少女マオ、不思議な同行者
突然の出会い。王国からやって来た少女マオの提案を、エルゼターニアは面食らいつつも即座に断った。
どういった理由によるものか、自分に付いてくる心算らしいのだ。特務執行官としての仕事が控えている今、そんなことを許可できるはずもない。
「い、いや無理っすよ! 私この村には仕事で来てるんすから! 遊びじゃないんすよ!?」
「服と得物見りゃそんなことくらい分かるよ。むしろだからこそ言ってるのさ……特務執行官とやらの職務、見学させろってんだよ」
「見学って……亜人との戦いなんすけど!?」
「それを見たいんだろ? あ、私の身の危険とか考えてるなら心配すんなよ。こう見えて腕に覚えはある」
腕組みして不敵に笑うマオ。恐ろしい程に尊大な態度で見学したい、などとのたまう少女の、エメラルドグリーンの髪が風に揺れた。
言葉に詰まるエルゼターニアに、なおも続けて言う。
「ほらほら、そうとなればこんなところで油売ってないで仕事しろよ仕事ー。どこの亜人をぶち殺すんだ? この辺りならオークとかケンタウロスか? その鎌で素っ首刈り取るのか? 案外エグいな!」
「殺さないっすよ!? 基本的に捕縛、逮捕なんすから! ……ああ、もう何でこんなことにぃ」
完全に同行する気満々なマオに頭を抱えて呻く。どうしたものかと往来で悩むその姿は、多くの温泉客の視線を集めていて。
そうした視線さえ面白がって、マオはけらけらと笑って言うのであった。
「人生諦めが肝心だぜエルゼターニア。私も昔、とある男に散々ひどい目に遭わされてそんな風に取り乱したもんさ。ははは、懐かしい姿だねえ」
「ううう、何だか人生経験豊富っすね……」
「こう見えて色々とやって来てるからね。で、どうするんだ? そもそもこの辺りで何か、亜人が悪さでもしたってのか?」
「……と、とりあえず。保安部の駐在所に行くとこっす。この辺りで最近、放火が相次いでるみたいなんで」
説明しながら、そうだ保安部だとエルゼターニアは閃いた。
一人ではこのマオをどうにも振り切れる気がしないが、保安部の者たちも交えてならば彼女を説得できるかもしれない。
「じゃあ……保安部に行って、保安官の人たちに許可をもらったら同行してくださいよ。たぶん、いえ絶対におりないと思いますけど」
「ふうん? まあ良いや、じゃあ行こうか」
あからさまに拒絶の気配を出すエルゼターニアにも面白がって笑うマオ。余裕しか感じさせないその表情に不気味なものを感じながらも、二人は通りを抜けた先にある保安部駐在所へと向かい始めた。
歩きながら、なおも会話は重ねていく。
「……っていうかマオさん、腕に覚えがあるって何か、武術とか修めていらっしゃるんすか?」
「ん? いや、武術じゃないがちょっとした技術をね。まあ元より亜人なわけだから、そういう技をさっ引いても人間よりかは身体能力は上だが」
「亜人……っ?」
思いもかけない言葉に今度こそ、エルゼターニアは叫びそうになった。亜人。目の前の少女が。
ほとんどの亜人種に見られる特別な身体的特徴が特に見当たらない──エメラルドグリーンの髪色や美しい顔立ちは目立つが、それは亜人種としての特徴には当たらないだろう。そんなマオだが亜人だと言うのか。
まさかこんなところで亜人に出くわした可能性があるなどと思ってもみなかったエルゼターニア。どうにか声を抑えられたのは、単にこの村に要らぬ騒動を引き起こしたくないという思いと、事前に『特級王国賓客待遇証明書』を見ており、彼女が王国の賓客であると知っていたからに他ならない。
とはいえ亜人であると言うからには油断なぞできるわけもなく、強張る顔と声音で問う。
「……改めて、お聞かせ願えますか。何故この国に? そして私の仕事を見学したいという、その理由は?」
「ほう……中々良い面になるもんだな。それが特務執行官、この国で最強の亜人ハンターとしての君か」
「お答えください、マオさんっ」
立ち止まって、後ろ手にルヴァルクレークを掴みさえしながらの詰問。いざとなれば即座に戦う可能性さえ考えてのエルゼターニアの動きに、マオは重ねて感心した。
内心で笑う──この『特務執行官』とやら、思っていたよりずっと面白い。
「心構えに関しては、出会った頃の小僧よりかはできてるな。さすがに亜人を狩り続けてるって話なだけはある」
「小僧?」
「いやいやこっちの話。えーっと、ここに来た理由だっけ? 言ったろ、観光だよ観光。あと湯治。君の仕事を見学したいのは、単なる好奇心さ」
肩を竦める。そんな仕草一つにも、どこか超常のカリスマが感ぜられる。戸惑いと共にひどく言うことを聞きたくなるような声音。
まさか、とエルゼターニアは呻いた。
「ヒュプノ……? もしかしてラミアっすか、マオさん?」
「は?」
『ラミア』……普段は人間と変わらないが、その力を発揮する際には下半身が蛇へと変じさせるのが特徴の亜人だ。加えて人間に対する催眠効果のあるフェロモンを散布する『ヒュプノ』という技も持っている。
「ヒュプノで、私に言うこと聞かそうってんじゃないんすか? てっきりそうかと思ったんすけど」
「あいつらと同じにするなよ……私、催眠術なんて使えないぜ?」
そうした点を踏まえての、ある種の確信をさえ秘めた言葉だったのだが……返ってきたのはやれやれと言ったリアクションだけで。
エルゼターニアが目を点にする中、マオがため息交じりに説明する。
「そもそも私はラミアじゃない。わけあって詳細は省くが、世界でも珍しい種の亜人だ。証明書にもあるだろ、種族欄」
「え……あ、本当だ! 小さく『亜人(その他)』って」
「その他呼ばわりは不満だが……レアすぎてそういう扱いされてしまうようなマイナー亜人ってことだよ」
『特級王国賓客待遇証明書』にも細かく記載されていた、その他扱いの亜人……ラミアは世界各地に住み着いており、その数も多いことからこのような扱いはまず受けることはない。
つまりは思い違いだったのだ、エルゼターニアの。頭を掻いて彼女は詫びた。
「す、すみません失礼なことを! いや何でか、マオさんからすごい、カリスマオーラ! みたいなのを感じ取っちゃいまして……ヒュプノでそうなるように暗示されたのかなーとか」
「ふうん? まあ私のカリスマ半端ないからね。さすがマオさんってところかなー、わはは!」
戸惑いと混乱のエルゼターニアを尻目に、マオは一人、何やら自画自賛の笑みを浮かべた。
別段威圧の類いを行っていたわけでもないのだから、エルゼターニアの感覚が鋭敏なのだろうが……それでも『あなたのカリスマに当てられました』などと言われては悪い気もしない。
軽く首を左右に振って、鷹揚に笑う。寛大な素振りでマオは、エルゼターニアを許した。
「いや、警戒させたならすまないね。何しろ数年前までそこそこの地位にいた身の上なんだ。なるだけ気配を抑えるから、この失礼を許しておくれ?」
「あ、いえ……ていうかお偉いさんだったんすね。すみません何だか、生意気な口を」
「昔のことだから。今はご隠居だ、あんまり気にするなよ特務執行官」
ぽんぽん、と肩を叩く。気さくな言動にどうもペースを崩されつつも、エルゼターニアはマオを伴って保安部駐在所へと向かうのであった。
「……あまり良くはないのですが、仕方ありませんね。特務執行官、申し訳ありませんがしばらくこちらのマオ殿をお連れしていただけますか?」
「嘘ぉっ!?」
「はっはっはっは! うむうむ苦しゅうない、さすがは共和国! 王国よりずっと物分かりが良くて助かるよ!」
通りを越えた先にあった保安部駐在所──木造二階建て、首都の治安維持局本部に比べるべくもないささやかな施設だ──にて、エルゼターニアはまさかの言葉に叫んだ。隣ではマオが、ひどく上機嫌に高笑いなどしている。
まったくの予想外だった……保安部としての見解が、マオの意向に沿うものであったのだ。つまり彼女の同行を認め、特務執行官たるエルゼターニアに付き添わせるというのである。
目の前の保安官、前もって現地入りしていた放火事件の捜査担当員の男は曖昧な笑みを浮かべており、申し訳なさそうにエルゼターニアへと説明をしていた。
「他国の賓客、それも特級の方ですしあまり無下にもできません……あることないこと後から言われても国際問題ですし、ここはある程度要求を飲むべきかと」
「いや、いやいや! 犯罪者や亜人と相対するんすよ!? それでマオさんに何かあれば、それこそ国際問題じゃないすか!」
必死で説得する。いくら他国の賓客と言えど、こんな我が儘を許しては仕事が成り立たない。
そんな訴えに保安官は何度も頷き、しかし苦々しくも答えた。
「ですのでそこは、本当に危険な場面だけは遠ざけてですね。特務執行官の職務についての説明ですとか、危険性や秘匿性の低いところだけお立ち会いいただくんですよ」
「そ、そんなぁ……!」
愕然とエルゼターニアが呻いた。これからいつ荒事になるとも知れない現場に入るというのに、護衛対象ですらある他国の賓客を連れていくなどいくらなんでも無茶な話だ。
頭を抱える彼女に、マオがニヤニヤと笑って言う。
「まあまあ特務執行官殿、良いじゃないかよそのくらいさあ。私だって別に事件に深入りしたいわけじゃない。ある程度、君の仕事について理解が深まったら大人しく退散するさ」
「こうして特務執行官が到着された以上、この事件もそう長くはかかりませんよ。基本、普段通りの職務を行っていただければ大丈夫です」
「で、でも……」
「後で礼ならするからさ。頼むよ」
茶目っ気めかしてウインクなどして見せるマオに、エルゼターニアは未だ渋面を浮かべるばかりだったが……やがて仕方ないと、深くため息を吐いた。
「……本当に危なくなったらすぐに退避してもらいますからね? 何をするにしても、現場では私の言うことをしっかり聞いてくださいよ」
「分かってる分かってる。私だって君に嫌がらせがしたいわけじゃないからね、ははは」
「もうこの時点で十分嫌がらせに近いんすけどぉ……」
げっそりと肩を落とす。命懸けの職務を前に、大変面倒なことになった……何度も頭を下げてくる保安官と相変わらず不敵な笑みを浮かべているマオを見る。
「いやーこれが王国騎士団あたりだと、一も二もなく放り出されてたろうな! 他所の国の賓客ともなると、扱いは大変みたいだな?」
「ええまったく。ですので早目に満足してご退散いただけますと助かるのですが」
「はいはい。ま、これは君らにとっても悪い話じゃないぜ? そこなエルゼターニアの働きぶりと共和国の現状によっては、多少なりとも協力できることもあるさ」
「は、はあ……」
何やら匂わせるところのある口振りなマオと、よく分からないと曖昧に頷く保安官と。
どうやら今回はやけに大変なことになりそうだと、エルゼターニアは頭を抱えるのであった。