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もう、あなたを愛したくありません〜ループを越えた物質主義の令嬢は形のない愛を求める〜  作者: あまぞらりゅう


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32  最悪の結婚生活

「なんでっ……! なんで、わたしが公爵令息なんかと一緒にならないといけないのよっ!」


「それはこっちのセリフだ……!」



 ヴィッツィオ公爵家で、今日も若い夫婦の大喧嘩が始まる。

 それは、正式に婚姻が決まって子爵令嬢が初めて公爵家に足を踏み入れた日から、今日(こんにち)までずっと続いていた。


 従者たちは最初はおろおろと二人の様子を見守っていたが、今れはすっかり慣れてしまった。彼らはこの低俗な嵐が通り過ぎるのを樹木のように静かに待つだけだ。……正直、うんざりだが。

 

 マルティーナは可愛らしい顔面が醜く歪めながら言う。


「本当に最悪。ドレスも宝石も買えないし、屋敷も思ったよりショッボ。晩餐なんて、平民の商人のほうが豪華なんじゃない?」


「……嫌なら出て行けと何度も言ったはずだ」


「それが出来るなら、すぐにでも出て行くわよっ!!」


 マルティーナの金切り声が玄関ホールに響いた。怒りのあまり顔を真っ赤にさせて、息も荒くしている。

 そんな元・可愛い恋人に、ダミアーノは氷のような冷たい視線を一瞬だけ向けたと思ったらすぐに興味なさそうに顔をそむけて、執事との会話を再開させた。


 新婚の夫婦の間には、キスもハグも、挨拶さえもない。

 二人の目線が交わることもなく、そのままダミアーノは屋敷を出て行った。


 残されたマルティーナは、ぶつけようのない激しい怒りを発散するように号泣し始める。

 公爵家に来た当初は、近くにある花瓶や調度品にも当たり散らしていたが、これ以上貴重な品を破壊されたら困るので、執事が全てを倉庫へ仕舞った。

 なので今では、誇り高い公爵家にあるまじき殺風景な屋敷になってしまった。


 これが、最近の夫妻の朝の風景だ。

 主たちの痛々しい姿を従者たちは見て見ぬ振りをして、それぞれの仕事へと向かう。

 さんざん涙を流した小公爵夫人は、しばらくすると、しゃくり上げながら無言で一人部屋に戻るのが常だった。




(クソッ、忌々しい!)


 王宮へ向かう馬車の中で、ダミアーノは何度も毒を吐く。

 あんなに深く愛していた元恋人なのに、今では憎悪と嫌悪しか残っていなかった。最高に可愛らしいと思っていた顔も、今は卑しさが滲み出た醜いものにしか見えない。


(皇子に近付くためにオレを利用した、薄汚いビッチめ!)


 こんなはずではなかった。

 彼の計画は邪魔者のキアラを始末して、功績を上げて誰からも文句の付けられない状態でマルティーナを迎える予定だった。


 そのために、これまで血を吐くような努力をしてきたのに。

 運命の恋人のために、頑張ってきたのに。彼女のためだけに、生きてきたのに。


(なのに……)


 なんで、こんなことになってしまったのだろう。

 彼は己の凄惨な運命を、酷く呪った。


 二人の間には、もう「愛」などは存在していない。







 第二皇子アンドレアにかかった魅了魔法は、ある日突然プツリと途切れた。

 それは意外にも、呆気なく、脆かった。あれほどの熱情は、一瞬でどこかへ吹き飛んでしまったのだ。


 アンドレア本人も、なぜあのような田舎くさい令嬢に一目惚れをしたのだろうと不思議で仕方なかった。まるで何か得体の知れない熱に浮かされていたみたいだ。


 しかも、あんな冴えない娘と公衆の面前で婚約宣言をしたという事実。

 あの日のことを思い起こすと、暗澹たる気分になった。魅了魔法の話を聞くと、絶望した気分になった。

 もう、女とは関わりたくないと思った。


 皇后はこの急激な変化を不審に思って、早速研究者たちに調査をさせた。

 だが、結果は今回も原因不明。おそらく第二皇子は魔女のマナの耐性が他の人間より低く、魔道具でも解消できないくらいに深く影響を受けていたのだろう。

 ――彼らはそう結論付けた。

 

 そうなると、不可解なこと浮かび上がった。マルティーナ・ミア子爵令嬢だ。

 彼女は未だに皇子への熱が冷めておらず、今もアンドレアのことを熱烈に愛している。それは周囲から見て、思わず目を逸らしたくなるくらいに恥ずかしいほどだった。口を開けばアンドレア様、寝ても覚めてもアンドレア様、だ。


 ならば、この痴れ者については、最初から本気でアンドレアを()()()()()――ということだろう。

 本当に皇子妃の座を狙った計画的な犯行だったのだ。


 恐ろしいことに、彼女は皇子に近付くために、先にヴィッツィオ公爵令息と懇ろになって……。


 皇后は珍しく頭を抱えていた。

 アンドレアのほうは正気に戻って一安心だが、子爵令嬢との婚約宣言は既に世間の知ることとなり、あまつさえ平民たちが身分差の恋に熱狂している。

 ここまで噂が広がったら、いくら皇族という絶対の身分でも強引な手は使えない。


 そんな時、一条の光が皇后の前に舞い降りてきた。

 皇太子が作成したヴィッツィオ公爵令息とミア子爵令嬢の不貞の証拠の資料である。


 その文書は、ご丁寧にも議会の資料庫に保管されていた。それは公的な書類として認められているということだ。

 そこには、ダミアーノとマルティーナの肉体関係があったという証拠まで事細かに記録されていたのだ。


 令嬢が――特に皇子と縁続きになろうという娘が、純潔でないなど絶対にあってはならない。ましてや、既に婚約者がいる令息と不貞など。


(これは……婚約破棄の正当な理由になる…………!)


 皇后はすぐに動いた。

 まずは傘下の新聞社に、スクープとして公爵令息と子爵令嬢の不貞の証拠を流す。そして平民たちが大騒ぎになっている間に社交界での根回し。

 最後に、議会で正式に二人の婚約破棄宣言だ。


 計画は上手く行った。

 貴族社会では未婚の令嬢の姦通は罪だ。ましてや自身の身分より高い伯爵令嬢の婚約者を略奪、さらに皇子と公爵令息の二股。

 この破壊力は抜群で、アンドレアは完全な被害者として婚約を破棄することができた。

 もっとも、陰では馬鹿だ間抜けだと貴族たちから嘲笑されているかもしれないが、そのような不敬な連中はいずれ始末すればいい。


 皇后は、この時ばかりはレオナルドに感謝した。あんな素晴らしい証拠品を置いてくれて、継母(ははおや)思いの、なんと立派な息子だろう。

 彼女の計画は、皇太子が東部へ向かっている間に速やかに進められたのだった。

 

 そして、仕上げは……、


「ダミアーノ・ヴィッツィオ公爵令息。此度の騒ぎは、元はと言えばおぬしが子爵令嬢に手を出したことから始まった。由緒正しきリグリーア伯爵令嬢という婚約者がいながら。――違うか?」


「おっしゃる通りでございます……」


「ならば、けじめを付けろ。男として責任を取れ」


「…………承知いたしました」


 現段階の最大の懸念は、子爵令嬢の処分だ。

 慣例通りならば、皇族を騙していたのだから処刑が相応しい。しかし、アンドレアの人気取りのために殺すことは止めておいた。処罰は子爵家の爵位剥奪のみだ。


 今後、皇位継承において市井(しせい)から事件を蒸し返される可能性がある。その際に「殺した」と「殺さなかった」では大きな違いがあるだろう。


 皇后は口の端を上げて、


「そなたが物分かりの良い人物で安心したぞ。代わりに公爵家の賠償金の件は、私から皇太子に請求しないように言ってやろう」


「ありがとうございます」


 ダミアーノは恭しく頭を下げるが、複雑な心境だった。

 もどかしい気持ちを押し潰すように、ぐっと歯を食いしばる。父から殴られた頬が、軋むように痛んだ。


 あの男好きの売女などと婚姻するくらいなら、天文学的な賠償金を一生かけて払い続けるほうがマシだと思った。もう、あんな女、顔も見たくない。


 だが、家門のことを顧みれば、皇后の命に従うのが得策だろう。

 皇太子への賠償金を払うためには、公爵家の財産を全て売り払わなければならないことは、彼の頭でも重々に理解できた。屋敷も、領地も……最悪な事態だと爵位もなくなるかもしれない。


 そのような惨めな境遇に陥るくらいなら、子爵令嬢を引き取るほうがヴィッツィオ家にとって最善なのだと考えた。


 こうして、ダミアーノとマルティーナはついに悲願の結婚を達成したのだった。

 二人とも、今となっては……非常に、非常に、不本意ではあるが。







(アンドレア様は、いつ迎えに来てくださるのかしら……?)


 冷たいベッドの上で、マルティーナは今日もさめざめと泣く。

 恋人への想いは募る一報だった。あんなに愛し合っていたのに、騎士たちに強制的に引き剥がされて、軟禁されて、毎日のように魔道具や魔法陣の実験台にさせられた。

 やっと扉が開いたと思ったら、冴えない公爵令息との結婚だ。


 自分の恋人は第二皇子なのに、意味が分からなかった。

 いくら抗議をしても、返事は「皇后陛下のご命令です」だけ。


(きっと子離れできない母親が、可愛い息子を取られまいと意地悪をしているんだわ)


 にわかに、彼女の中に激しい怒りの炎が湧き上がった。愛し合う男女が結婚するのは当たり前で、それは誰からも侵害されない権利だ。いくら肉親でも邪魔はさせない。


 アンドレアが迎えに来ないのは、おそらく彼はまだ軟禁状態で、恋人に会いに行きたくとも一歩も外に出られない状態なのだろう。

 ならば、やることは一つ。


(わたしがアンドレア様を救いに行かなきゃ……!)


 彼女の覚悟は、既にもう決まっていた。




 馬車の揺れと蒸し暑さが、ますますダミアーノを苛立たせた。今日は久し振りに皇后との謁見が叶ったが、気分は重く、窓の外の景色もどんよりと薄暗く思えた。


 しかし、いつまでも意気消沈しているわけにはいかない。

 皇后の信頼も消え失せ、現状のままではヴィッツィオ公爵家は没落する一方だ。なんとか、突破口を開かなければ。


 己の輝かしい未来の計画の全ての歯車が狂ったのは、キアラ・リグリーアのせいだ。

 何がなんでも、あの女だけはこの手で沈めたい。ついでに皇太子も刺すことができたら、皇后陛下から再び目にかけてもらえるはずだ。


 彼の覚悟も、既に決まっていたのだ。



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