39 思惑通り
レオナルドが皇都へ戻った時は、もう遅かった。
キアラは騎士たちに捕らえられて王宮の牢獄へ。それに伴い彼女の商会は皇帝命令によって事業の休止、リグリーア伯爵家は屋敷に軟禁状態だ。
全てが、停止してしまった。
◇
「私は、皇后陛下に魔獣の調査を任されていたのです」と、ダミアーノが得々と言う。
議会では査問会議が開かれていた。「伯爵令嬢の婚約者である皇太子が帰還後が望ましい」と皇帝の一言で、会議はレオナルドが戻るまで待たされた。
皇太子派閥の者たちは、主が帰って来る前にどうにかして伯爵令嬢を救おうと画策したが、皇太子という剣と盾がいない状況ではとても皇后に太刀打ちできなかった。
なので、レオナルドは万全な準備が出来ずに会議を迎えたのだった。
「近頃、皇都近辺で魔獣出現の噂がありましたからね」とダミアーノ。
彼のわざとらしいくらいに澄ました顔に、レオナルドはとてつもない殺意が湧いた。
さんざんキアラのことを侮辱して、まだ攻撃を続けるなんて。それに、魔獣を作り出しているのもお前らだろう。
……と、その場で激しく罵りたかったが、証拠も不十分なまま危険な橋を渡るのは却ってこちらが不利になるので堪えた。
「……それで、その際に魔女のマナを測定する魔道具を偶然にも貴公が持っていたというわけか?」と、レオナルドはため息混じりに言う。そんな偶然、あるわけないのに。
「おっしゃる通りです」ダミアーノはしたり顔で返す。「此度の魔獣出没の噂で、皇后陛下が秘密裏に研究をご命令していたのです。陛下は先見の明をお持ちの方ですので」
「文献で読んだことがあったのだ。魔獣の群れと魔女の関係を、な」と皇后。
「それは素晴らしいですね。まるで神ような、見事なご慧眼ですな。私のような凡人には、事件が起こるのを最初からご存知だったように思えます」
「はっ。これくらい出来んようでは、この王冠は載せらるまい」
皇太子と皇后の鋭い視線が交差する。まるで研がれた剣と剣がぶつかり合うような緊迫感だった。
その場から少しでも動いたら皮膚を裂かれそうで、周囲の貴族たちは黙って彫像のごとく固まっている。
「それに、証拠もあるのだろう? ヴィッツィオ小公爵?」
先に皇后が動いた。
「勿論でごさいます、皇后陛下。半月前に、伯爵令嬢の所有する商会の倉庫が魔獣によって荒らされた事件がございましたが……。魔道具により測定したところ、彼女が持つマナと同じものが検出されました」
「つまりは、令嬢の自作自演か? 良からぬ実験でもしていたのかのう?
――例えば、魔獣たちに皇都を襲わせる予行練習とか?」
皇后の衝撃的な発言に、議会がざわめき立った。
「それは単なる憶測です。邪な推測で彼女を侮辱する発言は控えていただきたい」
レオナルドが強く抗議する。
またぞろ二人の間で火花が走った。
「だか……リグリーア伯爵令嬢が、何かしらの魔法を使用したのは確かなようだ」
ずっと沈黙を保っていた皇帝が、重く息を吐く。途端に荘厳な空気で満たされて、周囲の貴族たちは背筋を正した。
「彼女は生まれつき魔法が使えなかったはずだが、どうなのだ? 婚約者から何も聞いていないのか?」と、皇帝は皇太子に視線を向ける。
レオナルドは真っ直ぐに視線を返して、
「私も、彼女からは魔法は使えないと聞いております。ただ、戦場では危機に瀕した者が突如として魔力に覚醒する事象がございます。今回の件は同様の力だと存じます」
「ふむ……」
皇帝は顎を持って思案する。
帝国では、魔法に関しては皇太子の右に出る者などいない。それに、息子は妻より誠実だし、測定に使用した魔道具とやらも公的な魔導機関で認可されたものではない。
ならば、ここは皇太子のほうを信じるべきだろうか。
「彼女は魔女です。証拠もあります」
出し抜けにダミアーノが割って入った。
皇族の会話に割り込むなど無礼極まりないのだが、彼は高ぶった気持ちを抑えられなかった。いつもなら不敬だと咎める皇后も今日は黙ったままだ。
二人の顔は、勝利を確信しているような妙な嫌らしさがあるなとレオナルドは感じた。
「証拠だと?」
皇帝がぴくりと眉を動かす。
「はい、彼女の瞳は『赤色』です」
心臓を突き動かすような動揺が、波動のような勢いで広がった。
赤い瞳は魔女のマナを持つ者特有の色だ。即ち、過去に滅ぼしたはずの禁忌の色。
レオナルドはぐっと喉を鳴らす。牢獄に閉じ込められているキアラの身を案じた。
瞳の色を変える魔道具はまだ開発中のもので、効果は恒久的なものではなく定期的にマナを注入しなければならない。地下牢にいる今、それは既に切れていることだろう。
彼は言葉に詰まる。重苦しい沈黙が停滞していた。湿った風が己を包み込んでいるかのようだった。
だが、それは彼だけかもしれない。皇后とダミアーノはまるで避暑地で寛いでいるかのような涼しげな顔をしていた。
「今思えば……伯爵令嬢と婚約していた頃に、不可解なことがございました」
ダミアーノは聴衆に訴え掛けるように、端から端へ顔を移しながら言う。貴族たちは固唾を飲んで彼を見つめていた。
「元・子爵令嬢、マルティーナ・ミアの件です。私は……確かに彼女と交際をしておりました。将来も約束した仲でした。なのに彼女は、前触れもなく突如第二皇子殿下へと乗り換えました。以降は、まるで人が変わったように、私に対する態度も豹変した。
それに、彼女の最期――あの痛ましい処刑の際、想像妊娠をしておりました。
……魔女のマナは他人の心を操ることが出来ると言い伝えられております。私と子爵令嬢の仲に嫉妬した彼女が、精神を操った可能性も否定できません」
「ふざけたことを言うなっ!」
レオナルドは思わず声を荒げた。弾けるような怒りが、ピリピリと肌を伝って全身に広がっていく。
許せなかった。キアラの不幸の元凶は不貞を行った二人なのに、自分たちのことは棚に上げて。幾度も、彼女の清らかな心を弄んで。人生を破壊して。
(キアラは……過去六回もお前のために己の命を犠牲にしたんだぞ……!)
ダミアーノはにっこりと笑って、
「私は個人的な見解を述べたのみです。本日は査問会議ですから」
「そう言えば、皇太子と伯爵令嬢の婚約も異様な速さだったのう?」
今度は皇后が同意するようにニヤリと笑った。
「もしかして……伯爵令嬢の力を知って、それを手に入れたいが為に急いで婚約を結んだのか? 正当な婚約者から強奪してまで?」
「このっ……!」
「そう考えると全ての辻褄が合う。違うか、皇太子よ?」
レオナルドは皇后を睨め付けた。対する皇后は、余裕の笑みを浮かべている。
毒を孕んだ緊張が、細い糸のように張り巡らされた。冷たい空気が、足元から凍り付かせるようだった。
しばらくの沈黙のあと、
「陛下、これは由々しき問題です」
皇后が大仰な身振りを交えて訴え掛けた。
レオナルドは全身の血が滾るように熱かった。皇后を憎らしく思う気持ちと同時に、己の無能さを激しく呪った。
あの時、皇都から出るのを止めていたら。あの時、もっと慎重に行動をしていれば。
なぜ俺は、キアラを守らなかったのだ……。
「皇太子が伯爵令嬢の力を知り、禁忌のマナを利用しようとなると帝国法に触れています。
それに、皇太子という絶対的な身分を保持しているのに、更なる力――それも禁忌の力を求めるのは……野心があったからではないでしょうか?」
皇后は不気味に笑いながら、貴族一人一人の顔を確認するように見た。
「……野心とは?」
皇帝の重厚な低音が轟く。
そこには、静かな怒りが帯びていた。
「陛下を排して、己が皇帝の座に就くという意味です」
深い闇の中に放り込まれたような静寂が訪れた。
それは、口にしてはいけない恐ろしいことだったのだ。
「謀反を企てた皇太子は、廃太子および処刑が妥当かと」
皇后の声音は、いつになく弾んでいた。




