたんだが、アイリスが俺の事を心配して後を追って来たらしく、トコトコとやって来て、俺の隣に座って頭を撫でてくれたんだ」
当時、アイリスは4歳。
婚約者候補として打診があったばかりで数回しか顔を合わせた事が無かったのに、『リヒ様、悪い子じゃないよ。いい子だよ。お母様がいなくなって悲しいね』と、真剣な顔で慰めてくれた。
小さいけれど、とても温かなぬくもりが伝わって、そこで俺はやっと、泣くことが出来たのだ――――
「……あの日から、俺はアイリスこそが隣にいて欲しい大切な人だと感じた。俺の未熟さで遠回りしたが、彼女を手に入れた今、俺は彼女を一生賭けて愛すると誓った。だから、全力で愛し抜くつもりだ」
――予想外にまともな良い話だった。
おお、とギルベルトとミヒャエルが感嘆の声を上げる。
「そうか……お前がずっと婚約者どころか恋人すら作らないから心配していたんだぞ」
素直に祝福するギルベルトの脇で、ミヒャエルが突っ込んだ。
「……チキンハートが発動しなければ、順調にアイリス嬢と結婚してたのでは……?」
「まあ、紆余曲折があったのは反省している。だから、俺はこれからアイリスを大事にしたいんだ」
――紆余曲折だらけな気がするし、ツッコミどころ満載で、どこから突っ込めばいいか分からないくらいだが。
取り敢えず金で買いはしたが、愛情は迷惑なくらいありそうだから良いのか?
本来は仕事が出来て出世頭でもある、超優良物件な副団長だが、恋愛面ではポンコツだと知った部下二人は、結婚相手のアイリス嬢が不憫になってきた。
「そう言えば、ヨハンネス伯爵家が経済的に困窮していたとは知らなかったな。アイリス嬢の嫁ぎ先に決まっていたのがオイゲン侯爵だろう? ヨハンネス伯爵を見る目が変わるな。あんなエロ爺の所に娘をやるなんて、まともな親じゃない」
リヒターの話がインパクトあり過ぎて霞んでいたが、令嬢が売られるとはとんでもない話で、異常事態である。
ギルベルトが顔を顰めつつ指摘すると、ミヒャエルも大きく頷いた。
「没落しかけの家か、下位貴族の令嬢が売られたのかと思っていましたよ。それが、ヨハンネス伯爵家とは……だって先日の夜会で、妹のピオニー嬢が着ていたのは有名なデザイナーの最新のドレスですよ?あれを買うために姉を売ったのなら、妹もとんだ鬼畜です。ゾッとする」
とすると、いつもアイリス嬢が同じ灰色のドレスばかり着ていた理由が察せられた。
ピオニー嬢からは『お姉様はお洒落に興味が無くて、明るい色の服が嫌いだと言うの』と聞いていたが、嘘八百だろう。恐ろしい。見た目の可愛さで騙されていた。
可哀想なアイリス嬢は搾取され、不遇な立場に追いやられていたのか…………
見抜けなくて申し訳なかった、と言う気持ちで一杯になったギルベルトとミヒャエルは猛省した。