あの日、夜尿をしていたら~悪夢のパラドックス~
私が覚えている限り最初に見た悪夢は5歳になった時でした。
私は周りの家庭より2歩も3歩も進んだ教育を受けていました。3歳で数字を学び、4歳ですでにマイナスの世界に足を踏み入れていました。そんな英才教育を受けていた私は5歳でアンパンマンに出会いました。アンパンマン、今思えばなんと良い響きなんでしょうか。アンパンマンという響きから連想されるのは女性のよがり声、性行為、女性器といったものでしょうか。ですが同時に、アンパンマンというものは非常に尊い存在であり、私の人生で画面越しに拝める日は来ても(実際は拝んでいる)、生で拝める日は来ないのではないかと恐怖しています。
こんな恥も欠点もない生涯を送ってきた私でも、神は人間に平等に試練を与えるものです。
その日はやって来た、私が人生で初めて見た悪夢。今でも鮮明に覚えている。
〰︎︎〰︎︎悪夢〰︎︎〰︎︎
時刻・おそらく夜の9時頃
母「お母さん死んじゃうんだ」
私「死んじゃ嫌だよ」
母はこの時、電気のついていない部屋に移動し、粉薬を飲んだ。その瞬間、母の姿が消え、目の前に立っていたのは、ブラックノーズだった。
ブラックノーズ「さようなら」
私「、、、、、」
ブラックノーズは姿を消した
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私はこの悪夢から多大な(英語で表現するならhuge)喪失感を覚えた。なぜなら母の正体を知ってしまったからだ。私は母がブラックノーズであるということを誰にも相談出来ずにいた(今もなお相談出来ていない)。
すでに悪夢のことなど忘れていたであろう6歳くらいの話である。お風呂でシャワーを浴びている時、たまたま、睾にシャワーから勢いよく出るお湯が当たってしまったのである。私は何か変な感覚を覚えた。この喪失感どこかで、、、。
1年ぶりの再会だった。この喪失感は紛れもなくあの悪夢と同じものであった。
ここでひとつの疑問が生まれてくる。悪夢と睾にお湯を当てた時の喪失感が同じものであるのなら、悪夢を見たのは私なのか、それとも睾なのかという悪魔的な疑問だ。睾といえば私の一部であるが、一部でない。仮に睾が悪夢を見ていたのならば、私が気に病む必要は無くなる。仮に私が悪夢を見ていたら、真剣にその問題と向き合う必要がある。様々な仮説が頭の中を駆け巡った。
喪失感を感じた条件に睾がお湯(温かい液体)にふれるというのがあったとしたら、、、私は一気に確信に近づく。そして私の内なる神が私に囁く。
「あの日、夜尿をしていたら」