29 繋がった
「最悪だ……最悪すぎる……」
皇后ヴィットリーアは絶望に打ちひしがれていた。
力なく椅子にもたれ掛かって、がっくりと頭を垂れ、ぶつぶつと呪詛を吐くように呟く。深いためいきも定期的に聞こえた。
そこには、普段の背筋を真っ直ぐに伸ばし、凛とした皇后の姿はどこにもなかった。
これほどの挫折感を味わったのは、いつぶりだろうか。
否、今まで生きてきて初めてかもしれない。
彼女の人生は全てが順風満帆とはいかなかったが、どんな困難も頭脳と努力で乗り越えてきた。そうしての皇后の座にまで上り詰めたのだ。
先に側室が皇帝の子を産むという不測の事態はあったものの、まだ挽回は十二分に可能な状態だ。皇后という絶対的な身分と陰謀で、皇太子の立場を奪う機会はいくらでもあるのだ。
だが……我が大馬鹿息子のせいで、それも困難になりつつある。
アンドレアの女癖の悪さは周知だった。英雄色を好む――将来、皇帝になる者なのでそのような性質も仕方のないと思っていた。むしろ、女を知らない王のほうが気色悪い。
それに、万が一なにか問題が起こった時のために、監視の目は光らせていた。最側近には皇子の愚かな行動を止める権利も与えていた。
だから、このような大スキャンダルに発展するような事態が起こることなど、ないはずなのに……。
既に、第二皇子の子爵令嬢との婚約宣言は、社交界のみならず平民にまで知れ渡ることになってしまった。しかも、皇都では身分違いの恋に庶民たちは大騒ぎだ。
彼女はすぐにでも子爵令嬢とその一族を暗殺するつもりだったが、現状だと子爵家の不自然な死は、真っ先に皇族――そして皇后に疑惑が向くだろう。
となると、アンドレアの皇太子の椅子は遠のいてしまうかもしれない。
(愚民どもがっ……!)
皇后は皇族らしくない下品な舌打ちをする。
脅威ではないが数の多い平民を敵に回すのは今は得策でないと思った。いや、そもそも彼らがスキャンダルを忘れる日など来るのだろうか……。
そして、それ以上に悩ましいことが一つ。
アンドレアもマルティーナも、魔道具の効力が切れないのだ。
魔女のマナは、禁忌とされている魔導書を参照に作り出したものだ。それは、皇族の中でも中心となる位の者しか立ち入りのできない場所に厳重に保管してある。
計画は長い年月を掛けてで水面下で動き、本物のマナにかなり近い状態まで開発できた。
毒薬を作る薬師は、同時に解毒剤も作成する。誤って作用したの場合の保険のためだ。あるいは交渉の一つとして。
なので、魔法を解除する魔道具も、当然同時に開発していた。それらは何度も何度もテストして、無事に完成させた。それが効かないなんて、あり得ない。
(二人は魔道具関係なしに愛し合っているということなのか……?)
だが、二人に愛を積み重ねた事実などない。あの日――今となっては忌々しいお茶会で初対面だった。調査の結果、過去に二人が出会ったこともなかった。
ならば、互いに一目惚れということ? それにしては、愛が重すぎる。
皇后は殿方を本気で愛したことなどなかった。
皇帝とは地位と権力を目当てに婚姻を結んだし、令嬢時代も恋人など作ったことはなかったし、むしろ誰と婚約をすれば一番得かしか頭の中になかった。
果たして、初対面の男女がすぐに婚姻を考えるほどの、身を焦がすような恋をするのだろうか。
ましてや子爵令嬢は、息子の好みのタイプとはかけ離れているのに。
(なにか引っかかるな……)
妙な違和感が、胸の奥につかえていた。
不意を突かれた皇太子の婚約発表以来、おかしなことが多すぎる。それも、こちらに不利なことばかりだ。
(見落としていることは……)
皇后は深く深呼吸をしてからゆっくりと瞳を閉じる。
一度、冷静になって考えたほうがいい。
アンドレアとマルティーナには解除の魔道具は効かなかった。
そこから導かれることは、二人が魔道具など関係なく相思相愛。または……魔道具よりも強力なマナを持つ、別の魔法が掛かっているということだ。
裏切り者がいて、研究を盗み出されたのだろうか。
いや、研究施設は幾重にも鍵や魔法で守られているし、魔法契約で謀反者はその瞬間に肉体が燃え上がることになっている。
なので、その確立は低いはずだ。
(ならば……魔道具以上のマナの力? 魔女のマナを持つ者など、この世には、もう――……!?)
その時、皇后は弾けたように顔を上げて、息を呑んだ。無造作にばらけていたピースが繋がり始める。
皇太子の急すぎる婚約。まるで強奪するようだった。
あの時はあの用心深い男が、女に溺れてこのような浅はかな真似をするのだなと喜んだが……そもそも、その前提が間違っているとしたら?
以前、ヴィッツィオ公爵令息が「伯爵令嬢に魔道具が効かない」と報告がきたことがあった。
散々テストを重ねて完璧に作り上げたのにそんなはずがないと調査をしたところ、現になんの問題もなかった。
しかし、二度目も魔道具は不発に終わったのだ。
研究者の見解によると、リグリーア伯爵令嬢が貴族のくせに魔力を持っていないので、効果が薄いのではないか……という結果になった。
魔力の持たない平民の中には、魔力の効果を全く感じない者もいるらしい。だから令嬢もそういう体質なのだ、と。
皇后はごくりと喉を鳴らす。
にわかに興奮して、顔が蒸されるように熱くなった。
(もし……リグリーア伯爵令嬢が、魔女のマナの持ち主だとしたら…………?)
そう仮定すると、全ての事柄の辻褄が合う。
伯爵令嬢は魔女のマナの持ち主だから、魔道具がきかなかった。
伯爵令嬢は魔女のマナの持ち主だから、魔道具でも消せない別の魔法を二人にかけた。
伯爵令嬢は魔女のマナの持ち主だから、皇太子は強奪してでも早急に彼女を手に入れた。
ヴィットリーアは、ニヤリと口元の端を歪ませる。
(皇太子は伯爵令嬢が魔女のマナの持ち主だと知っている……!
そして、令嬢も承知の上で、手を組んでいる……!)




