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第十五話 気づく恋心


「ただいま~って、母さんはそりゃバイトだったな」


 そんな独り言を言いながらリビングに入る。


「あ、あ~~え~~っと?」


 電車を乗り継ぎして、バスで帰ってくるまでの間、二人は必要最低限しか話さなかった。


「あの~、亜沙理さん?」


 亜沙理はまだ手を放してくれない。いや、つないだのは俺なんだけども。

 亜沙理はずっとこんな調子だ。顔を俯かせて答えてもくれない。


「とりあえず、母さんの部屋まで連れて行くからな」


 言って、彼女を引っ張っていこうとしたところ、小さな抵抗感を覚えた。


「まって」

「な、なんだよ」

「今日は、あなたの部屋にいきます」

「へ!? それって……」


 俺がこんなシリアスな流れからムフフなことを思い浮かべるのも仕方がない。だって年頃の男子高校生だぞ。がり勉くそ童貞野郎だぞ? しかも相手は銀髪眼鏡美少女……。


「オーケーオーケー。準備はできてる」

「言っておきますがあなたの想像している馬鹿げたことはまったくもって可能性としてありえないことなので期待しないでくださいね潰しますよ?」


 あ~、これこれ、性悪ポンコツ忍者・亜沙理って感じだわ。思い出した。


「いやそれ以外に年頃の男の部屋に女が入る理由があるのかよ……」

「実に童貞らしい発言ですね。恋人じゃなくても男の部屋に入ることくらいありますよ」

「マジかよ……、女と男の友情ってヤツ? 都市伝説かと思ってた」

「都市伝説はあなたの方ですよ童貞ラブコメ主人公さん?」


 おお、と俺が少し驚いたのは彼女の表情がほころんだからだ。亜沙理はずっと無表情だなんていうロボットみたいなことは無いが、それでも軽口を言い合う時でさえ表情が変わるのは珍しい。

 俺がポカンとしていると、亜沙理はすぐに顔を引き締める。


「何をアホみたいな顔をしているんですか薬盛りますよ?」


 ああ、これは間違いなくいつもの亜沙理ですわ。













 風呂に入ってパジャマに着替えた後、俺の部屋に入った亜沙理の第一声は溜息だった。


「ほんっとに、何もない部屋ですねここは。アリの巣のほうがましですよ」

「その批判の仕方は意味わからんが、まあ参考書は厳選したものを置いてるし、あとは教科書とベッドくらいだもんなぁこの部屋」


 俺は机の前の椅子に座って一息つく。亜沙理にはベッドの上に座ってもらった。

 どうやら亜沙理は何か話したいことがあるようだ。


 う~ん。


 俺から切り出すのも何かおかしい気がして、俺は亜沙理の言葉を待った。

 帰りの道でもずっと無言だったわけだし、話したいことといっても、たぶん彼女に関する重めの話だろうし。それなら、彼女のタイミングで言ってくれた方がいいに決まっている。

 俺は亜沙理の言葉を待って、悟られないようにと参考書を開き始めた。


「いや、いやいやいや、なんでこのタイミングで参考書なんですかあなたは」

「なんでって……、ほら期末試験も近いし」

「二か月前は近いとは言いませんよ……、はあ、もういいです」


 亜沙理は呆れながらベッドに横になるとパジャマの隙間からへそが見えた。無防備な彼女がやけに色っぽく見えてしまう。


「あなたに聞きたいことがあります」

「は、はい」


 俺が聞く方じゃないのか、と思ったが俺はそっと参考書を閉じた。こうなると「全てのことに全力」という俺のモットーも考えものだなとは思う。話を聞きながら勉強だなんて、そんな器用なことは俺にできるはずがない。

 亜沙理の聞いてきたことは俺の中で意外なものではなかった。だって似たようなことを以前にも聞かれたことがあるから。


「どうしてあなたは、他人のために……、私のために一生懸命になれるのですか? ラブコメ主人公みたいに」

「最後のは余計だポンコツ」

「茶化さないでちゃんと話してください」

「お、おう」


 先に茶化したのお前じゃん……、というツッコミを俺はぐっと堪えて考える。

 いや考えるまでもなく、俺の中には答えがあった。俺はそれをきちんと伝わるように、ゆっくりと応える。


「え~っと、俺は可哀そうなやつを見ると同情するんだ」

「は? 舐めてるんですか殺しますよ?」

「いやごめんごめん、ちがうちがう。ちょっと言葉が足らなかったんです許して」

「ちょっとどころじゃないと思うのですがそれは」


 俺は再び考える。どうすれば彼女に伝わるのか。


「俺は……、一人が辛いってのをよぉく知ってる。一時期俺も孤独だったからな。俺の親父が死んでるのは、お前も知ってるだろ?」

「ええ、まあ」

「俺そのときすっげ~不安だったんだ。引っ越しもしなくちゃならなくなって、友達もいない。親父はもう家にはいないし母さんは働き詰めだったから」


 今でもあの人生暗黒期を思い出すと死にたくなるくらい苦しくなる。比喩でもなんでもなくて、あの時の俺はたぶん死にながら生きてたんだと思う。


「あのときは……、初めて行った学校でもかなり浮いていたと思う。虚ろな目をして、一言も話せないなんておかしいもんな。皆、気味悪がって近づこうともしなかったよ。それなのに俺は自分の何が悪いのかも理解できなかったから、孤独感と不安が募るばっかりだった」


 でもその後、「誰か」が俺の手を引いてくれて皆との仲を取り持ってくれたんだ。その子はすぐあとに引っ越してしまって、もう顔も覚えていないのだけれど。


「とにかく、俺はそれで一人の苦しさを知ったんだ。だから、放っておけない。それだけだよ。一生懸命に見えるなら、それはただの俺の性格だ」


 頬を赤くしながら彼女を見る。亜沙理は何かすごく引いていた。


「なんというか、すごく重い話で私びっくりしたんですが」

「いやお前俺のデータ持ってんだろ」

「知ってますけど、ええ~、さすがにこれは……。というかどれだけめんどくさい性格してるんですかあなた」


 俺は胸を反らし、フンと鼻を鳴らし応える。


「俺が一番知ってるよ」










 少しして、亜沙理は眠りについた。俺はそこから二時間ほど日課の勉強を終えると、ベッドには亜沙理が寝ているので床に寝ることにした。といっても、敷布団はあるし、替えの毛布もあるのでこれで風邪をひくことはない。


 ふと亜沙理の寝顔を見る。その顔は安心しきったようで幼子のように深い眠りについていた。


「ホントにコイツ俺のことを植物くらいにしか思ってねえんじゃねえのか……」


 苦笑して。俺は亜沙理の頭に手をやる。「んん」という女の子の声がしてドキッとする。それでも俺は、何度か亜沙理の頭を撫でた。


 ふとその手元を見る。時々目にする異様な光景。彼女が懐中時計を眺める仕草。その懐中時計がしっかりと握られていた。開けてやろうか、と思ったがやめた。もし彼女の亡くなってしまった両親の写真なんかが挟まれていたら俺が無断で見るのはいけない。いつか自分で聞けばいいだけの話だ。


 今度は懐中時計を握る彼女の手にそっと触れる。

 どうか、彼女が孤独から解放されますように。


 会長のときとも、先輩のときとも、同じようで、やっぱり微妙に違うような心持ちに戸惑ってしまう。

 いや、本当はこの気持ちに検討はついている。ただ自信がないだけなんだ。


 俺にはそういう経験がないから。


 一目惚れも、発展していくような男女の仲も、俺は経験したことがない。だからこの気持ちがそういうものなのか自信が……、


「いや、これもただの言い訳だな」


 恥ずかしいだけなんだ。自分の気持ちに向き合うことが。

 一目で惚れることは最近あった。だんだんと惹かれていくことだって。

 だから守りたいと思うんだ。だから幸せになってほしいと願うんだ。

 性格は最低最悪。ポンコツで食い意地がつよいモンスター。


 だけど。


 彼女を苦しみから解放したい。理性ではどうにもできない。やらねばならないことならたくさんある。そのはずなのに。この寝顔がかわいい彼女が、幸せになることができたらどれだけ俺が幸せになるのか考えもつかないくらいに。




 俺は彼女に恋をしている。














「ふぁあ」


 私は眠りから覚めた。時刻は朝の四時。隣を見ると敷布団をして彼が寝ていた。

彼にまた気を使わせてしまったな、と反省しつつも、着替え始める。全身ジャージになりストレッチを始める。


 彼が勉強を日課としているように、私も運動を日課にしている。といっても単純なランニングみたいなものではなく、忍者に課さられた特殊トレーニングのようなものだが。


 体を動かしていると、バッグの中のケータイが震えた。私はそれを取り出すと、その相手に多少の驚きを覚える。


「……ま、ママ?」

「ママじゃないでしょうアルファ1。作戦実行中ですよ」

「も、もうしわけありませんボス。要件はなんでしょう?」

「まずは現状について。あなたはよくやっているわ。彼女たちの好感度数値は変わらないけれどその質は変わり始めているわ」

「質、ですか? でもそんなもの、どうやって……」

「あなたの持っているそれは私の持っているものより一つグレードをわざと落としてあるわ。目標が複雑化しないようにね。でも、方向転換するのも悪くないのかもしれないわね。今度私のと同じものを送っておくわ」

「わかりました……、ところで質とはどういうことですか?」

「恋や執着から、真の意味での愛に変わりつつあるということよ。このまま上手くいけば彼女たちはたとえ彼に振られたとしても立ち直り、また新たな人生を歩むことになるでしょう。彼との思い出を心の奥深くに残しながら」


 私はママの言っていることがあまり理解できなかった。彼女たちをここ数日見てきたがそんな変化はあったようには思えなかった。きっと、私の知りえぬところで、彼女たちも考え、成長しているということだろう。


「あなたは本当によくやっている。私の予想以上に。そこであなたに提案、というより命令があるわ」


 電話越しではあるが、私は姿勢をビッと正すと、ママの声に耳を傾けた。


「予定を早めて、今年の十二月二十五日には帰還しなさい。新たな任務を用意しているから」

「え……」

「? 何を驚くことがあるのかしら。現在の任務にメドが見えたから次の任務の話をする、普通のことじゃない?」


 そうだ。私は何に驚いているんだろう。当たり前のことじゃないか。悪いことなど一つもない。彼の命は守られ、彼は何にも縛られずに自由になる。



 それだけが、かねてからの私の望みだったではないか。



 ママが続けて何かを話している。おそらく次の作戦の話だろう。けれど、私の耳には何も入ってこなかった。代わりに目を閉じた瞼の後ろでは、彼の笑顔だけが何度も目の前を通り過ぎては消えていった。


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