第十三話 赤座絵里は月になりたい
ずっと、二人を見てきた。彼女は彼を絶叫系で振り回したかと思えば、次は迷子らしき女の子と三人で手を繋ぎ、そこに幸せな家族のような空間を作り出していた。
終いには、二人はお互いの指を絡ませあって恋人繋ぎを始めてしまった!
「ぐ、ぐぬぬぬぬぬ!」
ポニーテールにしてまとめた髪でさえ、今は邪魔に感じる。途中まではちっとも恋人らしくないと思っていたのに、一体あれは何!?
「って、あれは……」
物陰に潜んだ私の視線の先には、あの中二病ロリオカルト部員、赤座絵里がいた。
「な、なんであなたがこんなところにいるのだ! 泥棒猫一号!」
「お、お主こそどうしてここに!?」
がるるるるっと犬猫が相対したかのように私たちの間には険悪な雰囲気が漂う。
「は! こんなことをしている場合じゃなかったのだ! 二人はどこに……」
「フン、それなら問題はない」
「何よ、それ」
「これか? 望遠鏡だが? あ、おった。あれは、観覧車か?」
「………………」
私は悟った。この子、この子は……、
「なんてナイスなチョイスなのだ! いいのだ赤座絵里、ここは一時休戦して二人を追いかけるのだ!」
「ふん、勝手にせよ。足だけは引っ張るでないぞ」
結果として、私たちは行動をともにすることとなった。
二人を追いかけて私たちは観覧車に向かった。しかし……、
「もういないではないか!」
観覧車前には並んでいる人さえいないようだった。閉園時間も近づいている。
「う~む。もう乗ったみたいだな」
「何を呆けているのだ! 私たちものるのだ!」
「え……いや、ちょ」
私は彼女の手を引き、駆け込んで観覧車に乗り込んだ。
扉を閉め、二人を確認しようとしたが、見当たらない。
「ど、どこなのだぁ!」
「阿呆、角度的に見えるわけがないだろ馬鹿者め。というかそもそも観覧車方向に向かっただけでそのものには乗っていない可能性もあっただろう?」
「ぐぬぬ!」
「そのセリフをリアルで言うやつを見るのはお主が初めてだ」
「リアルで「お主」とか「我」とか言う人もいないがな!?」
…………、
………………、
……………………。
「な、なにか喋るのだ!」
「いや、我等で話すことなど何かあるか?」
確かに。
一年。
それだけの期間があって私たちはこれまであまり積極的に関わってはこなかった。たった一度シジミ君のことで相談したことはあったが、その一回くらいだ。互いのことをシジミくんをたぶらかす泥棒猫ぐらいにしか考えていない。
私たちは、お互いのことをあまり知らないのだ。
「……では共通の話題について話すのだ」
「共通?」
この話題は私たちが最も避けたいことで、きっと、私たちがお互いのことを知るにはうってつけだ。それでいて、きっと私たちが一番知りたいことでもあるのだろう。
「シジミくんのことだ。彼のどこが好きで、どうして好きになったのか。それを聞かせてくれ」
「それは……」
「私も答える。だから教えてほしいのだ」
私は彼女から目を逸らさずに問いかける。彼女の腕をつかむ。
「私は、いや、私たちは何も知らなすぎる。君の話を聞いてもっと彼のことを知りたいのだ」
「いいんじゃが、えーとどこが好きで、なぜ好きになったか、だったか? 少なくとも後者はお主も知っとるはずじゃが……」
「いいから話すのだ!」
「分かった、わかったから離せ馬鹿者!」
赤座絵里は思い出すように、大切な宝箱を開けるように、ゆっくりと口を開いた。
一年前。
我、こと赤座絵里は孤独だった。
二年生になって、熊本からこっちに引っ越してきた我は、すでに出来上がったコミュニティに元々の人見知りの性格も相まって、誰ともかかわりたくなかったのだ。一人が寂しいくせに、孤独になりたいとも思っていた。だから放課後は運動部顧問の化学講師がカギを閉めに来るその直前まで化学室にこもっていた。
オカルト研究会。
そんな存在もしないサークルの看板を作り、化学室に立てかけた。これで遠目に見る分には怪しまれないだろう。
一人はいい。好きなことだけ考えていればいいのだから。
無臭、無人の部屋で、私はノートを開く。そこには方眼によって均等の大きさに割り振られた無数の魔法陣と、小さな文字でつらつらと設定が書かれていた。
私は世に言う中二病だ。だが、超常な現象も、秘密結社も、魔法のような奇跡さえもないことを知っている。
なぜなら、私が今一人だからだ。私の恰好を見れば周囲の人間は不思議なものを見るような顔をする。話しかけることができない私には自分から同士と関わるなんてこともできない。
だから私は妄想するだけだ。これが、これだけが私が私だと認識できる行動だから。
今日もいつも通りと変わらない日常が通りすぎる、そう思っていた。けれど、当たり前のことだけれど、こんな日々がいつまでも続けられるほど現実は甘くはなかった。
「あなたこんなところで何をしているの?」
「あ、ああ、お、オカルト研究部、です」
たまたまだった。今日は雨で室内練習となっていたテニス部は筋トレだけを済ませ、早々に活動を終えていたのだ。私はそのまま、先生に生徒会室に連れていかれた。こんな嘘はすぐにばれる。なのに私は嘘を貫こうとした。
ふん、別にいいじゃないか。活動場所が化学室から自分の部屋になるだけだ。そもそもなぜ私はこんなバカげたことをしてきたんだ? なんでわざわざ学校で妄想を書き綴っているんだ?
その時に私は気づいたんだ。誰かと、繋がっていたかったって。
存在もしない部活の看板をわざわざ立てかけたのも、本当は気づいてほしかっただけなんだ。そして、誰でもいいから、友達になってほしかった。
だって、一人は、悲しいから。
生徒会室に着くと、そこには二人の人物がいた。一人は余裕そうに淡々と作業をする綺麗な人。確か、名前は月見野だったか? 校内で知らない人はいないほどの有名人で、眉目秀麗、文武両道の完璧超人。それでいて人となれ合うのを良しとしない氷の会長。噂ではしばらくの間たった一人で生徒会の業務をこなしていたとか。
あんな人がきっと誰からも信頼されて、友達もたくさんいるような、「輝ける人」なんだろうな。私とは正反対の人だ。
もう一人は、何というか冴えない顔の男だった。月見野とは逆に、四苦八苦しながら書類とにらめっこしている。まあ、それでも、あの月見野と並んで仕事をしているくらいだからすごい奴だとは思うのだけど。
「あの会長、お客さんが来ているみたいですけど」
「あ、ああすみません。気付きませんでした。高坂先生と……あなたは?」
「あ……えっと、私は……」
「ああ、月見野さん。この子はちょっと話すのが苦手のようだから、代わりに私が話すわね」
先生が事情を話す。これで終わりだ。私はずっと一人なんだ。月見野が「ふむ」と言い、資料に目を通しながら私の顔を覗き込んだ。
「確かに、オカルト研究会なんて部活は存在しないのだけれど。これはどういうことかしら赤座さん」
「月見野さん、だから彼女は」
「先生は黙っていてください。私は彼女に聞いてるんです」
月見野さんは私から目を逸らさない。私は心の中で何度も叫ぶ。言え、早く言え。お遊びでしたと、すみませんでした、と。
けれど、私から出たのはそんな謝罪の言葉ではなく、懇願だった。
「お、お願い、します。活動を、許してください」
胸が締め付けられるようにきつい。涙がにじむ。早くこの場から立ち去りたい。そう思っているはずなのに私の知らない私がそれを許さなかった。
すると月見野は私の目を見て答える。
「それはできそうにないわ。部活動の活動最低人数は八人。オカルト研究会って言う文字通り研究会を立ち上げるにも最低三人は必要だわ。どうするつもりなの?」
「うっ……うう」
私は目を瞑ってその場に立ち尽くす。帰る、逃げるといった選択肢はなかったが、出てくる言葉もない。苦しい状況が十秒、二十秒と過ぎていく。顔を、上げられない。
「あ、あの! 先輩!」
「うわっ! びっくりしたよシジミ君! 急にそんな大きな声を出さないでくれっ」
「す、すみません……」
「ご、ごほん。で、どうしたんだ? シジミ君」
「俺、その研究会に入りたいんですけど、ダメですかね?」
「は、え?」
「前からオカルトとかすごく興味があったんです。だから、どうにかなりませんか?」
この人は何を言っているんだろう? 私は、すぐには彼の言っていることが理解できなかった。
「生徒会なら兼部だって許されているはずですし、活動人数については、これから増やします。だから保留ってことで活動を許してくれませんか?」
彼がそう言うと、月見野は頭をかきながらもこう答えた。
「君、勉強と生徒会でさえもいっぱいっぱいだったろ? それなのに兼部って……、まさか君まで生徒会を去る、なんてことはないよな?」
「ないです。『全てのことに全力で』が俺のモットーなので。生徒会に入った以上、職務は全うしますし、勉強だってなんとかしますから」
彼の返事を聞いた月見野は呆れた表情で化学講師が持っていたオカルト研究会の看板を見る。
「……はあ。保留なんて普通は許されないことだが……、まあ、別に構わないよ。一人でも多くの学生がこの学校での生活を有意義になるようにするのも、生徒会の仕事だからな。しかし、何か問題があったときは君たち二人だけで責任を負うことだ。生徒会はこの部活については何も知らないし、何も聞いていない。だから活動でもなんでも勝手にしてくれ。ああ、化学室は活動場所として使っていいぞ」
「そ、そんな勝手なことが許されるわけがないでしょう月見野さん」
「高坂先生、ここの理事長が誰だか忘れたのですか?」
「ひっ!」
化学講師は怯えた様子のまま、生徒会室を去った。
「と、いうわけで、これからは君たちの自由だ。存分に学生生活を満喫してくれたまえ」
「じゃあ先輩、化学室まで案内してくれませんか? 俺まだ道がよく分からなくって」
「え、ええ案内するわ」
廊下を歩きながら、私はおずおずと彼に尋ねた。
「どうして、私のこと庇ってくれたの?」
「庇うだなんてそんな……。本当に前から興味があったんですオカルト。だから、オカルト初心者ですけど、よろしくお願いしますね」
この言葉が嘘だったことはすぐに分かった。
部室では互いを師匠だの弟子だの言いあって、ノートには世界の裏側について書き綴って、魔法陣なんか書いたりして。やっていることは私の趣味の範囲でしかなかった。
おかげで中二病には磨きがかかったけれど、周囲の目はあまり気にしなくなっていた。
だって、私には彼がいるから。
彼は私にとって太陽のような存在だ。彼がいたから、苛まれる孤独感とは縁が切れた。彼がいたから、他人ともまともな会話ができるようになった。
彼の優しい嘘に気づいてから、私は彼から目が離せない。
それはできれば恋人になりたいし、結婚して添い遂げたいとも思っている。けれど、別にそうじゃなくたって構わない。
彼が太陽なら、私は月になりたい。
彼が困ったとき、助けを求めたとき、誰よりも傍で彼を支えたい。
それさえできれば、他に臨みなんてない。
だって、私は彼に数えきれないくらい多くの大切を貰ったから。




