目が合っただけで
寝てもさめても、この世界からは出れないし、町を見て回っても出口なんてなかった。
どうしていいのか分からないまま、十六歳になった。
ジュリエットを好きになるなんて、本当にあるんだろうか。僕はロミオとは違う人間だから、この時代の思考とは多少違うし、あまりよく分からない。
夢の始まりで見た謎の声だって、ジュリエットを好きになって欲しくなさそうにも見えた。僕としてもそのつもりだし。
両家は対立してるけど、その恨みの渦に巻き込まれたくないし、ましてやジュリエットを想い、死ぬことだって勘弁してほしい。
……大丈夫。死ぬと分かってて、僕はジュリエットを好きになんてならない。なるもんか。
せっかく病気のない健康的な身体なんだから、このまま遊びたいし何事もなく生きていたい。
テレビで見たイタリアの風景や世界遺産。実際に見ると圧倒されたけど、生活の一部となった。水道やガスもあれこれ慣れてる僕には厄介だったし、日本食が恋しくなることもあるけど、ずっと生きてるとそれももう慣れた。
しかしまぁ、イケメンに育ったもんだと我ながら思う。顔は良い。僕の力でもないけど。もし高校の時、少しはかっこよかったらモテたのかなと思ったけど、今となってはどうでもいいか。
そう思いながら町を歩いていると、わーわーと騒がしい声がする。野次と煽る声と、汚い貶す言葉。
「……また決闘でもしてるのか」
そこに友達がいなきゃ良いけど。遠くから、居ないのを確認して僕はその人集りには近づかないよう道を変えながら、教会に向かう。そこの庭を手入れさせてもらうのが僕の心の安らぎだ。
昔からある権力争い。皇帝か王族か天皇か。呼ばれ方は違うけれど、歴史を辿ると支配者と神の支持者、武力はヨーロッパでも日本でも同じように血みどろの戦いを繰り返してきた。人は争う。聖書から綴られている人間の六千年前からの歴史がそう言っている。
どっちかが勝って一方は負ける。長い争いの歴史を経て、十四世紀になった今も皇帝派のモンタギュー家と、教皇派のキャピュレット家がいがみ合っている。その片方の家に生まれたのがロミオである僕。本当に何度考えても最悪だ。
僕もこの時代に生き、皇帝派とは言え教会は否定しないし聖書を学び祈りもしてきた。神はいるんだろう。だけど、神を持ち出す人間が良くない。歴史の教科書で現代から見た僕にとっては、イエスと弟子たちの死後、キリスト教と言われるものは沢山のものに分派し、なにが正しいのか、神の代理だと勝手に名乗ってるだけなんじゃないかと思っていた。そんなことを言うと、キャピュレット家に殺されそうだ。
本当に争いなんてくだらない。
ヴェローナの領主である大公も、両家の争いは町も巻き込むほどだから、鎮めるために今後は死刑を命じたというのに効果はなった。町で目が合えばすぐに口論が始まり、拳が飛ぶのは日常茶飯事。争いを辞めないのはなんでなのか。死よりも己の矜恃だろうか。
「剣を抜き合えば、いつか」
こんな町じゃそれこそ、ジュリエットと死ぬより先に、誰かとやり合い死ぬ方が早そうだ。僕はそんな無駄死にするもんか。
だからと言って友達が刺されたときに、仇を討たず見殺しにするのも薄情だと思う。そうならないように忠告は今まで何度もしてきた。でも円形闘技場を見て思うのは、人は残忍なことが案外好きであることだ。党派の別れた若者は血気盛んで暴力沙汰も、しょっちゅう。売られた喧嘩は買う。喧嘩は勇敢で、買わな者は腰抜け。それが当たり前の町だ。僕一人にどうにかできる問題でも無かった。
「ロミオ、まーたここにいたのか」
教会の裏にあるバラ園で剪定をしていると、友達のマキーシュオといとこのベンヴォーリオが顔を出した。夏も近づき、開花のピークは過ぎたけど遅れて咲いたバラも面倒をみてあげない行けない。ほっとけば種を作りエネルギーを使うから、花が枯れたらすぐに切ってあげた方がいいんだ。
「ここはいいよ。静かで」
「おまえって、植物を観る時、気持ち悪い奴になるよな」
「そうか?」
「あぁ。舐めまわすように、下から覗いたり、上から、色んな角度から眺めてきもちわるい」
それは、あれだ。新芽が出てきたかとか、傷はないか。虫は着いてないかとかあれこれ、成長を見守ってるんだよ。
「今度、俺ん家のも見てくれよ……っていう話をしに来たんじゃなくてな」
「舞踏会の話なら、行かないって言ってるだろ」
昨日、キャピュレット家の使いの者が字が読めないからと、代わりに招待リストを読んであげた。それからといい、マキーシュオはちゃちゃを入れに三人で行こうと言いだしたきりきかない。
「行ったら死ぬ」
「大袈裟だな。キャピュレット家のパーティに行ったからって死ぬわけないって。バレずにやり過ごすんだよ。新しい出会いがあるかもしれないだろ」
分かってもらえないだろうけど、本当に舞踏会に行けば死ぬんだって。どうせ、原作の力が関与してくるに決まってる。
あいつにとっては火遊びでも、
「なぁ。なぁ! 絶対楽しいって」
「何度も言ってるけど、行かないって断ってるだろ」
「怖ないのか? 意気地がねぇ奴。巣窟に行くから楽しんだろ」
「良いか、友達だから言うけどあまり、あの連中にはちょっかい出すなよ。いつか決闘で刺されるぞ」
「分かった分かった。その台詞は聞き飽きた」
「分かったってないだろ全く」
「それより舞踏会の話だ。良いか? 俺たちはいい歳だ。恋人の一人や二人つくりたいだろ。なのにお前と来たら浮いた話もない。恋でもしたどうなんだ、ロミオ」
「余計なお節介は良いって」
「俺が恋の一つや二つ見繕ってやるって! なぁ、ベンヴォーリオ?」
マキーシュオは僕に絡みながら、応援をもう一人の友達に求めた。二対一は酷い。
「そうだな。やっぱり“ロザライン”はどうなんだ? ロミオだってこの前、彼女を見かけて、目が止まってただろ」
「そうだっけ? 覚えてない」
「全く。お前は」
ダメだ。名前も顔も少しも思い出さない。
「だったらもう一度ロザライン嬢を見に行こぜ! 舞踏会に参加するらしいじゃん」
どうせ僕はこの世界の住人じゃないし……、そう言い聞かせて生きてきた。みんなも役を全うしてるだけだ。どうなろうが僕のせいじゃない。もし僕がロミオとは違う選択をして、その結果が変わっても悪く思わないで欲しいし、どうせなら舞踏会に行ったあいつらの誰がジュリエットと恋に落ちればいいと思った。でもくれぐれも後を追って死なないようにして欲しい。僕も多少は助けに入るけど。
「あーあー、その話は終わり」
耳を塞いで見せると、ふざけて僕の手を退けようとしてくる。そんな不毛な戦いを一旦休戦して、とりあえずバラ園の手入れは終わりにした。
友達二人と言い合いながら、とぼとぼ歩いていると、噴水のある広間を挟んだ向こう側から強い視線を感じた。
誰だろう? 視線を追うと、布を被っていて髪や口元を隠していた人が居た。多分、この人だ。
背丈や体格で女の子かなと思う。僕より濃い青の瞳が、ずっとこちらを見ていて、なぜかそれだけなのに魅入られる。
「ロミオどうした?」
友達二人は、なにも感じない? こんなにもこの子がこっちを見ているのに。あの瞳が、すごい綺麗なのに。
まるでその子も僕だけを見ているような錯覚になった。不思議だ。見れば見るほど、どうしても目が離せなくなる。
風が吹き、彼女の頭を覆っていた布が取れた。黒と茶が混ざった色の髪が露わになった。想像以上に綺麗な顔立ちをしている。
身体に電気が走った。血の巡りは早くなり、全身に行き渡る。感情が追いつかないまま、身体は正直に反応している。隣で「ロミオどうした?」と聞かれてる気がするけど、それどころじゃなかった。ぎゅっと心臓を握りつぶされたかのような、強烈な痛みに気を取られていると――
「助けて」
その子はまっすぐと、僕に向かって来きた。
「え?」
「って、私、何言ってるんだろ。気にしないでください。ばぁやから逃げ出して来て、ちょっとやり過ごしてるだけなんで…」
「分かった。匿ってあげようか」
僕の方こそ、変なことを口走ってる。別に命に関わるような者から、彼女は逃げて来たわけでもないのに。家のことに首を突っ込んでも良いことなんてないのに。……ほっとけばいいのに。なぜか、ほっとけない。
「はい。よろしくお願いします」
まるでそれが、結婚でも申し込んで、それを受けてくれたかのような顔で言う。そう見える僕がおかしいんだ。でも僕のことを見つめつづけて、勘違いさせる彼女こそ悪い。
友人たちが、咳払いをした。この場にいるのが小っ恥ずかしくなって、少し雑に彼女の手を取った。
「早く行こう」
やっぱり、なんか変だ。目が合い、手を握っただけで吐きそうなくらい鼓動がうるさい。
「おいおい! どこ行くんだロミオー!」
慌てた友達を横目に、僕は心に従うように誰かも分からない彼女と走った。はぁ、はぁと走る君の息遣いと、うなじ。後ろで編み込まれた髪に見惚れ、どれをとってもそそられてしまう。
「家のことに巻き込んですみません。……でも良かったんですか」
「君が助けてって言ったんじゃないか」
「だって、私たち名前も知らないのに」
「そっちだって、簡単に手を握られてさ。僕が変な所に連れて行くかもよ」
「え」
「いや、連れて行かないけどさ…….」
こういう場合は、匿った僕も巻き込まれるって相場が決まっている。既に片足は突っ込まされているけど。
「……やっぱり変ですよね。一人でも逃げれたはずなのに。なんであなたを巻き込んでしまったのか自分でもよく分からなくて……」
やっと冷静になってきたのか、頭に被った布を取るり、深々と謝罪をする。いや、多分まだ冷静になりきれてないのか、自分でも困惑してるぽかった。改めてこの至近距離で見てしまうと、ますます――。
大人びてる雰囲気はあるのに顔立ちはまだ少し幼いのがまた、可愛い。
そしてじっと僕を見つめたかと思うと、ずっとそのままになる。真っ直ぐに向けられた瞳は輝きを増し、僕の中の血が再び燃え出した。そんな風に見られると恥ずかしさや照れ、もっと熱いものが底から湧き上がるようだった。全身が堪らなく熱い。勝手に勘違いしそうになる。
いや、そんなことより……。
「……っ」
「貴方の手を取ってしまったのは、ほとんど無意識だったんてです。なんででしょう。パリス様との結婚を止めてくれる。貴方に助けて欲しいって思ったから……」
「頼られても困るけど」
見ず知らずの僕が他人の家に口出しするなんて、ありえないし、それを直感で彼女もどうかしてる。なのに、どうしてだろ。君を誰かと結婚させてはいけないと、本能で感じた。
「僕と目が合っただけで? どうして」
「どうしてって、……貴方が――」
あえて追求した。君も同じ気持ち? 多分、今の僕の顔は相手にも伝わってしまってるんだと思う。僕が強く見つめると彼女はしどろもどろに話す言葉は、さらに弱々しく途切れた。惚けたように立ち尽くす。少なくても僕にはそう見えた。なんだ、これ。まるで――。
「……っ、あんまり見つめないでください」
「こっちこそ。ごめん。えっと、君の名前は?」
「……わ、私の名前はジュリエットです。キャピュレット家の」
「君がジュリエット……だって?」
「それが私の名前です。ばあやは私の走りには追いつけないから、代わりにばあやの従者が私を探してるの。私が逃げ出してきたから」
僕はなんで油断をしていたんだろう。
仮面舞踏会に行かなきゃ会う機会もないって。まだその日じゃないと。同じ町なのにバカだった。まさか向こうから舞い込んでくるとは。間違って違う子を好きになれば物語は破綻するのに、無駄だった。その上、君までもが多分、恋に堕ちるなんて。
この狂ったような、恋焦がれる感じ。身体が焼かれるように全身で彼女に惹き寄せられる。よく見ればこの子は十四だと甘く思っていた僕の考えをひっくり返すほどの美しさと、大人と子供の混ざりあった容姿をしていた。
これがヒロイン補正ってやつ? 嫌でも分かる。ちっともジュリエットに興味がなかったというのに。ジュリエットの何処が好きかも言えない。彼女のことなんかなにも知らないくせに。布を被った、君の瞳しか見てない時から心を奪われるなんて。こんな恐ろしいことがあるのか?
「貴方は? もしかして」
「……っ」
――あぁそうか。僕は所詮、抗えないこの物語の主人公なんだ。




