マオの思惑、憩いの一時
本格的な捕物は明日の朝に行うこととして、エルゼターニアはマオに連れられて半ば強引に観光することとなった。
エメラルドグリーンの髪色をした浴衣姿の少女が、ブラウンのポニーテールをした制服姿の少女を引っ張って往来を行く。
どこかミスマッチだが、仲の良い友人に見えなくもない、そんな光景だ。
「宿はどこだよ? とりあえずその、堅物丸出しの制服と物騒きわまりない鎌は置いてこい。半日かそこらだがせっかくのんびりするんだ、気楽な装いで行こうぜ」
「は、はあ。宿なら一応、村の中央にある高級宿を手配してもらってますけど」
「お、なら私と同じじゃん! 良いね手間が省けて」
どうやら二人、偶然にも同じ宿に泊まるらしい。駐在所を出て更に大通り、村の中央に向かっていけばすぐにそこへと辿り着いた。
観光名所の温泉村における最高グレードの品質を誇るらしい宿だと、エルゼターニアは聞いていた……なるほど立派な宿だと感心する。
石造りの頑丈な、それでいて適度に装飾が施されている外見に関して言えば首都でもそうそうないレベルのクオリティを予感させ、少女の胸は期待にときめいた。
「中身も中々のもんだぜこの宿は。まあ王国南西部の町にある高級宿よりかは、さすがにグレードが落ちるけどな」
「え……王国南西部の高級宿ってもしかしなくても、今や世界三大宿なんて評価されてるような超高級宿じゃないっすか? いやいや、むしろそんなところが比較対象とか、ちょっとワクワクさせるの止めてほしいんすけどマオさん!?」
戦後世界において指折りの観光名所である、王国南西部の町……周囲全体に天高く拵えられた砦の異様さから『砦町』とも呼ばれるその場所は、高級宿のクオリティも世界屈指と言われている。
そんな所と比べられる程には良い宿らしいのだ……エルゼターニアはにわかに滾る興奮を隠しつつ、もじもじと言う。
「い、一応、私……一週間は出張申請してるんすよね。長期休暇がてら送り出されたところもありまして」
「ほほう。それは良いじゃないか……私も今回はね、ちょいと調べ者もあって一週間は滞在してくると家の者には伝えてある。なんならしばらく一緒に遊ぶのもありじゃないかな」
「そ、そうっすかね? そうっすよね。王国南西部の高級宿と比べられるような宿、仕事が終わったんでハイさよならじゃあちょっと、勿体ないっすもんね」
「現金で良いね、君……そうだとも。せっかくなんだしさっさと捕物は終えて、後はのんびりと楽しめば良いのさエルゼターニア」
マオの言葉が心に染み入っていく。思えばこの一年、本当に亜人と戦ってばかりの日々だった──やりがいはあれどたまには骨休めもしたいと思ったことも一度二度ではない。
そこに来てこの千載一遇の好機だ。すっかりエルゼターニアは頬を緩めて笑っていた。
「じゃあこの半日と、明日に首尾良く事件を解決してからの数日間! 不肖エルゼターニア、ゆっくり休ませてもらいます!」
「おう。あ、一応言っとくけどここで気を抜きすぎて明日の朝、ばっちり腑抜けてましたーなんてのは笑っちゃうから止めろよ?」
「しませんよそんなこと!?」
からかう声音のマオに、エルゼターニアは即座に反論した。
休むと決めたが職務まで疎かにするつもりはないのだ、憤慨しつつも吠える。
「公私はもちろんしっかり分けます! だって私は『共和』の盾、特務執行官っすから!」
「はいはい、さすがは特務執行官様、お偉いことですねえ。良いからチェックインして着替えてこいって。ここで待ってるからなー」
「む……分かりましたぁー」
特務執行官であることを殊更に強調するようなエルゼターニアだがすげなく流されれば、唇を尖らせて拗ねたように宿内へと入っていった。
やれやれ、と肩を竦めマオが独り言ちる。
「生真面目だが年相応の稚気もある、か。扱いやすくて助かるな……それにしても」
と宿の門前、壁にもたれ掛かって呟く。湯上がってしばらくの身体はまだぽかぽかと温く、秋風の寒さを孕んだ涼しさが心地良い。
タオルを手で弄びながら、彼女はなおも続けて言った。
「適当に首都でも回ってりゃ尾っぽくらいは掴めるかと思ってたんだが、まさか向こうから来てくれるとはな。もうこの時点で目的の半分以上達成しちゃったよ、おい」
へらりと笑う。思いがけぬ幸運が舞い込んできた偶然を、エメラルドグリーンの長髪をたなびかせて少女は喜んでいる。
──普段は王国南西部、大森林の中にある森の館にて悠々自適に暮らしているマオ。そんな彼女が共和国へとやって来たのは、何もただ温泉を楽しみに来ただけではない。
先だって王国にて勃発した『魔剣騒動』に纏わる調査のため、彼女はこうして旅行客を装っているのである。
多くの実力者が集結し、新たなる英雄さえも誕生したその事件には、マオもまた当事者の一人としてその鎮圧に関与していた。
騒動の最終局面、英雄が誕生する瞬間にもパートナーと二人で居合わせている程だ。立ち位置としては中心人物とさえ言えるだろう。
そんなマオだが『魔剣騒動』にすべての決着が付いた後、身内から伝え聞いた話にいたく興味を示すこととなった。
曰く共和国にて亜人を相手にたった一人、謎の武器を用いて戦いを挑んでいる人間がいる──そんな話だ。
「共和国の治安を護る『特務執行官』か。蓋を開けてみればまさか、年端もいかない女の子とはね」
つまるところ『特務執行官』、すなわちエルゼターニアについての話である。更に言えば彼女の扱う『電磁兵装』について、マオは話を聞いた時点から既に捨て置けない匂いを嗅ぎ取っていた。
「ルヴァルクレーク。あれがエルゼターニアに亜人を倒せる力を与えている、と……ふん。まるきり魔剣だな」
『魔剣騒動』の発端となった、魔剣と呼ばれる兵器に思いを馳せる。
使用者に超常の力を与えるその剣はマオにとっても縁深いものであり、それを製造した組織への敵対心も強い。もしも類似した兵器が存在するのならば……それは許しがたいものだと考える程に。
そして、亜人を倒せるだけの力を人間に与えるという点において、魔剣とルヴァルクレークには似通う点があった。
だからこそマオはそれを操る『特務執行官』を探して共和国にやって来たのだ。ルヴァルクレークの性能と由来と、それを操る者がどれ程のものかをたしかめるために。
「使用者には問題なしかな? 今時分、珍しいくらいに真面目な奴だ……リアクションも程々に騒がしくて可愛らしいから、からかい甲斐がある」
エルゼターニアの人間性に満足げに頷くマオ。まさか女子供とは思っていなかったものの、その思想信条と信念、性格は短い間のやり取りながらも気に入るに値する。
かつて森の館の主たる『彼』が、かの小僧を次代の英雄として見出だした時もこんな感じだったのだろうか? マオは一人考えた。
「……小僧も素直っちゃ素直なんだが、のんき過ぎて話が噛み合わないこともあるんだよなぁ。その癖根っから武闘派だから、どっちかというとリリーナとかフィオティナの方と意気投合してるし」
英雄として大成した少年についてマオはぼやいた。騒動が落ち着いてから『彼』はもちろん『剣姫』リリーナや王国騎士団長フィオティナからも手解きを受け始めているその少年は、扱う技術や立場的にはマオの同類であるのだが、気質的にはあまりマッチする方ではない。
決して悪人でもなければ嫌っているわけではないのだが、どうしても話していて互いに、根本的な性格面での不一致を感じる。そんな相手であった。
「ま、ゴリラ3号と化しつつある脳筋小僧はどうでも良いとして。さしあたりルヴァルクレークだな、問題は。明日の捕物の際にいくらかでもその威力を拝めれば良いんだが……」
「マオさん、お待たせしましたーっ」
「……とりあえず今は、彼女と遊ぶことを楽しもうかね」
思考を纏めがてら一人呟いていたのを打ち切る。エルゼターニアの声だ……チェックインから荷物を置いて戻ってきたのだろう。
明日のことは明日考えれば良い。ルヴァルクレークがどのような性能であれ、自分や『剣姫』、最悪は『彼』にかかればどうとでもなるだろう。
そう見積もってから振り向く。予想の通りエルゼターニアが軽く走ってきており、マオは微笑んだ。
「よう、エルゼターニア……ずいぶん気楽な装いになったな? やはり温泉を巡るとなれば、浴衣だものな」
「はい! マオさんとお揃いっすね、えへへ」
そう言って緩んだ顔で笑う少女エルゼターニアは、マオ同様に浴衣姿にタオルを手にしていた。温泉街ならではのルックスだが、どこか牧歌的な雰囲気のある彼女にしっくりいくスタイルだ。
二人、宿の門前。麗らかな午後の風に吹かれつつも言葉を交わす。
「さて……この村、6つ温泉があるんだよ。私も来たばかりだから、まだ一つ目しか回ってなくてね。できるなら行ったことのない湯を回りたいけど」
「そうっすね、そうしましょうか。えーと、フロントの方から地図貰ってるんで、見ながら向かいましょう」
言いながら、地図を取り出すエルゼターニア。予めこうなることを想定し、宿のスタッフに話を通していたという。
まめな奴だと笑うマオもありがたくそれを覗き込み、呟く。
「道すがら、気になった店があればそこに寄りつつ湯を目指すって感じかなぁ。結構あちこちから旨そうな匂いがしてるんだよ」
「誘惑多いっすよねこの村……私はお昼まだなんで、どこかで食べておきたいっす」
「お、そういうことならまずはそうするか。空きっ腹は良くない、飯は急務だ」
「ありがとうございます!」
さしあたり、空腹を訴えたエルゼターニアの都合を優先する。明日の朝までの間、何も急ぐこともない。
商店の立ち並ぶ通りに向けて歩き始める。悠然としたマオに、弾むようなエルゼターニア。
「うー、お腹ペコペコっす……ところでマオさん、この村の名物料理って何なんすかね」
「さあ? 朝も昼も、私は宿のバイキングで済ませたからよく分からんよ」
「あ、そうなんすか」
「でも大体さ、こういう田舎の名物ったら色物が相場だぜ? どうするよ、蒸した虫とか出てきたら」
「う……食べられるなら食べますけど、あんまり進んでは食べたくないっすねえ……」
からかうような言葉に渋い顔をする。それがその土地の文化に根付いたものならば否定すべきでないとは思うが、さりとてあまり突飛なものが出てきても困るエルゼターニアだ。
そんな少女を面白げに笑う。生真面目なリアクションは有り体に言って弄り甲斐があり、マオはにたにたと口を歪めていた。
「ま、仮にも観光地なんだ、変なもんは早々出すまいさ」
「そ、そうっすよね! よーし、食べちゃうぞー!」
見目もよろしい少女二人、他愛なく笑い合い道を歩く。
かくして半日ばかりだがひとまずの休息が始まったのであった。