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私の知っている契約結婚じゃありません!

 ――19歳になったアイリス・ヨハンネス伯爵令嬢は、人生を諦めていた。


 11歳の時に辺境伯の次男、2歳年上のリヒター・リーツェンベルガーとの婚約が破綻した後、すぐに決まったケヴィン・フォルカー伯爵家の次男との婚約も、去年、妹のピオニーとケヴィンが互いに愛し合っていると暴露して結ばれてしまい、またも破談になった。


 両親はピオニーを責める事は無くアイリスの魅力の無さに言及して呆れ返り、妹のピオニ―がケヴィンとヨハンネス家を継ぐ事に決まった。


 アイリスはついに後継者から転落し、2回も婚約者に逃げられた令嬢と言う烙印を押され、妹には嘲られ、両親からは行き遅れの出来損ない扱いされている。

 ならば修道院で静かな余生を送りたいと望んだのだが、両親は無情にも「少しは育ててやった恩を返せ」と、アイリスに40歳年上の59歳、好色で知られるヨーゼフ・オイゲン侯爵の後妻として売り渡すと冷たく言い放ったのだった。


 オイゲン侯爵は悪い噂の絶えない人物で、身分を嵩に着て無理矢理人妻にも手を出し、酷く人々から嫌悪されている。

 若い女性が好きで、25歳を超えると飽きるらしく、もう8度も再婚と離婚を繰り返している。

 よくそんな人物と結婚したがるなと思っていたが、成程、金だけは唸る程あるオイゲン侯爵に、こうやって娘を差し出し身売りさせる、金に困った親がたくさんいると言う訳だった。


「お前が嫁ぐことで、我が家が潤う。正直、妻とピオニーの散財で家が傾きかけている。侯爵家で何があろうともこちらは関知しないからな。逃げ帰ってきたり、助けを求めてきても知らん。嫁いだら他人だ。どこぞで行き倒れろ」


 バッサリ切り捨てられたアイリスに、選択肢は無い。


「はい…………」と小さく頷くと、父親は話は終わったと言わんばかりに「フン」と鼻を鳴らしたきり、もう二度とアイリスを見ることは無かった。




 ――――だから、トランクひとつに納まる荷物だけを持って、迎えに来たやたら立派な馬車に運ばれて嫁ぎ先に到着した時に驚いたのだ。

 そこがオイゲン侯爵家ではなく、自分が11歳の時に婚約解消したはずの、リヒター・リーツェンベルガーの屋敷だった事に。


 *



 「奥様、いらっしゃいませ!」


 恐らく使用人総出で出迎えてくれたのだろう。

 馬車から出ようとして、壮麗な白亜の屋敷の前で、50人近い使用人達が玄関先でにこやかに歓迎してくれたので唖然とする。


 オイゲン侯爵の屋敷は高い塀と鉄柵に囲まれた監獄の様なところだと聞いていたのに、ここの屋敷の塀は普通で、庭には色とりどりの花が咲き乱れた楽園の様な光景が広がっている。

 到着先を間違えたのでは?とオロオロしていると、真ん中に仁王立ちしていた強面の逞しい騎士が進み出て、アイリスの手を取り馬車から降ろしてくれた。


 あの肩から金糸で十字が刺繍された鮮やかなコバルトブルーのマント。

 清潔な白と青の制服は、神聖騎士団の正装だ。本来は教皇猊下や王族が関わる儀式でしかお目にかかれないのに、どうしてこんな所に正装した騎士が?


 当の騎士は、目つきは鋭いがとんでもない美男子で、堂々とした風格からも、恐らく彼がこの屋敷の主人だと思う。

 しかしどう見ても、彼は初老の59歳ではない。

 オイゲン侯爵の息子は40代のはず。どう見てもこの騎士は若い――多分、自分と同じくらいだ。


「あのっ、こちらはオイゲン侯爵のお宅では……?」


 意を決して、混乱して頭がぐるぐるしたまま質問すると、まだ手を握っていた騎士が不愛想なままボソリと言った。


「あのエロジジイの所では無い。父親に教わらなかったのか?あいつよりも金を積んで俺が君を買い取った。覚えているだろう?以前、婚約していたリヒター・リーツェンベルガーの屋敷だ」



 ――――聞いてません……!



 婚約解消してからメキメキと頭角を現し、若くして聖教会騎士団の副団長に昇り詰めた人が、何故行き遅れで出来損ないの私を買うというのか、何かの詐欺に決まってます……!

 きっとこれは夢、夢なんです……早く覚めなければ……ッ……!!

 


 *



 ――――夢じゃありませんでした…………



 早速、与えられた部屋に通されたアイリスは、これまで実家で使っていた粗末な古びたイスと傾いたテーブル、使い古しの毛布で寒さをしのぐ侘しい部屋とは180°違う、これでもかと贅を尽くした部屋に恐れおののいていた。


 愛らしいコーラルピンクと白い家具で統一されたロマンチックな部屋。

 シルクやビロードがふんだんに使われ、足元には毛足の長いふかふかの絨毯が敷かれている。

 こんな立派な部屋にいる自分がおこがましい気がして、アイリスはガチガチに緊張し、気を張り詰めていた。


 9年ぶりに会うリヒターは昔よりずっと精悍で逞しく、少々眼光が鋭くて視線で人が殺せそうだが、眩しいくらいの美青年になっていた。

 社交界では常に壁の花になっていたアイリスですら、彼が非常にモテて令嬢達に囲まれている事を遠目で見て知っていた。

 婚約解消された事もあって彼を避けていたが、近くで見ると、とんでもなく迫力のある美形に育っていた。

 しかし、浮いた噂も無く、全く結婚する素振りも見えなかったので、彼が誰と結婚するか、大注目されていたはず……それが、何故に自分の様な貧相な者を身受けしてしまったのか?アイリスにはさっぱり分からなかった。


 大理石のテーブルをはさんでソファに座ったアイリスの向かいにリヒターが、先刻紹介された家令のベネディクトを従えて腰を下ろす。

 マントが翻り、思わず見とれる位カッコ良かったが、何故正装?と再び脳内が疑問符で一杯になる。


「荷物はそれだけか?」


 ジロリと年季の入った革のトランクを見て、リヒターが眉をひそめた。


「……は、はい」


 屋根裏から祖母が昔使っていたトランクを探して持ってきたから、煤けて色褪せている。

 自分の荷物など、着古したドレス3着と下着、寝間着くらいしかない。

 両親が花嫁支度をしてくれなかったので、着てきた服はくたびれた灰色のドレスだ。

 

 この豪華な部屋でひとり異質な存在である事を嚙みしめながら縮こまっていると、リヒターが射抜く様な鋭利な眼差しを向け、重々しく口を開いた。


「――事前に告げておく事がある。これは契約結婚だ」


「はい……」


 ……それはそうだ。誰も好んで自分を娶る人はいない。

 

「婚約を飛ばして直ちに籍を入れるが、結婚式などはしない。君は俺に買われた身だ。ヨハンネス伯爵家からは返品不可なので、伯爵家は君と関わるあらゆる権利を放棄し、俺に譲渡すると言った。つまり君はここから出たら、どこにも行き場が無いと言う事だ」


 そう父に告げられてはいたが、実際にそうなると、胸にぽっかりと穴が開いた様で心もとなくなる。

 本当に家族に見捨てられたんだなあ……と、しんと心が冷えていく。

 ぎゅっと目を瞑って涙を堪えていると、リヒターの声が一段と高くなった。


「いいか、これからは俺の言う事に従ってもらう。これは命令だ……!」


 酷薄なアイスブルーの瞳がギラリとひかり、威圧的なオーラに圧倒されてアイリスは蛇に睨まれた蛙の様な心地でぶるぶる震えた。

 実家では、いないものとして扱われていた。

 粗末な食事や孤独な生活には慣れている。

 今更何が起ころうとも、すべて受け入れる気でいた。

 使用人扱いか、またも独りぼっちで幽閉か、それとも――――



「――まず、毎日、見送りと出迎えをしてもらう。玄関先で『行ってらっしゃい』と『お帰りなさい』のキスは必須だ。それと、俺への呼びかけは『あなた♥』『旦那様♥』の二択だ。異論は認めん」


   「……へ?」


   思わず変な声が出た。


 聞き違いかと思ったが、リヒターがカッ!と異様な気迫で目を見開く。


「――嫌なのか?」

「い、いえ、滅相もありません……!」


 ――強制的に『あなた♥』『旦那様♥』呼びが決まった瞬間だった。


 語尾に♡をつけなくてはならない必然性を問いたかったが、命懸けになりそうなので止めておく。


「朝の食事は一緒に摂るが、仕事が忙しいので昼夜は別になる。寝室も同様に別だ。仕事柄、夜間に呼び出されたり出張もよくあるからな。取り敢えず君は何もしなくて良い。君にはリーツェンベルガー家の夫人として教養が足りていない」


「……は、はい……」


 人前に出られるような教養は、確かに身に着けていない。

 実家で家庭教師すら満足につけてもらえなかったので、行儀作法もお粗末でみっともなくて、とても人前に出させられないだろう。

 しゅんとしたアイリスの前にスッと本が差し出される。


「これを読んでリーツェンベルガー家の夫人として相応しい作法を学んでもらう。これは教本だ」


「はい…………は……え?」


 目の前に差し出された本を見たアイリスは、ずしりと重い3冊のハードカバーのタイトルに釘付けになった。


〈マダム・カレンのヒミツの生活♥〉1,2,3巻。


 ……これは未亡人となった、うら若き美しいカレン侯爵夫人が、近付いてくる男性達を小悪魔的に弄んでメロメロにしてしまうと言う、いま巷で話題の大流行恋愛小説である。


 何しろ過激なマダム・カレンのセリフと刺激的な内容が大受けしているそうで、アイリスは読んだ事が無かった。

 一度は読んでみたかったので、話題の本だ……!と、はしたなくもワクワクしたのだが、これがリーツェンベルガー家の教本とか、血迷った単語を聞いた気がして固まった。


 ……え、教本???


 冷や汗をかいて、ばっ、とアイリスがリヒターの後ろに控える家令を振り仰ぐと、ドヤ顔のリヒターの後ろで、ダンディなベネディクトの顔がしおしおになっており、目頭を押さえハンカチで涙を拭っている。

 口が「……伝統あるリーツェンベルガーが……ああ……」とガクガク動いている。


 ――――アイリスの額からもダラダラ汗が流れた。

 突っ込んでいいのか分からないが、これはきっとリーツェンベルガー家の教本では無い(当たり前だ)。



  ……とても格好良い旦那様から、ダメな人の香りがします……!

 

 ――――思っていたのと違う契約結婚だった衝撃と、香ばしいかおりにくらくらしたアイリスは、ついにぷちんと緊張の糸が切れ、その場に卒倒した。


 



 


 

 

 


 

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