新たなる年を迎えて・3
今年最後の日もいよいよ大詰め。陽も沈みすっかり暗くなった町のそこかしこにて、年の瀬の祝宴は開かれていた。
これまでの一年に惜しむべき別れを告げて、これからの一年に惜しみない出逢いを望むのだ。それは共和国に限らず、また人間や亜人といったカテゴリーさえも関わらない、日々を営むすべての命、すべての集団に等しく訪れる区切りのイベントである。
そのように賑わう首都の片隅に、集合住宅の密集地帯がある。遠くから出稼ぎに来ている者や高等教育機関へ進学するために上京してきた者たちが多く住まう、格安で借りられる住宅地の立ち並ぶ地域だ。
金銭的に余裕がないような若者たちばかりが住むその辺りの一角、独り暮らし用の小さな家に今、エルゼターニアは住んでいた。
「……あのさあ、エル」
「何すか? ハーモニさん」
案内されるがままに相棒の家に辿り着き、そして内部へと入ったヴァンパイア・ハーモニが呻くように呟いた。その表情には呆れがあからさまなまでに浮かんでいる。
外観の、簡素を通り越して質素ですらある様子からある程度推測できてはいたものの、これは酷いと言わざるを得なかった──本当に最低限、寝具と家具とがいくつか置いてあるだけの、年頃の少女が住んでいるとはとても思えない寒々しい殺風景が今、彼女の眼前に広がっていたのだ。
じとりとした目でエルゼターニアを見つめ、ぼやく。
「もうちょっとこう……楽しい生活しようよ。仮にも国の英雄がさぁ、何もこんなさぁ」
「食事と寝るくらいしかここですることなんてないっすから……別にこれはこれで、良いんじゃないすか、ねぇ」
「良くない! 断じて良くないよエル!」
目をそらして──それなりに自覚はあるのだ、エルゼターニアも──言い逃れしようとする彼女に、ハーモニは激しく指摘する。
いくら何でもこれは無い。特務執行官であるとか外勤が多いためそもそも戻る機会が少ないだとか、そういったやむを得ない事情を加味してもあまりに酷すぎる。凡そ年の頃16かそこらの女の子が満足するに値する環境ではない。
そのような、言葉にしきれない想いが胸中に渦巻くのを、ハーモニは視線に浮かべてエルゼターニアに示す。
「エールー……」
「い、いやー……」
いよいよ顔さえ背け始める相棒に顔を寄せてその名を呼ぶ。けれどもなお、分かりたくないと身体さえ離れようとするエルゼターニアに顔がひきつるものを覚えながらも、ハーモニは実力行使に打って出た。
背丈の低いエルゼターニアの背後から抱きすくめ、体を拘束する。痛みはないにせよ突然動きを封じられて、少女は動揺に叫んだ。
「なっ──何するんすかー!?」
「聞き分けのないエルなんかこうだからね! 大体こんな暖房もろくにない部屋、こうでもしないと寒いだけじゃん!」
「いや暖炉とかありますけど!? 燃料を用意するのが億劫で、あまり使ってはその、ないですけど……」
「飾りじゃんそれもう! まったくエルは何でこう、自分のことになると途端に雑で面倒くさがりになっちゃうかなぁ!?」
「そ、そこまでっすかねぇ……」
あまりに言われ過ぎではないかと抗議しようとするも、現実として一切使用した形跡のない暖炉を見てしまうと、何だか自覚も出てきてしまい語気が弱くなる。閉口して脱力したエルゼターニアを、ハーモニは更に抱きしめた。
後ろから抱きついたままその場に二人座り込み、耳元で囁くように呟く。
「……エルはさ、もっと自分を省みないと。ちょっとこれは酷すぎるよ」
「最近は結構、自分のことを考えるようにはしてますよ……マオさんにも言われましたし。割と贅沢してます」
「この光景からは到底、そう思えないんだけどなぁ……」
耳にかかる吐息をこそばゆく感じながら、けれど受け入れてエルゼターニアは本音で語った。かつて温泉村でマオに指摘されて以降、休みの重要性であるとか自分を省みることの大切さは身に染みて分かっているつもりなのだ。
「家がこんななのも、ほんとに帰ることが少ないから凝る必要性を感じないってだけで……外ではそれなりなはずっすよ、はい」
「ホントかなあ……」
「最近ずっと私にべったりなハーモニさんなら、そこのところは良く分かってると思うんすけどねえ」
抱きしめられる温もりを、何だかんだと享受してエルゼターニアが笑う。冬向けの厚着をした姿のハーモニは、元から体温が高めなのかひどく抱かれ心地がいい。ふと気付けば少女は背後から回された腕に手を当て、瞳を閉じて触れ合いの暖かみをじっとたしかめていた。
静かで、穏やかなひととき……ここ数年、特務執行官となってからは年末年始もなく戦い続けたエルゼターニアにとり、こうまで年の瀬を平和に過ごすというのは久しぶりのことだ。それもつい最近知り合ったヴァンパイアの英雄たるハーモニを、相棒として抱きしめあってのものなのだから、まったく人生とは分からないものだと噛み締める。
「……本当、色々ありました。特に年末、温泉村でマオさんと出会った辺りから怒濤の勢いって感じで」
「そこから『オロバ』との戦いがスタートしたんだもんね、エルは」
「はい。エフェソスと戦って、マオさんに助けられて。そして奴らの存在を教わって」
しみじみと振り返る、これまでの数ヶ月。秋から冬に移ろうかという頃合いに『オロバ』の存在が特務執行官、そして共和国に露見したのであるが、とにかく大変だった思いがエルゼターニアには強い。
スライムのクラバルや『磁力魔眼』のマリオス、リアス兄妹。天使エフェソスやトリエント、そして大幹部レンサス。いずれも一人で相対するには難敵だった──戦う度にマオやアイン、ソフィーリア、そして何よりハーモニの力を借りて切り抜けてきたのだ。
「色んな人に、助けられた年でしたね……来年は逆に、色んな人の助けになれる年にしたいっす」
「無理しない程度に、だよ? エルってばすぐに無茶して、平気で命だって投げ捨てるんだもの!」
「あはは……その節は本当にご心配をお掛けしまして。もう二度と無茶しませんから、見守っといてもらえれば」
「当たり前! ぜーったいに傍にいて、ぜーったいに無理無茶無謀は見逃さないからね!」
宣言するハーモニの勝ち気な声音に苦笑するエルゼターニア。この調子では本当に四六時中、傍で見守られるようになる日も遠くなさそうな予感さえしてくる。
──ふと、気になったことを問う。
「そう言えばハーモニさんって、共和国に戻ってくる前はどこで何してたんすか? 直前に王国南西部に寄ってたってのは、初対面の時に事情聴取で言ってましたけど」
「私? んーと、ねえ。たしかに共和国に来る前は王国にいたね」
思えばハーモニの来歴についてはざっくりとしたところしか知らない。何となくそこが気になって聞いてみると、抱きしめてくる彼女が上を見上げて考えている素振りをした、そんな気配がした。
燭台に灯火の点いた蝋燭が、いくらか周囲を照らしているだけの室内。凍える寒さと薄暗い視界とが、余計に抱き合うお互いの存在を際立たせている、そんな空気。
ハーモニは、つらつらと答え始めた。
「王国の前は……そうだね、いくつか転々としてたよ。聖国行ったり公国を訪ねたり。あ、国っていうか集落? 的なとこにもいくらか顔出ししたねえ」
「あー……4大陸でもここから相当離れたとこにいたんすか。共和国とほとんど交流がない国じゃないっすか」
「まあねー。だから来るのは正直、大変だったよ。直で共和国行きの船とか無いし、いくつも港町を経由してさ」
「うひゃあ……! それはまた、大航海だったんすねえ!」
感嘆するエルゼターニア。共和国へ来るために遠路遥々の航海を経たらしい相棒の、苦労が偲ばれたのだ。
──人間や亜人が住まう、4つの大陸がある。共和国や王国が存在する大陸もその一つなわけであるが、他には帝国や精霊諸島を擁する大陸、聖国や公国を抱える大陸、そして小規模国家の乱立する大陸とが存在している。
それぞれ大陸には正式名称があるのだが学術的なもののため一般的な浸透はまったくと言って良い程されておらず、その時代、その大陸において最も規模の大きな国の名と共に呼ばれるのが定例となっていた。たとえば現代においては『王国大陸』、『帝国大陸』といった具合に、である。
例外として小規模な国家が乱立している大陸だけは一貫して『多国大陸』などと呼ばれていることを思い返しながら、エルゼターニアは件の聖国や公国のある大陸について知っているところを述べる。
「今は『聖国大陸』なんでしたっけ。戦争前は『公国大陸』だったらしいっすけど」
「うん、よく知ってるねエル。戦前はたしかに公国の方が規模が大きかったんだけど、魔王による大破壊で衰退を余儀なくされて、聖国に取って代わられたんだ」
「……マオさん、ヤバイっすね。国一つ衰えさせて挙げ句、結果的には大陸の名前まで変えちゃうなんて」
『魔王』マオの脅威──人間世界を絶望の闇に陥れた最凶の存在は、国一つ程度いかようにでも破壊できた。火炎を起こし雪崩を放ち台風を生み出し、果てには流星群までも操り地獄を生み出す大災害であったと、世界中のどこの人間の間にも語り継がれているのだ。
かつては聖国を抑えて大陸の名ともなっていた公国でさえ、その威の前には風前の灯でしかなかったということなのだろう。苦虫を噛み潰すエルゼターニアに、ハーモニも渋面で応えた。
「さすがというか何と言うか、だね……ちなみに今は大分、国力を回復させてきてるよあの国も。治安は悪いけど、じきにそっちも落ち着くんじゃないかな。私の仲間、『新世代の七人』の他メンバーも何人かそこにいるし」
「『新世代の七人』って、ハーモニさんと共に100年前、ヴァンパイアの旧世代をやっつけたってお仲間さんっすか!」
「そう。腐れ縁だけどまあ、悪くはない仲の連中だよ。ダメなところの倍は、良いところを言い合えるような」
素っ気なくも信頼に満ちた仲間たちへの言葉。100年来、共にヴァンパイアという種族を牽引してきた『新世代の七人』たるメンバーたちはハーモニにとって大切で重要なのだということが、エルゼターニアにも感じ取れる。
相方の、ヴァンパイアの英雄としての一面……己の知らない彼女の姿に何となく寂しさを覚える少女。知ってか知らずか、ハーモニは抱きしめる力をより強くした。
耳元に頬を寄せ、呟く。
「エルのこと、いつか……皆に紹介したいな。私の、誰より大切なパートナーだって。いつか寿命が来るまで、ずっと傍にいたい人だって、さ」
「ハーモニさん……」
「ね、エル。来年はきっと、良い年にしようね。二人でさ、色んな楽しいこととか楽しくないこととか、乗り越えていこうよ」
慈しみ、覆い被さるような優しい声。エルゼターニアを心底から想うハーモニの、祈りにも似た言葉が胸を打つ。
そして改めて思うのだ。この人と出逢えて良かった、と。これから先もきっと、何度だってこんな気持ちになるのだろう。それが泣きたいくらいに嬉しくて、エルゼターニアは抱き寄せるハーモニに応えた。
「……はい。来年も、再来年も、その後だってずっと。二人一緒に色んなことをやっていきましょう」
これからもずっと一緒に。これもまた、祈りめいた思いの丈だ。
もう何時間かで年が明ける。やって来る新たな年にどんなことが起きようとも、きっと、前に進んでいけるはずだ──素晴らしいパートナーと一緒でいられるならば。
互いに重なる手と手。温もりを分かち合いながらも、しばらくの間、二人は年の瀬を静かに過ごすのであった。




