憤怒の悪魔と戦乙女【コミッションサンプル】
流血や内臓描写はありませんが遺体の描写があります。
その分厚い体躯に牡山羊の頭を頂き七つが大罪の一つ、憤怒の名を冠す大悪魔の執務室は
いささか不似合いにすら思える整然としたものだった。
落ち着いた色合いのワインレッドの絨毯。深みのある飴色の執務机と書棚。
ローテーブルと一組のソファー。
装飾と呼べるものは壁に設えた一体の剥製のみ。
それだけに、その剥製は異様な存在感を持っていた。
それは、美しい女性の剥製だった。銀色の長髪と透き通るような白い肌きりりと吊り上がった眉。
形の良い乳房を張り出すように背を反らした彼女の下半身と手は、壁に吸い込まれるようにそこで途切れている。
彼女の眼窩にはめられた硝子製の精巧な眼球は、椅子に腰を下ろし彼女を鑑賞する憤怒を死してなお睨みつけている。無論、それは憤怒がそうなるように設えたからだが。
小さな溜息が憤怒の口から漏れる。
イミテーションとは思えぬ、気迫すら感じる戦乙女の眼光を正面から受け止め、彼は目を細める。
うっとりと彼女を鑑賞する眼差しはまるで恋する乙女のそれだ。
その表情は、大半の狩人達が彼らの獲物を懐かしむときとは何処か違う。獲物と対峙するときの狩人達の表情にはどこか郷愁にも似た雰囲気がある。目の前にあるのは既に亡骸であり過去でしかないからだ。
だが、憤怒の顔にはまるで約束の場所で恋人を待ち焦がれるような、浮わついた気配が漂っていた。
そう、まるで今にも彼女がドアを開け自分に会いに来る、まるでそう確信しているかのように。
剣戟の音が遠く響く。彼の部下たちが走りまわっているのだろう、怒号のような声が時折聞こえた。
「ああ、君はやはり来たのだね」
憤怒はその巨躯をゆっくりと椅子から起こすと、シャボとブローチを整え、部屋を後にした。
そこは憤怒が謁見に用いる小ホールだった。そこに立つ女は、肩から湯気を立てながら息を整えている。
美しい銀色の長髪、返り血を浴びて更に際立つ白い肌。疲労を隠せず肩で息をしながらも衰えぬ意志の強さを湛えた青い瞳。そう、憤怒の執務室に飾られていた戦乙女だ。
小ホールの先に延びる廊下から聞こえてくる靴音に、戦乙女の表情は険しさを増す。
薄暗闇を抜け姿を現したのは牡山羊の頭を持つ異形の存在、憤怒だった。憤怒はホールの入り口で足を止めると、落ち着いたバリトンの声を響かせる。
「やあ、また会えたねフロイライン。待っていたよ。思ったよりも早く来たね。再び受肉出来た様で何よりだ」
余裕のある憤怒の態度に、戦女神は歯を食いしばり大悪魔をにらみつけた。
「そのような態度が取れるのも今のうちです。大罪の悪魔よ、神罰を受けなさい」
血にまみれた片刃の切っ先が憤怒に向けられる。だが憤怒は微笑ましいものを見たとでもいうように口元をほころばせるばかり。
「私も陛下から憤怒の称号を預かる身。君の望みに応えるのは難しいなそもそも……」
憤怒は壁に掛けられた巨大なハルバードを手に取り、石突を床に打ち付け口元を歪ませる。
「私に勝つ算段は付いたのかね。もう少し手立てを考えてから来ると思っていたが……。
屈辱に眠れぬ夜に耐え切れず、思わず飛び出してきた、といった所かね。衝動に身を任せるのは若者の特権だが……また体が上下に分かれることになるぞ?」
ハルバードを構えゆっくりと一歩を踏み出す憤怒。思わず、そう無意識なのだろう、戦乙女は悪魔が踏み込んだ分後ずさる。その顔には、隠しきれない恐怖が滲み、息が乱れている。
初めて彼女に出会った時の自分の正義と勝利を疑わぬ、幼さすら感じさせる真っすぐな瞳。
純白のキャンパスのようなそれに自分が残した濁った色の濃さに憤怒は満足そうに目を細める。
「ああ、君もそんな顔をするようになったのだね……そうだ、今のうちに聞いておこう。君の上半身は剥製にして飾っているが……二体目の趣向に希望はあるかね?」
その言葉を戦乙女が理解するのには一瞬の間を要した。怪訝そうな顔からさっと血の気が引き歯がきしむ音を立てながら顔を引きつらせる。
「貴様ぁ!!」
咽喉が裂けんばかりの割れた怒声を響かせながら、戦乙女は怒りに任せ剣を手に憤怒に向かって駆けだす。憎しみと殺意に、彼女の儚げな美貌は醜く歪んでいた。
「次は憎悪か、中々俗世にまみれてきたな。さあ、楽しませておくれ」
くつくつと咽喉を鳴らしながら、憤怒は指先の感覚を確かめるかのように、巨大なハルバードを片手でくるりと回した。
轟音がホールを揺らした。




