34 襲来
※若干、血なまぐさい描写あり
「なによ、これ……」
キアラの眼前には、目を背けたくなるほどの酷い光景が広がっていた。
穀物が入った麻袋はズタズタ、蒸留酒の樽は割られて、貴重な織り機はパラパラと骨が崩れ落ちている。
「今朝、酒樽を取り出そうとこちらへ向かったら、既に扉が壊されておりまして……」
商会から緊急の呼び出しを受けて、郊外にある商会の倉庫へ向かったらこの惨状だ。
倉庫内はまるで嵐が直撃したように荒れに荒れ、保管していたものはもう殆どが使い物にならなそうだ。
(なんなの……この違和感は……?)
倉庫の中に足を踏み入れた途端に、キアラの胸はそわそわと波立った。部屋全体に、異様なマナの気配が漂っていたのだ。
(この人工的なマナは……!)
「キアラ様、これっ!」
ジュリアが血相を変えて壊れた樽の一部を持って来た。そこには、鋭利な爪のような引っかき傷があった。
「これって、魔獣の爪痕……ですよね?」
「そのようね」
キアラは頷き、その場の者は全員息を呑んだ。
建国以来、皇都には魔獣など出たことがない。たまに趣味の悪い貴族がペットや見世物として一匹持ち込むくらいだ。
しかし、ここには魔獣のマナが満ちている。そして、キアラしか気付いていない人工的なマナ。
それはおそらく、皇后派閥の者が紛い物の魔女のマナによって魔獣をここに導いた――ということだろう。
(でも、なんのために……?)
考えられることは、キアラとレオナルドの商会を潰したいのだろう。
皇后派閥は今回の第二皇子と子爵令嬢の件で、かなりのダメージを負っている。
そこに東部の洪水への対処で、皇太子と伯爵令嬢の評判は上々。二人の皇子の間には随分と差が付いてしまった。
それを埋めるためにも、資金源になっているキアラたちの商会を潰そうという策略だ。
(……となると、レオナルド様の商会も狙われているはずよね)
不安の影がじわじわと胸に広がって行く。皇后は皇太子が皇都にいない今、積極的に攻撃の手を伸ばすだろう。
(彼がいない間、私がしっかりしなきゃ……!)
◇
皇太子たちが全ての魔獣を倒した時は、すっかり日が暮れてしまっていた。
領主曰く、洪水後に魔獣の出現が増えたのは確かだが、街中にまで現れたのは初めてのことらしい。
しかも、領地の山や森でもこのような大群は見たこともないということだった。
(なにか引っかかるな)
レオナルドは魔獣の死骸を片付けながら思案する。
領主の嘆願書の偽装は、皇太子を皇都から遠ざけるため。魔獣の大群は、皇太子を始末するため。
……どちらも、皇后の陰謀だろう。
皇后が己を殺そうとする行為は、過去六回を含めてもよくあることだ。しかし今回だけは、妙な違和感を覚えたのだ。おそらく、魔女のマナで魔獣を操ってここまで連れてこさせたとは思うのだが……。
(なぜ、わざわざ東部まで……)
人工のマナでも魔獣を操れるのなら、皇都でも何処でも皇太子を襲えるのに。それこそ、騎士団の狩りの演習の際にでも。
その時、一匹の魔獣の死体がふと彼の目に留まった。
それはカエルと豚を混ぜたような不格好な魔獣で、斬られた腹から黒々とした血がだらりと――……。
(血が少なすぎる……? それに、体内から湧き出るこのマナは……!?)
にわかにレオナルドの顔から血の気が引いた。喉元が絞られるように苦しくなる。
頭の中に浮かんだ仮説が正しいかどうか早く確かめたくて、急いでナイフで獣の腹を捌いてみた。
どろりとした血とともに内臓が流れて来る。そこには、小さなな何かが蠢いていた。
「やっぱり……そうなのか…………!」
主人の不穏な様子に、アルヴィーノ侯爵が心配して駆け寄って来た。皇太子は青白い顔をして、ぼうっと魔獣を見つめたままだ。
「……皇都が不味いかもしれない」
「どういうことですか?」
レオナルドは一拍息を止めてから、吐き出すように言った。
「まだ推測の域を出ないが……。皇后は人工的に魔獣を作っている」
小さな虫を魔女のマナで魔獣に。
それは、すぐにでも皇都を囲める量を用意できるだろう。
◇
パーティー会場は、ざわめきが起こっていた。
話題の女性――マルティーナ・ミア子爵令嬢……ではなく、ヴィッツィオ小公爵夫人が現れたのである。それも、単独で。
未婚の令嬢が一人で参加をするのはよくあることなのだが、既婚者がパートナーを伴わずにやって来るのは珍しかった。
参加者たちはまるで珍獣でも見るみたいに好奇な目を向けて、ヒソヒソと今宵の彼女についての見解を述べていた。
マルティーナは公爵家に届いていた招待状を密かに盗んで、屋敷の人間に悟られないようにこっそりと抜け出していた。
きっとダミアーノに知られたら、烈火の如く叱られるだろう。
それでも、構わない。自分の真の運命の相手を救うためにはなりふり構っていられないのだ。
(えぇっと……誰か知り合いの子は……?)
マルティーナは、そんな周囲の嘲りを孕んだ雑音なんてものともせず、かつて令嬢時代だった頃の友人を探していた。
彼女は今夜、騎士さながらの聞き込み調査をしに来たのだ。未だ軟禁されているであろう愛しの恋人――アンドレア第二皇子の情報を掴むために。
「あっ! 侯爵令嬢!」
「っ……!」
彼女はお友達を見つけると、ぱっと笑顔になって駆け寄った。
「ご機嫌よう。お久しぶりね」
「……」
侯爵令嬢は顔を引きつらせながら軽く会釈をすると、逃げ出すようにすぐにその場を去って行った。こんな恥知らずな女と知り合いだなんて、周囲に知られたくなかったのだ。
「どうしたの……?」
他人の感情に鈍感なマルティーナは「お腹でも痛いのかしら」と首を傾げたが、時間が惜しかったので次のターゲットを探した。
しかし、どんなに目を皿にしても友人の令嬢たちは見つからない。今日は高位貴族主催の夜会なので絶対に参加していると思っていたのだが、見当外れのようだ。
実のところはマルティーナのかつての友人たちは、侯爵令嬢と同じく知人だと知られたくないので彼女に見つからないように隠れていたのだが。
ホール内を隈なく探索して、友人が一人も見つからずに諦めかけたその時だった。
「アンドレア様……?」
マルティーナの碧色の円い瞳に、愛する恋人の姿が映ったのだ。




