42 魔女裁判②
※血が出ます
「私は問題ない。次の攻撃を」と言って、レオナルドは姿勢を立て直した。
キアラは近くに待機している騎士に促され、二発目の攻撃を繰り出す。
「っつ……!」
電撃が弾ける。またもや命中。不協和音みたいな落胆の声が響く。
レオナルドの防御魔法は薄氷のように呆気なく割れて、今度は左脚が真っ赤に腫れていた。
「……もう一度だ」
「……!?」
キアラの手がガタガタと震え出す。自分の放った魔法が相手――しかも婚約者を傷付けているという事実がとてつもなく恐ろしかった。人を攻撃する魔法が、これほどに恐怖だなんて。
しかし、見張りの騎士に剣をちらつかされて、よろよろと攻撃魔法の準備をする。
次の攻撃。今度は一瞬だけ皇太子が持ちこたえたように見えたが、三度防御壁を貫き血飛沫が上がった。
「次」
しかしレオナルドは体勢を立て直すと、まるでなんでもないような涼しい顔をして続きを要求する。
キアラは騎士につつかれて、項垂れながらまたマナを発動した。
次。
次。
次。
その度に皇太子の負傷は広がって、肉体がボロボロになっていく。皮膚をえぐり取られ、赤いものが流れ、ぽたぽたと地面を染めた。
倒れても、倒れても、それでも彼は立ち上がった。
レオナルドは真っ直ぐにキアラを見つめている。その瞳には不幸な未来など、どこにも映っていなかった。
今や観客たちは水を打ったように静まり返り、誰一人とこの公開処刑から目をそらせられない。不穏な空模様が二人の行く末を暗示しているようだった。
キアラは死刑宣告が迫ってきているのを感じていた。度重なる魔女のマナの攻撃で、レオナルドの魔力――生命力が削られていくのが手に取るように分かる。もう時間の問題だ。
このままでは、彼は、自分のせいで――……。
「もう嫌っ……」
先にキアラの心が折れた。
彼女は膝を付いてさめざめと泣き始める。二人の騎士が彼女の両脇を抱えて立たせようとするが、頑として動かなかった。
「キアラ・リグリーア! 中断は陛下への反乱とみなす!」
「お前は自身が魔女だと認めるのだな?」
「うっ……!」
立ち上がらなければいけない。立って、続けなければ。
頭では分かっていた。ここで止めたら、全てが終わってしまう。そんなの、ダミアーノや皇后の思う壺だ。七回目も私たちは敗北することになるのだ。
(そんなの、絶対に駄目……!)
だが、脚が震えて、もうこれ以上力が入らない。
「キアラ嬢」
その時、声が聞こえた。なんの曇もない、爽やかな声だった。
顔を上げると、レオナルドが優しく微笑んでいる。
「私は問題ない。続けなさい」
「レオナルド様……!」
「ほら、死んでないだろ? 心配しないように」
溢れる涙は止まらなかった。満身創痍の彼。肉体はもう限界に近いのに、安心させるために平然と笑ってくれて。
(なんで……。なんで私なんかのために、ここまでっ……)
私が不条理にリンチしているようなものなのに。
なぜ、平気でいられるの?
思えば、他にもおかしいと思うことはいっぱいあった。六回も自分を殺した相手なのに、殺したいほど憎んでいい相手なのに、気遣って、慈しんで、敬ってくれて。
そんな資格のない私なのに、なんで、なんで……。
こんなに無償の愛をくれたら、私も、あなたを……。
私は――、
「もう、人を愛したくないのに…………」
「ぐっ……!」
ついにレオナルドの体力に限界が来る。
平衡感覚がぐにゃりと歪んで身体が大きくぐらつくが、すかさず剣で体重を支えてなんとか立ち上がった。
ぽたぽたと汗だか血液だか分からない水分が垂れている。全身が滾るように熱くて、凍えるように寒気がした。
「レオ――」
「問題ない」
「ですが……」
「ただの魔法攻撃だ。戦場と変わりはない」
レオナルドは残った力を振り絞って姿勢を正す。まだ己は生きている。魔女のマナなど存在しないのだ。
最早、意地だった。
それは常に品行方正な皇太子の見せた、初めての我儘でもあった。
「リグリーア伯爵令嬢、定位置へ」
キアラは騎士たちに強引に立たされて、引きずられるように元の位置に戻される。また悪夢の時間の始まりだった。
「次で終わりそうですね、陛下」と、皇后が勝ち誇ったように言う。邪魔な皇太子が死んで、最愛の息子が皇太子の座に就くと思うと笑いが止まらない。
「…………」
皇帝は、ただ黙って見つめている。
レオナルドは瞳を閉じてゆっくりと深呼吸をする。
キアラは両手にマナを集中させる。
レオナルドは防御魔法を発動させ、
キアラは両腕の中に黒い電撃の球を顕した。
攻撃。
黒い雷が巨大な剣のように、
レオナルドを貫く。
爆音と共に、黒煙が広がった。
(お願い……! 無事でいて……!)
キアラは祈る。
私の、渾身の力を受け止めて。
生きて。
「うおおおおおっ!!」
レオナルドは全身全霊のマナを、両手に込める。そして全ての力を押し出すように、キアラのマナを受け取った。
――ピシッ
レオナルドの防御魔法の盾に大きなひびが入る。それは硝子が割れるようにミシミシと音を立てながら広がっていった。
「っ……!?」
僅かに漏れたキアラのマナが彼の顔の皮膚を切り裂いた。赤い血が小さな玉になって弾け飛ぶ。次は脚。そして腕。
レオナルドはだんだんと闇のマナに侵食されていく。肺から血が上がってくる。胸が押し潰されそうだ。
薄くなった空気が彼を蝕んだ。目眩がした。遠のきそうな意識を、根性で振り払う。
「マナよっ!!」
レオナルドは体内のマナを全て搾り取るように吐き出していく。肉体に宿る液体が波のように一気に動いて、全部外へ持って行かれる感覚がした。
(絶対にキアラを助ける……!!)
帝国一と謳われる魔力を持つ彼は気付いていた。キアラの内包するマナのほうが膨大なことを。
だが、決して引けない戦いがある。
七回目こそ……キアラと共に…………。
「!?」
次の瞬間、レオナルドの全身が輝き出した。それはどんな光魔法より、白さを帯びていた。
光の増加と同時に、力がみなぎる。
かつて、帝国の地を震撼させた魔女と禁忌のマナは、今では滅亡している。
魔女のマナは恐ろしく、人間の精神を操り、他のどのような魔法をも凌駕していた。その力に勝るマナなど、この世に存在しなかったのである。
――では、そんな最強の魔女の力は、なぜ滅んだのか?
それは、突如として魔女のマナを無効化する力を宿した者が現れたからだった。彼は新たに目覚めた力で、単独で魔女を倒したのだ。現皇族の祖先だった。
その力に目覚めた者が、ここに、もう一人――……。
「はああぁぁっ!!」
レオナルドが放つ光が更に巨大化していく。広場をすっぽり包み込み、まるで太陽まで飲み込んでしまいそうな勢いだった。
地響きのような音が起こり、ガタガタと大地が揺れ出す。一部の建物が倒壊していき、人々はパニックになって散り散りに逃げ出して行く。
――ドンッ!
耳をつんざく、けたたましい爆発音。
白い光が黒い電撃を弾き返しているのが微かに見えた。
すぐに皇都が真っ白になった。
そして、無。
しばらくして人々が目を開けた時、堂々と立つ皇太子がいた。
興奮を抑えた沈黙が流れて、
やがて、
「わあああああぁぁぁぁぁぁっっ!!」
溢れんばかりの歓声が皇都中に響いた。
皇太子が、魔女に打ち勝ったのである。
いや、正確には彼女は魔女ではない――ということだろう。
「ぐっ……」
「レオナルド様!」
片膝を付いたレオナルドに、キアラが急いで駆け寄って彼の身体を支えた。綺麗な顔が涙でぐしゃぐしゃになっていた。
「申し訳ございませんっ……私の、せいでっ……」
「何を言ってるんだ。はじめから何もなかったんだよ」
「そんな……」
レオナルドは愛おしそうにキアラを見る。それから彼女の額を軽く指で弾いてから、皇帝のほうへ顔を向けた。
「陛下。ご覧の通り、私はなんともございませんでした。ですので、彼女は魔女ではありません。
また、魔法に覚醒したばかりの者は、己のマナを制御できない傾向がございます。彼女のマナの量はあまりに膨大です。
それこそ、私以上の力を持っております。なので、目覚めたばかりで力が暴走しただけでしょう」
「なにをっ――」
皇后が反論しようとすると、皇帝は手を払って牽制した。
「…………」
皇帝はしばらく黙って皇太子を見つめていた。緊張が背中を走る。キアラはなんとか上手くいくように、見守るしかなかった。
数拍して、
「そのようだな。――リグリーア伯爵令嬢は魔女ではない。公式文書に記録しておくように」
それだけ言って皇帝は踵を返した。
キアラとレオナルドは顔を綻ばせて、互いを見つめ合った。
二人ともぼろぼろだ。それでも、とびっきりの笑顔を向けあった。
これで、魔女裁判は一件落着だ。
だが、彼女は婚約者と話し合わなければならない。ちゃんと過去と向き合わねば。
「レオナルド様、私は、あなたにお話したいことが――」
「きゃあぁぁぁっ!!」
次の瞬間、場内で悲鳴が沸き起こる。
広場を囲うように、魔獣の群れがやって来たのだ。




