40 揺れる心
(懐かしいわね……)
地下の牢獄に放り込まれた時、はじめに出た感想はそれだった。
最初の人生から七回目。まさか、今回もここに来ることになるなんて。
(今度こそ上手くいくと思ったんだけど……)
キアラの心は、薄暗い景色に溶け込みながらゆっくりと沈んでいく。
後悔することは沢山あった。あの日の行動、あの時の言葉……。もっと神経を尖らせて、慎重になるべきだった。
左指にはめられたリングを、一度だけさする。レオナルドから貰った指輪だ。
取り付けられた魔石が魔女のマナを抑える効果があるが、あの時、力を解放したことによって粉々に砕けてしまった。
だから今は、ただのゴールドのリングだ。それでも、これを身に付けていると彼と繋がっているような気持ちになって、少しだけ安心感を覚えた。
(レオナルド様に迷惑をかけてしまったわ……)
指輪を眺めていると、にわかに婚約者の顔が浮かび上がってきて、胸がぎゅっと痛んだ。
キアラが今一番悔やんでいることは、自分がレオナルドの足枷になってしまったことだ。きっと今頃、彼は皇后たちに責められているのだろう。
魔女は帝国にとって脅威だ。婚約者として責任を問われるのは間違いない。
そして、最悪は……廃太子と処刑…………。
(七回目も私のせいで彼が死んでしまうの…………?)
キアラがそれに初めて気付いた瞬間は、脈が一気に跳ね上がって、頭の中をぐしゃぐしゃにかき混ぜられたみたいに気がどうかなりそうだった。
それは、彼女がこれまでの記憶を整理していた時のこと。
レオナルドと契約を結ぶことになって、彼を皇后に勝たせるために過去の出来事を紙に書き記してまとめていたのだ。
過去六回の事件を、改めて年表風に並べたものをぼんやりと眺めていた時に、それに気付いてしまった。
(私の行動が、結果的にレオナルド様を追い詰めていたの……!?)
愕然と頭を垂れる。
それは、目を背けたくなるような事実だった。
キアラはダミアーノに操られて、数々の陰謀を実行していた。その中の一つが、いつも皇太子に大ダメージを与えるような恐ろしい策略だったのだ。
あの頃はただのダミアーノの操り人形だったので気付かなかったが、「人間」に戻った今、残酷な事実が彼女の心をズタズタに引き裂いていく。
(嘘よっ……嘘っ…………!!)
汗が滝のように額から流れた。心臓は爆発しそうだった。魅了魔法で操られていたとはいえ、己の行動が結果的に皇太子を殺していたのだ。
おそらく、レオナルドは己の回帰の繰り返しを知っている。そして、キアラも同じ運命を辿っていることも。
なのに。
彼は全てを承知で、七回目はキアラの隣にいるのだ。
間接的ではあるが、六回も己を殺した相手と。
それは無意識だったが、彼女の中で「何か」が芽生えつつあった。
近付いてくる足音で、はっと我に返る。この弾むような軽やかな音には聞き覚えがあった。
暗闇の中からだんだんと近付いてくる人影は――、
「ジュリア!」
「キアラ様、お食事を持って来ましたよー!」
普段と変わらない、いつもの侍女だった。
みるみる安堵感で満たされて、キアラは思わず頬を緩める。侍女が無事で本当に良かった。
「ありがとう。でも、あなたも拘束されたって聞いたけど……」
「はいっ! 皇太子殿下が助けてくださったんです。おまけに回復魔法まで掛けていただきまして、私、今とっても健康なんですよー!」と、ジュリアはケタケタと笑った。
「回復魔法って……。まさか、拷問されたの!?」
「えっとぉ〜、まぁ、少しは痛い思いをしましたが、もう平気でっす!」
ジュリアの笑顔が痛々しく見えて、キアラも肌を刺されたような気分だった。
全部、自分のせいだ。胸の奥が押し潰されるように苦しくなった。
「そんな顔しないでくださいよー! 痛いって言っても、ちょっと平手打ちされたくらいですから」
「でも……」
「今はピンピンです! それに、皇太子殿下の計らいで、こうやってキアラ様の食事係にさせていただいたんですよ! 毒味もバッチリなので、いっぱい召し上がってくださいね!」
「……」
キアラは一拍押し黙ったあと、
「なんで……」
唸るような小さな声を上げた。
「なんでって、私はキアラ様の侍女ですから!」と、ジュリアは誇らしげに胸を張る。
「違うっ……。なんで、まだ私なんかに構うのっ……!」
「え? 侍女だからですけど?」
ジュリアはきょとんと首を傾げる。
「そうじゃなくて……。今の私と一緒にいても、あなたに何のメリットがないわ。レオナルド様は私のせいで廃太子になる可能性が高いし、私自身も魔女として処刑されるかもしれない。これ以上、運命を共にする必要はどこにもない」
「あははー。そうかもしれませんね」
ジュリアはくすくすとおかしそうに笑った。
「笑いごとじゃないの!」キアラは呑気な侍女に苛ついて声を荒げる。「私たちが失脚したら、あなたやその家族にも被害が及ぶかもしれない。命さえも! ……商人だったら、損切りは大事な選択よ」
ジュリアは打って変わって真顔でキアラを見つめる。キアラは彼女の視線に気付かずに話を続けた。
「心配は要らないわ。商会も、もしもの時のために私だけ切り捨てられるように、書類を準備してあるの。金庫の奥に隠してあるわ。だから、あなたはそれを持って――」
「キアラ様!」
にわかに、ジュリアはきっとキアラを睨み付けながら、主人の手を鉄格子越しにぎゅっと強く握った。
「っ……!」
キアラは驚いて思わず身を竦める。
「私は損得でキアラ様の側にいるんじゃありません! 一緒にいたいと思うから側にいるんです!」
「で、でも……」
「そりゃあ、最初は打算はありましたよ? 商人の娘が高位貴族の侍女なんて家の格が上がるし、キアラ様は気前がいいし。でも、何ヶ月もキアラ様と一緒に過ごして、私は損得勘定抜きにこの方にお仕えしたいと心から思ったんです」
「……」
キアラは黙り込む。目頭に熱いものを感じた。過去六回、こんな風に言われたことはなかったから。
そして彼女も、侍女に対して利害関係とは別の感情が芽生えていることを感じていた。ずっと胸の奥底へ、沈めていたけれど。
ジュリアははにかむように微笑み、今度はそれを隠すようにニヤッと皮肉めいた笑みを浮かべた。
「それに、商人を見くびってもらっちゃあいけません! 私たちは、案外、人情で動くものなんですよ? 人と人とを繋げることが、商売というものですから!」
「ジュリア……」
じんわり胸が熱くなって、ついに一筋の涙がキアラの頬を伝った。
嬉しかった。でも、怖かった。
他人を信じたいけど、信じ切ることがとてつもなく恐ろしかったのだ。
それは、過去六回分の、ダミアーノとマルティーナから植え付けられた未だ癒えない傷だった。
ジュリアは、静かに泣くキアラの顔をハンカチで優しく拭う。
「大丈夫ですよ。キアラ様には私たちがいます。それに、皇太子殿下もいらっしゃるじゃないですか!」
「レ、レオナルド、様も……?」
「ええ、そうですよ! 殿下に任せていたら大丈夫です。ですので、私たちは待ちましょう!」
「……。そう……。そう、ね」
キアラは全ての涙を拭って、ジュリアを見る。そして、精一杯笑ってみせた。今の彼女が辛うじて出来る、感謝の気持ちを表す仕草だった。
ジュリアはもう一度、キアラの手を握る。
キアラは、今度は強く握り返した。
レオナルド様がいるから、私たちは大丈夫。
彼のために頑張れるから。
◇
「では、私がキアラ・リグリーアが魔女でないことを証明してみせます」
その時、査問会議では皇太子がとある提案をしたところだった。
「私が伯爵令嬢の魔法攻撃を受けます。この世にあるどのような魔法も、魔女のマナには敵わないのは陛下もご存知でありましょう。
――即ち、彼女の魔法が私の防御魔法を破り……私が命を落とせば魔女、無事だったら魔女ではないということです」
それは、「魔女裁判」の提案だった。




