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女心は春の空

作者: 天透 奎

もう一生口を利かない。目も合わせてやらない。連絡先も消して…やろうとして、止めた。もしかしたら向こうから謝ってくるかもしれないから。でも、謝ったって許すもんか。見るも無惨な姿になった前髪に触りながら、私はそう決意した。


由美ぃ、私美容師になりたくてさぁ。ちょっと髪の毛弄らせてよぉ。そう言われた時にはまだ、私はあんたを親友だと思ってたよ、麻里。

美容師になりたいって豪語するからには、そりゃ、それなりに技量はあるだろう、って勝手に見込んだ私にも非はあるかもしれないけど。

えー、じゃあ前髪切ってよ。最近伸びてきてうっとおしかったんだよねー。OK、任せて!おっ、自信ありげな返事じゃん、なんて期待すらしていたんだ。

完成形は出来上がってからのお楽しみ、ってことで、麻里の部屋、麻里と私がゴミ箱を挟んで、向かい合わせになった体制で散髪が始まった。最初は楽しそうに笑ってた麻里の顔が段々曇ってきても、呑気な私は試行錯誤してるんだなぁ、まるでプロみたい、とか思ってた。

だから震える手で鏡を差し出された時、そこに映る自分を見て思わず悲鳴を上げちゃった。

瞼まであった髪が眉上までばっさり消えていて、それも整ってなくて毛先がザラザラ。確かテレビでこんな芸人を見た気がする。名前はなんだったか…

別にその人を馬鹿にしてる訳じゃない。問題は、私は人を笑わすのが仕事のエンターテイナーじゃなくて、今をときめく女子高校生ってこと。

でもその時の私はまだ冷静だった。というより、怒りよりも驚きが勝っちゃって、何にも言葉が出なかった。だから多分、誠心誠意謝られたら、勢いに流されて許していたと思う。そうはならなかった、ってことは、今の私を見たら明確だけどね。

…あー、なんていうかさ。うん、似合ってるよ!可愛い可愛い!

降ってきた適当な賞賛に、カチーンと来た。何、開き直っちゃってんの。頭に血が上って、気が付いたらキツめの言葉を吐いてて、そこからは売り言葉に買い言葉。怒りに身を任せて麻里の家を飛び出し、帰ってきて、今に至る。

人は誰しも失敗くらいする。それに本気で怒っちゃうなんて。ちょっぴりそんな後悔は過ぎったけど、鏡を見る度吹っ飛んでしまう。もう麻里と仲直りなんてできっこない。幼稚園からの付き合いで大切な親友、でも髪の切れ目が縁の切れ目、という言葉がある…あれ、なんか違うような?まぁ、いいか。

いつも麻里は私の家に来て、一緒に登校していたけど、あれだけ喧嘩した手前明日は来ないだろう。学校で会ってもそっぽ向いてやる。夜ご飯を食べてお風呂に入って歯を磨いて、遂には眠るその瞬間まで、私の硬い誓いは揺るぐことは無かった。


お母さんから「麻里ちゃん今日は来ないの?」と聞かれたのを曖昧に返しつつ、朝の支度を済ませる。髪のセットにはいつもの二倍時間をかけたけど、無駄だった。結局昨日と変わらない姿のまま、渋々家を出た。嫌がらせかと思うほど、雲ひとつない長閑な晴天だ。

やけに太陽が眩しく見えるのは、やっぱり額を覆う前髪を失ってしまったからか。道行く人の視線が全て自分を哀れんでいるように見える。どうかクラスメイトに会わないように…なんて、勿論叶わない願いに決まってる。

「おはよう、由美ちゃ…」

学校の近くまで来たところで、元気よく朝の挨拶をしてくれた同級生。振り向いた瞬間、言葉尻が小さくしぼんでいった理由も、顔が引き攣っている理由も痛いほど分かってる。

「えっと、前髪どうしたの?」

「いやぁ、ちょっとね…」

「今日は麻里ちゃんと一緒じゃないの?」

「ちょっとね」

優しいその子は、それ以上突き詰めずにいてくれた。友達との会話は気を紛らわすには最適で、段々とドス黒い気持ちに一筋光が差してきた。持つべきものは、前髪を切ってこない友人だ。そんなことを思いながら校門をくぐって、教室に向かっていた私は、待ち受けている最大の苦境のことをすっかり忘れていたのだ。


つい一週間前、席替えがあった。くじ引きで完全に運任せ、祈りながら引いた結果は、場所的には真ん中の前の方で、正直微妙だった。でも隣の席を見た時、憂鬱はあっという間に吹き飛んだ。最近気になっていた、サッカー部の田中くんと隣だったのだ。

アイドルみたいに整った顔じゃないけど背が高くて、気さくで、クラスのムードメーカー。隣になってからは由美ちゃん、と呼んでくれて、名前を呼ばれる度、少女漫画のヒロインさながらに胸を高鳴らせていた。遅咲きの春が来た、と舞い上がっていたっけ。

教室に入って自分の席を見つけた時、私はようやく事の重大さに気づいた。田中くんに、この前髪を見られてしまう。この、凄惨たる出で立ちを。思わず足が止まる。

「由美ちゃん?」

「あ、ううん、なんでもない!」

急に停止した私を心配そうに見てくる友達の姿に、我に返る。挙動不審だと余計に怪しい。ここは敢えて堂々と、それでいて上手いこと前髪が見えないよう少し屈みながら過ごす他ない。昔から隠し事が苦手で、勝手にお菓子を食べたのがバレてよくお母さんに叱られていたけれど、今ならきっと大丈夫。

そういえば、怒られてる時に、私が食べようって誘ったの、とお母さんに一緒に謝ってくれたのは麻里だった。今になってこんなことを思い出しても、意味は無いけど。

幸い田中くんは近くの席の男子と談笑していて、私が隣に座ったことにも気づいていないみたいだ。直にホームルームが始まる。この調子で上手いこと、顔を合わせて話すタイミングが来なければ…いや、せっかく隣になったんだから出来ることなら話したいところだけど、仕方ない。どうか、荒波立たず平穏に過ごせますよう、と神に祈りを捧げた。


神なんていない。そもそも神様がいたなら、きっと私の前髪は悪の手から護られていたはずなのだ。

一限、ペア学習の無い教科だから、顔を合わせることも話すこともないと思っていたのに、隣から軽く小突かれた。

「ごめん、実は今日の予習確認のとこ、ちょっとだけ終わってなくてさ。由美ちゃん、見せてくれない?」

なんでよりによって、今日!と叫びたかったのを堪えて、顔を逸らしながらノートを差し出した。ありがとう、と優しく微笑みながら言ってくれたのに、それを直視出来ないのが心底残念だ。

先生が机を回り始めて、私達の列に来る前にどうにか書き終わったらしい田中くんが、ノートを返してくれる。出来るだけそっぽを向いたまま、ノートを受け取ろうとした。

「由美ちゃん…?ちょっとこっち見て?」

少女漫画なら頬が紅潮するような台詞にも関わらず、多分今の私は顔面蒼白。声をかけられちゃ無視する訳にもいかなくて、部品の足りないロボットみたく不安定に首を動かす。

「…ふ、ふふ…ごめん、なんでもない」


笑った。確実に、前髪を見て笑われた。


ショックを受けたら周りの音がスッと消えるなんて、映画だけの話だと思ってたのに、ほんとになんにも聞こえない。先生が予習の点検を終わらせて授業を始めても、まったく知らない言語みたいに耳を通り抜けていく。

私の春、終わっちゃったのかな。脳内で咲き誇った桜の枝が、チョキン、と植木バサミで切断される感触がした。


一限が終わるチャイムが鳴ってもしばらく呆然としていた私に、田中くんが話しかけてきた。

「さっき、ごめんな。急に笑っちゃってさ」

「あぁ、うん…」

もう掘り返さなくていいのに、と軽く心の中で毒付きながらも、覇気のない返事をする。

「前髪切ったんだよね」

「私じゃなくて…まぁ…切ったけど」

「いや、由美ちゃんの印象ガラッと変わったなー、って思ってさ。ちょっとあどけない感じ、みたいな?奇抜だけどさ、結構好きだよ、俺」


ケッコウスキダヨ、オレ?


ときめいたら景色が一面桃色に染まるなんて、漫画だけの話だと思ってたのに、ほんとに椅子も机も空も真っピンクだ。今度こそ頬がぽっと赤くなるのを感じる。急降下した気分は一気に有頂天、やっぱり神様はいるんだ、と宙に浮かぶ見えない何者かに手を合わせ感謝した。


休み時間、廊下をスキップして、窓ガラスに映る自分に挨拶。ごきげんよう、あどけなくて可愛い私!今や前髪を隠そうという気は微塵も起こらなかった。それどころか、私は全ての元凶である麻里にハグでもしてやりたいとさえ思っているのだ。

ちょうど前からは麻里が歩いてくる。彼女が一言ごめんと言ったら、寛大な私はあっという間に許そう、と思っていた。さもまだ麻里のことに気づいていませんよ、と示すように白々しく振る舞いながら、麻里と距離を縮めていく。

麻里は私を一瞥したあと、バツが悪そうに足早に過ぎ去ってしまった。


朝の私なら、麻里の態度に怒り狂っていたところだろう。しかし好きな人の言葉によって正気を取り戻していた私は、それを至極冷静に受け止め、帰り道で分析までしていた。

麻里も謝りたいんだと思う。あの顔は怒ってるというか、気まずいな、って顔だった。実際、私も最初は謝っても許さないってつもりでいた訳だし、あぁなるのも無理はないよね。

もし、このまま麻里が謝ってこなかったら。私から謝るべき?いや、私は切られた側だし。そりゃ、失敗もあるって考えられなかったのも、ちょっと勢いで酷いこと口走ったのも私だけど、謝るなら普通麻里の方からだ。

思えばこれまで、麻里とは何回も喧嘩した。ほんとにくだらないことから一週間口を聞かないくらい大きないざこざまで、色々。それでもこうやって同じ高校に入って、一緒に登校してきた。どうやって仲直りしてきたんだろう。あまり思い出せない。

明日までに思い出さなきゃな、と思った。私から謝るのは癪だけど、仲直りがずっとできないのは、やっぱり嫌だ。片意地張っても仕方がない。髪の毛と違って友情は、切れてから時間が経てば経つほど、元通りになるのが難しいから。


結局、思い出せないまま次の日の朝を迎えた。あまり寝付きも良くなくてふわぁ、と大きな欠伸が出る。

まぁ、もう前髪を整えるのに闇雲に時間をかけることもないし、のんびり朝の準備をしよう、と思っていた。

「由美、麻里ちゃん来てるわよ」

チャイムの後、お母さんからそう言われて、慌てて朝の支度を終わらせて玄関の扉に手をかける。開けて、真っ先に、なんて言ったらいいんだろう。麻里は謝りにきたのか、それともまさか絶交を言い渡しにきたのか。

恐る恐る扉を開く。

「…え?」

「…おはよ」


そこに立っていたのは、確かに麻里だった。

前髪が、私とお揃いになった姿の。


「どうかな?似合う?」

「…ぷっ、あはははは!似合ってる似合ってる、可愛いよ麻里!」

「だよねー。私やっぱ美容師になってさ、この髪流行らせようと思うんだ」

「もはや逆にありかも!ニュートレンドじゃん」

自然と、詰まらず言葉が出てくる。昨日まで喧嘩してたなんて嘘みたいに。

「よし、まずは学校で流行らせていこっか」

「さんせー!」

ドアからするり、と全身を押し出す。今日はちょっと曇ってるのに、外がきらきら眩しい気がした。


多分今、私達、仲直りしたな。ふと気づいて、同時に思い出す。これまでも、お互い言葉で謝った回数より、こうやって自然に、気が付いたら仲直りしていたことの方が多かったっけ。

これから先も、ずっと一緒にいたら、喧嘩することはあると思う。気持ちってどうしても操れなくてコロコロ変わっちゃうから、許せない日もある。

でも、最後にはきっと、こうやっていつも通り並んで朝を迎えるんだ、私達。薄い影ふたつ揺らしながら、校舎へと向かった。


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