エルゼターニアとレンサス・1
──そして、新年が明けた。激動の一年を終え、また怒濤なる一年を迎えたのだ。
世界中至るところで祝杯は挙げられ、新たな年、新たな時代を迎えている。
過去の戦争の爪痕さえ、今年こそは乗り越えていこうという決意を誰しもが抱く。そんな年始の光景があちこちで見られるのは、共和国であっても同じことだった。ましてや年末には『魔眼事件』が発生してそこからすぐの年明けなのだから、平和への祈り、願いもひとしおと言えるだろう。
「まあ、こんなところにいたんじゃ新年も何もあったもんじゃないんだけどね。精々がちょっと豪華な飯にありつけるくらいなもんで」
「でも、新年は新年っすよ。誰にとっても、貴方にとっても」
「そりゃそうだ……特に今年はね。今まで数百年と生きてきた中でも、一番印象深い年明けだ。窮屈で自由なんてありゃしないくせ、変に解放された気分なんだから面白いもんだ」
「そう……なんすね」
そんな祝賀の、けれどどこか厳かな雰囲気も兼ね備える正月。国家組織の一角たる法務局が管理している、犯罪者を収容する施設──一般的に『刑務所』と呼べるその場所の、面会室にて。
エルゼターニアは強化窓を隔てて向かい合う、少年を見つめた。灰色の髪を雑然と伸ばしていて、かつては糊の利いていそうなスーツ姿だったが、虜囚となった今ではそれ相応の布服を纏っている。
「……久しぶり、かな。元気そうで良かったよ。こんな場所じゃ音沙汰なんて当然、聞こえてこないからさ。心配してたんだ」
「それは、どうもご心配をお掛けしました。この通り右目はまだ塞いでいますが、はい。私はもう、元気っすよレンサスさん」
「そっか」
俯きがちに呟く少年。皮肉げな笑みこそ浮かべているが、声音はひどく優しい……ともすれば聞いているエルゼターニアの胸が痛む程に、悲しいくらいの暖かさが込められている声だ。
『オロバ』大幹部レンサス。共和国にて『ミッション・魔眼』を発動した魔眼事件の首謀者だ。
かつて共和国に姉シエルを殺された怨みにて邪悪に荷担した彼であったが、最終的にはエルゼターニアに打倒された。他ならぬ姉の末裔である彼女の、命を捨てた救国の一撃にて悲しき復讐に終止符が打たれたのである。
そして致命傷を負ったエルゼターニアを救うべく、己の右目に埋め込んでいた『転移魔眼』を抉り取り、彼女に移植させたのも彼だ。
仇敵同士にして遠い血縁にして、そして互いを救い合った──エルゼターニアは命を、レンサスは心を──何とも複雑な関係がこの二人の間にはあった。
「そんな眼帯、もういらないだろうにまだしてるってことは……暴走を恐れてるって認識で良いのかな?」
「……はい。貰っておいて、命を救われておいて申しわけない話ですが」
「いや、当然の疑念さ。説明するのが遅れちゃって悪かったよ。面会の日取りが中々決まらなかったせいで、せっかくの年末年始に不便な思い、させちゃったな。ごめんよ」
「レンサス、さん」
片目だけで向けてくる視線も、声も、表情さえもあまりに優しく穏やかだ。かつて相対していた時にはすべてが憎悪に染め上げられていた少年の姿を思えば、今の、凪のように静かに慈愛を湛えている姿は新鮮なものにエルゼターニアには映る。
きっと、本来のレンサスとはこのような彼だったのだ。優しく、穏やかで、そして暖かい人だったのだ。それを失った切欠は、やはり姉シエルの非業の死で……結局、数百年かけた末にエルゼターニアによって止められるまで、彼は己を見失っていたということなのだろう。
加害者なのはもちろんだが、根底では紛れもなく共和国の被害者でもある少年は、けれどすべて吹っ切れたような、清々しささえ纏いながらも続ける。エルゼターニアの、新たな右目となった魔眼の詳細についてだ。
「眼帯はもう外してくれて良い……そんなもんあろうがなかろうが魔眼は魔眼、封印なんざできやしない。特に『転移魔眼』は対象を見るとかの動作が必要ない、僕の造り上げた中でも一際便利な魔眼だ。副作用も特になければ、使用者の意志と関係なしに発動するとかもあり得ないよ」
「つまり暴走するような危険はない、と?」
「無限エネルギーに指向性を与えているだけの瞳だ、暴走なんてするはずもない。何ならガンガン使っちゃってくれよ。一度行った場所ならどこでも何度でも行けるぜ、その眼は」
「距離の制限とか回数制限、ないんすか!?」
驚きも顕のエルゼターニア。己の右目に移植された『転移魔眼』。これまでのケースから言ってこれも相応の性能をしているのだろうというのは予想していたことだが、それにしても破格に過ぎる。
一度行った場所ならどこにでも、一瞬で、距離の制限さえもなく移動できる『魔眼』。暴走も副作用もなければ回数制限もなく、その瞳は力を発動できるのだ。
つまりは一度きりでも訪れた場所であるならば、船も、馬車もなく遠方の地へと赴けるというのだ。それも時間をかけずして一瞬で。それがどれ程すさまじい力か、分からない者などいない。
エルゼターニアも己が、まさしく超常の力を得ていたことに気付いた。困惑と畏怖とを見せて、彼女は問い掛ける。
「マオさんの……『テレポート』を参考にしたんすか、この眼は?」
「マオ……魔王か。その通り、転移魔眼は『テレポート』を再現しようとして実現した魔眼だ。もっともオリジナルは行ったことのない場所にすら行けるわけだし、劣化コピーに終わっちゃったけど」
「劣化にしては、滅茶苦茶すぎる能力っすよ……?」
「腐っても星の力、無限のエネルギーだからね。本家本元には及ばずとも、できることは信じられないくらいに豊富だった」
懐かしむように、自虐の笑みを溢す。復讐のため、邪悪を為したかつての己を嘲笑うような彼は、そのまま『オロバ』に在籍していた頃を語り始めた。
「構想自体は、前々からあったんだよ……魔剣に魔眼、魔獣に、そして魔人。組織が目的たる『新人類』とやらを造るために必要らしい、四つのプロセス。それらを本格的に発動させたのは、戦争の終わりが切欠だった」
「『新人類』? それは、一体どのような存在なんすか?」
「詳細は知らないが、まあ亜人みたいな人間なんじゃないか? 『人間は亜人の失敗作だから星に寄生する。それなら亜人の高みにまで押し上げてやれば、人間もおぞましい文明を築こうとはしなくなる』ってのが、首領から聞いた話だったけど」
「失敗作って、そんな……」
さらりと明かされる『オロバ』の目的。その、人間に対する認識のあまりの苛烈さにエルゼターニアは絶句した。
亜人の失敗作。そして星の寄生虫。人間をそのような生物として見なしているのだ、かの組織に与する者たちは。そして強制的にでも進化を促すことにより、文明や文化の構築を阻止しようとしている。
レンサスは肩を竦めて言った。
「まあ、どこまで本当かも知れたもんじゃない与太話さ。トリエントの奴にも前に指摘されたが、そんな御題目掲げてる割にはやってることが微妙にずれてるし。首領の奴も、腹の内じゃ誰も知らない目的があったりするんだろうね」
「首領……貴方に、行方不明になっていたシエルさんのことを伝えた?」
「そうだよ。ぶっちゃけ魔眼なんぞ、人間の進化なんぞどうでも良かった僕は、それでも彼への恩義から組織に協力してたわけ。それももう、終わりだけどね」
そう笑う少年に、エルゼターニアは悲哀の視線を向ける。恩義から邪悪に荷担していたこと、許せるはずもないが……その律儀さを、どうにか正しいことに生かせていたらと思わずにはいられない。
つくづく、巡り合わせの悪い話ばかりだ。辛いものを胸中に覚えながらも、特務執行官は質問を再開した。
「……そして、戦争の終結。魔王が敗れたタイミングで、『オロバ』は暗躍を始めたと?」
「そういうことになるね。『ミッション・魔眼』だって、それまでは拠点でこそこそと人体実験ばかりさ。そこら辺の賊を使って、まあ、ひどいことをね」
言いにくそうに語る、おぞましさを仄めかす内容。人間を拉致しての、非道な人体実験。魔眼の性能、性質を安定させるに至るまでに、どれ程が犠牲になったのか。
思わず眉をしかめるエルゼターニアに、レンサスは密やかに笑う。やはり己を嘲る、笑みだ。
「結局僕も、姉を殺したあの研究員どもと同じだったんだ。今なら分かる……死んでも構わないと昔は思っていた連中にだって、家族はいたし、友達だっていたんだろうにな」
「……そう、っすね。そこは、絶対にそうっす」
「そんなことも分からずに好き勝手して、挙げ句シエル姉さんの子孫に止められるんだから……ああ。僕は、ははは……」
乾いた笑い声が連なる。面会室に響くのは、ひたすらにレンサスの後悔ばかりだ。
復讐鬼の末路──やり返すとはつまるところ、やり返されるということ。それを体現して見せてしまった目の前の少年へ、エルゼターニアは唇を噛みしめ、それでもこう言うしかない。
「……私は、貴方の罪を許すことはできません。貴方のせいで、きっと、たくさんの涙が流されました。道を誤ってしまった人も」
「……だろうね」
「でも、貴方をそうまで追い詰めてしまったこの国の非道を思うと。私はきっと、こうするべきなんだと思います」
そして特務執行官は座りながらも、頭を下げた。申しわけないと謝意を精一杯込めた姿勢に、レンサスが息を呑む。
「──」
「申しわけありませんでした……! 貴方に外道を歩ませたのは、共和国と、そして私の血筋です。せめてもっと早く、シエルさんから私に連なる系図の中から貴方を止められる人が、出ていてくれれば……!」
「──馬鹿。馬鹿なこと言うんじゃない」
どこまでも背負おうとするエルゼターニアのそんな言葉、そんな姿勢が、他のどんなものよりもレンサスの心を貫いていた。
共和国は許せないが、姉の末裔にまで怨みを向けるつもりなど毛頭ありはしない。それでもどこか、己の数奇な運命に理不尽なやるせなさを抱いていた彼にとって、エルゼターニアの無私の極みとも呼べる今の言葉は、どうしようもなく涙腺を刺激するものだ。
どこまでも寄り添おうとしてくれている、温もり。罪を憎みはすれど、罪人には慈愛を以て接するその姿に宿る暖かみが、レンサスの良心には辛いものであった。
「僕の罪は、僕の責任だ。君がそんな、気にしちゃいけない……!」
「ですが……」
「馬鹿すぎるよ、馬鹿だ、馬鹿……っ。末代にまで迷惑をかけてしまった、こんな、僕に。頭なんて下げるなよ、ごめんよ……っ!!」
ついに涙を一筋、二筋、やがては止めどなく。後悔と救済に塗れて号泣しながらも、レンサスはエルゼターニアに向けて謝罪を繰り返すのであった。




