ぬらりひょんと川姫
川姫。
川に棲まう女の姿をした妖怪。
その正体は、雨乞いのために龍神に捧げられた姫とも、
落ち延びた果てに川に身を投げて死んだどこぞの家の姫とも言われている。
「ただいま」
玄関の戸を開けて、誰にともなくつぶやく。
居間に上がって、ポットから急須にお湯を注ぎ、熱いお茶を飲んで人心地。
「ふぅー、生き返る」
んんっ!?
腰を落ち着けている座布団から衣服を通して伝わる冷たい感触。
ぬ、濡れてるっ!?
よく見ると畳にも水滴が散見される。
「ビショビショやないかい!!」
思わず誰にともなく声を張り上げると、慌てて雑巾を取りに洗面台へと向かうと、そこには一糸まとわぬ姿の女がいた。
「きゃあっ」とタオルで体を隠す女に、とっさに謝って視線を逸らす。
* * * * *
「ふぅー、いいお湯でした」
儂のワイシャツを身に着けた女がタオルで髪を拭いている。
彼女は川姫。何を身に着けてもすぐにビショビショに濡れてしまうので、彼女を家に入れるのも考え物である。
……というか、座敷童女といい、なんで儂の家に無断で入ってくるのだ。
「彼シャツ……ですね///」
顔を赤らめて川姫が言う。
彼女の着てきた着物は、無駄とは知りつつも天日干し中なので、儂の使わなくなったシャツを渡しているのだが、なんだか嬉しそうだ。
どっと疲れが押し寄せてきて、無性に酒を飲みたい気分になったので、一緒に飲むかと問う。
「はい」元気よく返事をすると、防水用にと置いたブルーシートの上に、すでにビショビショの座布団を敷いて儂の隣に座る。
「さぁ、どうぞ。どんどん飲んでくださいませ」
上機嫌にお酌をしてくれる彼女の胸がグラスを持つ儂の腕に当たる。
「近い近い!!」と儂は距離を置こうとするが、ぐっと腰をつかまれて逃げ場を封じられてしまう。
「逃げないでくださいよぉ」
「当たってる当たってる」
「当ててるんですぅ」
幼いころから面倒を見ていた彼女が、もう一人前の女になったんだなぁ、という感慨と、
なんか、こう、そういう面は見たくない葛藤が同時に押し寄せてくる。
一言で言うと罪悪感だ。
「勘弁してくれ……」思わず口に出すと、
「酔っちゃいました///」
まだ飲んでもいないのに、川姫がしなだれかかってくる。
ぬちょりと、生暖かくて不快な感触が肩と腰を濡らす。
「ジジイを揶揄うものじゃない」
「そんなつもりじゃ……」
「お前さんのことはずっと見てきた。それこそ娘のように、な」
「んもぅ」
それに……どうせそろそろ……。
「ふえぇ、ぬらえもーん」
玄関からガラガラがしたかと思うと、泣きながら座敷童女が上がりこんでくる。
水たまりを踏んで一瞬怪訝そうな顔をしたものの、川姫には目もくれずに、駆けつけ三杯とばかりに儂のグラスから酒を呷ってはお替りをして、また飲んだ。
川姫がチッと舌打ちをして儂の腰に回した手に力が入る。
「酒じゃ酒じゃ、自棄酒じゃ!! 人間なんて大っ嫌いなのじゃああああ!!」
座敷童女が自分のグラスを取ってきて、儂の向かいに座ると、今度は「見せつけてるんじゃない!!」と理不尽に怒り出す。
そんなんじゃないと言って聞かせて、ようやく「お前さんは昔から面倒見がいいからのぅ」と納得してくれた。
酒に弱い川姫はすぐに寝入ってしまったけど、なんだかんだで賑やかな飲み会になったと思う。
「それで、彼女は何しに来たのじゃ?」儂の膝の上でスゥスゥと寝息を立てる川姫を眺めながら、座敷童女が疑問を口にした。
あ、要件聞くの忘れてた。
「まぁ、寂しがりやじゃからの。そんなところじゃろ」と座敷童女がグラスを傾けて優しく笑った。
家をビショビショにしなければ、悪い子じゃないんだけどなぁ。
「私、もうビショビショですよ」と寝言を言う川姫。
前言撤回。ちょっと距離を置こう。うん。
「あー、どこかに生きのいいショタは落ちてないかのぉ」
ぽろろん、と押し入れの琵琶女が切なげに鳴いた。