復活のエルゼターニア・2
総合病院の受付までやって来た、エルゼターニアとハーモニ。
ここまで来れば後は手続きを済ませて正式に退院となるばかりだ……長かったような短かったような入院生活に想いを馳せて、少女はしみじみと呟いた。
「……味気なかったっす、病院食」
「あ、そうなんだ……」
「別段グルメなつもりもないんすけど、どうにもこればかりは……味がほとんどなくて、でも調味料とかもなくて。あれは完全に栄養補給のためだけのものっすね、本当に」
遠い目をして在りし日の食事に言及する。入院中、色々と不便は多かったが何より辛かったのは食事の薄口すぎるところであった。
穀物にしろ魚にしろ肉にしろ野菜にしろ、ことごとくが薄味どころかほぼ、味がないような状態で調理されていたのだから堪らない。栄養面や低刺激なことを意識したのだろうが、歯応えすらほとんどないというのはエルゼターニアには辛い話だった。
「いやあ、ほんと……差し入れなかったらどうなってたことか。ハーモニさんや他の皆さんには感謝してます」
「あ、あはは……何だかんだ果物とか結構持ち込まれてたものね。皆、それだけエルのことを心配してたんだよ」
苦笑しつつもハーモニは、入院期間中に見舞いに来た者たちについて触れる。病床のエルゼターニアを案じ、そして生きていてくれたことを喜んだ仲間たちのことである。
「ヴィアさんに、レインさんにゴルディン部長。もちろんアインさんとソフィーリアさんも来てくれたよね」
「『クローズド・ヘヴン』のオルビスさんとファズさんには驚きましたね……まさか見ず知らずなのに来てくれるなんて思わなかったっすよ」
『魔眼事件』にて共に戦った、あるいは別の場所で亜人たちを食い止めてくれていた仲間たち。治安維持局の面々からS級冒険者、果ては直接面識もない『クローズド・ヘヴン』の二人まで。
誰一人として欠けていたら、今頃共和国は崩壊していることだろう。それ程までに重要な役割を果たし、最終的に『オロバ』を撃退するに至った仲間たちだ。
決して、一人で戦っていたわけではない。素晴らしい仲間と出会い、そして共に強大な邪悪に立ち向かったからこそ、今の平和を取り戻した共和国に辿り着くことができたのだ──エルゼターニアは深く、感謝と尊敬の念を抱く。
そして、もう一人。
一度だけ、本当に短い間だけではあったがもう一人、見舞いに来てくれていた人がいた。
エルゼターニアの友にして、アインにとっても深い関わりのある人物。
ハーモニが微笑み、言った。
「でもさ、一番驚いたのはあの人……マオさんだよね。『魔法』ってすごいよ、王国からどこでもあっという間だなんて」
「アインさんとソフィーリアさん、ついでみたいに回収して王国に帰っちゃったみたいっすね……マオさんにとっては本当に、世界中どこでも散歩みたいなものなのかもしれません」
『魔王』マオ。魔眼のオリジナルにして彼女もまた、エルゼターニアを支えてくれた恩人である。
結局今に至るまで、彼女の素性についてだとかそれを受けてのエルゼターニアの想いだとかを語り合うことは未だ、できてはいない。けれどこうして退院したからには近い内、今度は自分から彼女を訪ね、改めて示さなければならないのだ。
──たとえ彼女が何であれ、友であることには関係ない、と。
「私は、私の目で見て、私の心で感じたことを信じます。マオさんは、『魔王』だったとしても良い人っす」
「……そうだね。あの人は間違いなく、エルのことを想って動いてくれていたよ。ちょっと皮肉屋さんだけど、とっても優しい人だ。アリスさんもそんな感じで言ってたし」
ハーモニも頷く。長くはないやり取りだが、マオの性格については多少、知れたところがある。皮肉げで傲岸不遜で、けれど認めた相手には素直に感謝を伝えることもできる少女だ。エルゼターニアのことを大切に思っていることも、もちろん分かっている。
強大な力と凶悪な過去を持つ、けれど親切な『魔王』。師たるアリスにも意見を聞いたハーモニだが、返ってきたのはあっさりとした、それでいて信頼と好意に満ちたものだ。
『立場が変われば善悪も変わる、当然の話じゃな』
『人間は人間で『魔王』を憎めばもちろんええが、わしらはわしらで『マオ』と生きる。誰にも誰しもにも、都合というのはあるんじゃよ、ハーモニ』
『生きとる限り、人は己の意志の赴くままにしか進めぬ……定めた地点に辿り着けるかは別にしてもな。己が想いに従い生きよ。それもまた、当然のことじゃ』
「──だって。アリスさんらしい物言いだよ。きっぱりと割り切ってる」
「さすがハーモニさんの師匠さんっすね……でも、今は私もそんな感じっすよ」
清々しい程にマオに寄ったアリスを、エルゼターニアは率直な同意を以て受け入れる。
彼女が亜人であり、『魔王』の直接の被害者でないことが多分にあったとしても、その言葉は二人の胸に染み入るものだった。誰に何を言われようがされようが……どうするか、どう生きるかを考え選ぶのは、当人の意志でしかないのだ。
ゆえに。少女も心を決めて己の意を語る。
「マオさんが過去、何をしたのか……それはもちろん許せないことっすけど。それでも私は、あの人の友達っす。それだけが今、私にとって大事なことっす」
「エルがそう決めたなら、それで良いと思うよ。私も、できればあの人と友達になりたいし」
「きっとなれますよ、お二人なら」
顔を見合わせ、笑い合う。いつの日か、マオともそのように笑い合えれば良いと……そしてその日がそう遠くなければ良いと、彼女たちはいつかの再会を待ち遠しく想うのであった。
手続きを済ませ、病院を出る。入院費や治療費などの負担金は今回、すべて国によって賄われていたため支払いは無しだ。領収書だけ書いて後はそれを、直に迎えに来るだろうヴィア課長に渡せば終わりである。
久しぶりの病院の外。いよいよ年の瀬を迎えての賑わいは更なる過熱を見せていて、病院のすぐ傍にある商店街でも人が飲み食いに明け暮れているのが見て取れる。
ハーモニが、隣のエルゼターニアに悪戯っぽく問いかけた。
「どうですかーエルさーん、お久しぶりの外界ですよー」
「何すかその口調……最高っすね。平和そのもので、皆、笑い合っていて」
「エルが護り抜いた光景だよ。貴女は、この国に平和を取り戻したんだ」
「私一人じゃないっすよ。皆さんがいてくださってこその、平和っす」
淡い笑みを浮かべ、エルゼターニアは改めて、自分たちの命を懸けた戦いが無駄でなかったことを実感する。あともう一息のところで、この光景は永遠に失われていたのだ──そんな、もしもの恐怖と共に。
護り抜けて良かった。達成感が今になってようやく、少女の胸を駆け巡る。
亜人犯罪もいよいよ根絶に近づいている今、ついに実現するのだ。誰もが当たり前の平和を、当たり前に享受できる世の中。人間と亜人の、適切な距離感の下での友好関係。
すなわち『共和』理念が取り戻された、戦争以前の共和国の姿である。
「……と言ってもまだまだ、捨て置けない連中はいるんすけどね」
「『オロバ』か……エル、もしかして奴らを追うの? もう共和国にはいないだろうし、連邦とか帝国でのことになっちゃうよ?」
不安げに、ハーモニが尋ねる。
今回、一連の事件にて発覚した存在『オロバ』。王国に続いては共和国においても邪悪な活動を展開したその組織は、次いで王国の北にある連邦領、並びに遥か海の向こうにある一大国家、帝国において動き始めているらしい。
独自に『オロバ』を追っている最上位天使たちのトップ、『第一位』ニケイアがマオに渡した情報だ。信憑性は高い。
つまりエルゼターニアが『オロバ』を追うと言うのであれば、ことは共和国を離れ遠い異国の地にまで及ぶことになる。
これまで散々に戦い傷付いてきたというのに、更にそこまで追撃するというのか。ハーモニはやんわりと制止をかけた。
「共和国の平和は取り戻されたけど、まだまだ特務執行官の仕事はあるはずだよ。何もそんな、わざわざあんな奴らに関わろうとする必要なんて無いよ、エル」
「そうかもしれませんね。でも……結局『ミッション・魔眼』は達成されてしまったって話じゃないっすか」
「む……『運命魔眼』とやらだね。トリエントはたしかに、完成したとか達成したとか言ってたけど」
痛いところを突かれ、ハーモニが呻いた。指摘の通り、『オロバ』大幹部レンサスが進めていた『ミッション・魔眼』、その本懐──『運命魔眼』は完成に至り、首領の元へと渡った。
つまりレンサス個人の目的である復讐こそどうにか食い止めたものの、『オロバ』としての目的はまんまと成功されてしまったのだ。
かの組織がそれによって最終的に何を狙っているのかは知れたものではないが、どのみちろくなものでないことは容易に想像がつく以上、これは痛恨の事態に他ならなかった。
「王国での『魔剣騒動』。そっちの方はアインさんが、主導者の目的も『オロバ』の目的も壊滅させたって話っす……それを思うと、私は組織と戦うアインさんやマオさんのお役には、何一つ立てなかったんすよ」
「それは……考えすぎだよ。アインさんも気にしてなかったし」
「自虐でも何でもないっすよ……事実っす」
淡々と語るエルゼターニア。そこには言葉通り己を無闇に痛め付けるような色はない。ただ事実を受け止めて、そこからどうするかという決意と覚悟が見えている。
新時代の英雄、『焔魔豪剣』アインが最初に課せられた、星の端末機構としての使命。それが『オロバ』討伐だ。
それもあり、彼は祖国でも何でもない共和国にも力を貸してくれたのだろう。それにマオとて、そもそも組織の存在がなければ共和国にやって来ることなどなかった。彼ら彼女らは皆、かの邪悪の目的達成を防ぎ打倒するためにエルゼターニアに協力してくれていたのだ。
だが結果として、そうした『オロバ』との戦いのある一面においてアインとマオは今回、間違いなく敗北したと言える。
すべてが後手に回った末、まんまとしてやられたのだ……それは彼らというより共和国のサポートの薄さの方に問題があるとエルゼターニア自身は捉えていた。
ゆえに。歯噛みして少女は呟く。
「『運命魔眼』の完成をも阻止できていたなら、それが一番だったんすよ。でもそれは叶わなかった。あんなにすごい人たちの力をお借りしておきながら、共和国はまんまと利用されきってしまったんす。それが私は、悔しくて許せない」
「エル……」
「私は、『オロバ』を追います。この国を、世界を踏みにじろうとする邪悪を……特務執行官として決して、放ってはおけません」
その言葉、瞳に宿る信念の輝き。ハーモニが隣で息を飲む程に、エルゼターニアの面構えは気迫を伴うものだった。まるで──『焔魔豪剣』アインのように。あるいは師アリスのように。あるいは『剣姫』リリーナのように。何よりハーモニ自身のように。
英雄の相。己のためでなく他者のため、全身全霊を尽くして邪悪と戦う者に宿る正義と大義と信念の相だ。
「そして今度は私が、アインさんやマオさんの力になる番っす。絶対に、『オロバ』を止めます」
「……そっか。それなら、私ももちろん付き合うよ!」
ハーモニはもはや、少女を止めはしなかった。
ついに認めたのだ。エルゼターニアもまた、アインと同じく新時代の英雄たる素質を持っていることを。そして『魔眼事件』を経てそれが見事に開花したことを。
特務執行官──今や巷では『共和の守護者』とさえ称えられるひとかどの英雄。そんなエルゼターニアが、一切疑う余地もなく『オロバ』を打倒すべしと認識したのだ。そのパートナーたるハーモニもまた、同じ志でいるのは当然のことだ。
「エル……今度こそ足手纏いにはならない。最後の最後まで貴女と共に、戦い抜くよ」
「貴女を足手纏いなんて思ったこと、一瞬だってありはしません。私の、かけがえのないパートナー……ハーモニさん。最後まで、私たちは一緒っす」
柔らかな両手を握り合わせての誓い。少女らはここに改めて約束を交わした。
『オロバ』打倒に向けて──大いなる英雄たちがまた二人、参戦を表明した瞬間であった。
色々フラグが立った末、エルちゃん第三部参戦が確定しました、的な




