故郷へ、とりとめのない話
共和国内陸部に走る馬車は、今や目的地を眼前に控えるところまで道程を踏破していた。首都からそう離れていないため、時間的には未だ昼過ぎだ。
広がる草原のすぐ近くを河が流れていた。共和国中央部にある山脈から下りてくるそれは内陸部から始まり北西部へと延々伸び、そこから首都に向け南下するといううねる形状をしている。そのため内陸部から北西部、更には首都の一部に住む人々にとり無くてはならない生命線となっているのだ。
清らかに水のせせらぐ川と、風を浴びて楚々とそよぐ草原を馬車から一目見て、ハーモニが穏やかに笑った。
「平和な風景だね……ちょっと退屈なくらい」
「私は、こうしてずっと見てられますけどね」
バトルジャンキーゆえか、平穏さに落ち着かずにいる様子のヴァンパイアに苦笑して、隣に座るエルゼターニアはけれど、窓からずっと風景を眺めていた。
共和国のどこにでも見られる光景だが、彼女はそれを退屈なものだと感じたことはない。いやむしろ、鮮やかな自然を目の当たりにするごとに、感動と使命感を再確認できている程だ……すなわちこの風景、この国を護るために命を掛けようという、決意を新たにできるのだ。
軽い笑みすら浮かべ、慈しむように外を眺めるエルゼターニア。そんな彼女の横顔を見つめながら、そう言えばとハーモニが呟く。
「今度の町、エルの故郷なんだよね? ご家族さんに会いに行くの?」
「え? ええ、まあ……たしかめたいこと、できましたからね」
「課長さんと話してたみたいだけど、結局何だったの?」
並べ立てられる疑問は、いずれも今から向かう先、もうじき到着する内陸部の町……特務執行官エルゼターニアの生まれ故郷たる場所に関してのものばかりだ。
特にその場所で何か事件があったわけではないが、しっかりとヴィア課長から許可を得ての帰省だった。
許可が下るきっかけとなった、彼との衝撃的なやり取りを思い返し、エルゼターニアは応える。
「……ルヴァルクレークの、『電磁兵装』の使用条件。何故私が特務執行官に選ばれたのか。そこらへんに関することっすね」
「へえ?」
「どうにも、私の家のルーツに関係があるらしいんすよ。それをたしかめに、今から家に帰るんす」
そう言って彼女は、壁に立て掛けているルヴァルクレークに目を向けた。
かつては『オロバ』の一員だったという、謎の科学者クラウシフ博士が共和国に残した3つの『電磁兵装』の内の一つ、ルヴァルクレーク。
未知の技術、未知のエネルギーを用いて人間に亜人にも対抗できる力を与える、まさしく夢のような武器だ。
だがその使用には条件が定められており、クラウシフはその条件を満たす者にのみ、かの兵器を扱えるように設定していた。
かつて、ルヴァルクレークの使用条件を満たす存在を探して、特務執行課長ヴィアは永らく国中を巡っていた。そして見付けたのが一人の少女だった。
当時は単なる村娘でしかなかったその少女に交渉し、結果、特務執行官は誕生したのである。
少女──エルゼターニアは、続けて言った。
「初めから疑問だったんすよ。どうして私だったのか……私じゃなくても他の誰か、ルヴァルクレークを使える人がいるんじゃないのかなって」
「そりゃ当然の疑問だね。ただの村娘をいきなり、国の守護者として亜人に立ち向かわせるなんて普通じゃ考えられない。どうしてもエルじゃなきゃ駄目だった理由、無いとおかしいもの」
「はい。ただ、それに対する答えはこの一年、常に一つきりでした」
嘆息混じり、苦笑と共に告げる。何度も繰り返し、純粋な疑問から尋ねていたルヴァルクレークの使用条件とエルゼターニアが選定された理由。
ヴィアから返される言葉はいつも同じものだった。
「『時が来れば話す』。治安維持局長の許可が下りないからと、中々教えてはもらえなかったんすよ」
「……よく今まで真面目に特務執行官やって来たね、エル。私なら途中で、放り出しまではしなくともやる気は失せてるかも」
「そこはこの国と、この国に生きる人たちと、そして『共和』の理念のためっすよ。疑問こそありましたが、特務執行官になること自体は私の意志っすからね」
「何とまあ……」
呆れたように呻くハーモニ。事実上、目の前の少女は理由も告げられぬまま戦いへと駆り出されたのだ……大鎌一つばかり持たされて、亜人を捕縛せよ国を護れと言われるがまま、けれど本人自身の強い熱意によって。
かつて自分も、似たような情熱で旧世代のヴァンパイアたちを打倒すべく立ち上がったことはあるが、それにしても選ばれた理由さえ聞かされないのは酷い気がする。
ヴァンパイアは顔をしかめつつ問うた。
「何で教えられなかったんだろう……機密保持とかそういうのにしたって、当の本人にくらいは知らせても良いだろうに。そこも聞いたんでしょ、あの課長さんから」
「はい。まあ、割と理解できる気がする理由でしたよ。たしかに共和国としては、本人に教えるか否か迷うところかもしれないかなーって納得しました」
「……もったいぶるなあ。ねね、そろそろ教えてよ、エルぅ」
いい加減、肝心のルヴァルクレーク使用条件を知りたがってきたのか、ハーモニが甘えるようにエルゼターニアにしなだれかかってきた。動物がじゃれるようにすり寄る。
こうしたスキンシップにもさすがに慣れてきた、エルゼターニアの方も特に騒ぐことなく対応した。ヴァンパイアの女を抱き止め、その頭を撫で付けて言う。
「正直、私自身も半信半疑なんすよ。なんで今からたしかめに帰省するわけで……確定したら教えます。それまで我慢、できますよね?」
「むむ……エルが構ってくれたら、我慢するー」
「はいはい。もう、甘えたな子猫じゃあるまいし。私の何倍も生きてる人のやることじゃないっすよ?」
口を尖らせるハーモニの姿は、まるきり女児そのものだ。少なくとも100年以上を生きたヴァンパイア、その中でも英雄として称えられる存在が凡そ、するものとも思えないでエルゼターニアは苦く笑った。
そうこうしている内に馬車はもう、町のすぐ近くだ。
久々の故郷の空気を感じ、自然と肩の力を抜いていく、特務執行官であった。
辿り着いた町の、舗装された街道を行く。目的地たるエルゼターニアの実家は町の中心部で、そこまでは引き続き馬車が彼女らを運んでいた。
古びた、けれど清潔間の保たれた家の立ち並ぶ道──相変わらずの光景だと、この町で生まれ育った特務執行官が頬を緩める。
「久しぶりっすね……特に変わったところもないみたいでホッとしました」
「ここが、エルの故郷。何か良い雰囲気だね、落ち着いて、甘い花の香りがする」
「このあたりで栽培してる花畑からのものっすね。観光名所なんすよ」
「へえー……」
そんな彼女に甘えるように抱きついたまま、ハーモニが町を見ている。彼女の言うように、町には全体的に甘い、華やかな薫りが仄かに漂っていた。町の周囲いくつかに点在している花畑からのもので、清潔感の演出にも一役買っている。
──と、そこでハーモニが鼻を鳴らした。町の薫りを嗅ぎ、次いでエルゼターニアの首筋に顔を埋める。
これはさすがに堪らず、エルゼターニアはハーモニを引き剥がした。
「ちょ……な、何してんすかいきなり!」
「くん、くん……あ、やっぱり同じ匂い。エルからたまに感じる甘い匂い、この町の花の匂いなんだね。香水?」
「時々、寝起きにちょっとだけっすけどね! でもさすがに恥ずかしいんで止めてもらえますか!?」
顔を赤くしてエルゼターニアが叱りつける。件の花から抽出した香水を時折、思い出したかのように付ける彼女だが、常人ならばまず気付けない程に微かな量だ……匂いを目的とするよりは郷愁、つまりこの町への想いが為さしめるゆえに、そこはどうでも良かったために。
それをまさか、いくら密着しているとはいえ悟られるとは思わなかった。突然己の匂いを嗅がれたことと、変に洒落っ気を起こしているように見られたのではないかという羞恥が襲いかかる。
ヴァンパイア、というより亜人は嗅覚まで優れていることを再確認しながらも、エルゼターニアはまったくとぼやいた。
「女同士でも犯罪的っすよこんなの……もう。大体、私から花の匂いがするからどうだって言うんすか」
「あ、あはは……ごめんね? でもさ、何か嬉しくて! エルの薫りがする町なんて、素敵じゃん!」
「逆っすよ!? 私の匂いがする町じゃなくて、町の匂いがする私っす!!」
「私にとってはこの匂いはエルの薫りなの! だから逆じゃないのー!」
「ぎゃー! また匂い嗅がないでくださいー!!」
主張しながらもまた、エルゼターニアの首筋に顔を埋め抱きつくハーモニ。
反抗しつつも、まるで大型の犬のようだとため息を吐く。灰色の髪に真紅の瞳と、ともすればクールな印象の割にどうにも幼くじゃれついてくる女だ。
ヴァンパイアという種族にこうまで密着されるのは怖さもあるのだが、とエルゼターニアは指摘した。
「……あの、頼みますから勢い余って私の血を吸うとか勘弁してくださいよ? 職務上生傷は絶えませんが、味方に傷物にされるとか本当に嫌なんで」
「吸わないよう!? え、エルまで何か誤解してる……!?」
ショックに身を震わせてハーモニは身を離した。ひとまず落ち着いて息を吐くエルゼターニアだが、何か傷付けることを言ってしまったかと不安になり彼女を見れば、ハーモニは拗ねたように上目遣いでこちらを見ていた。
「うー! 誤解だよ、風評被害だよー!」
「え、と。すみませんハーモニさん。ヴァンパイアのイメージ的に、つい……血を吸うのが好きなのでは?」
「ぜんっぜん、嫌いだよ!? たしかに人間さんの血は吸うけど、それだって能力を維持するために仕方なくやってることだし!!」
涙目にさえなりつつハーモニは説明した。
ヴァンパイア……好んで人間の血を啜り己の力とする亜人という認識がされがちな種族だが、実際のところはやや異なる。
人間の血液を接種することで強大な能力を行使できる体質であるため、血を吸うことには変わりないのだが、嗜好としてはむしろ苦手としている。つまり、まずいのを我慢して仕方なく吸血行為に及んでいるに過ぎないのである。
意外そうに目を丸めるエルゼターニアに、ハーモニは続けて言う。
「大体あんな鉄臭い、血腥いもの誰が好き好んで飲むのよ……極力飲みたくないから、最低限の量を月に一度だけ飲んでるくらいなんだよ?」
「それは、誰か協力者が? 毎月吸われるって地味に大変じゃ……」
「直接噛みついたりもしーてーなーいー! ヴァンパイア互助会から受け取る血液パックを接種してるんですー!」
「へ、へぁー。そうなんすねえ」
ヴァンパイアに関する予想外の真実。人間の間で出回っている話も案外当てにならないと、特務執行官の少女は唸らされていた。
亜人とは奥が深い──そんな感慨を以て頷いている彼女に、熱が入ったのかハーモニがずいと迫ってくる。
「よーし良い機会だからエルに、私たちヴァンパイアについてレクチャーするよ!」
「え。でももうすぐ家に」
「それまでの間でもできる限りは教えるからね!! 私たちが別に、日光を浴びてどうこうなることはないとか、流水に弱いわけじゃないとか!」
「そうなんすか?」
「そーうーなーのー!!」
仰天するエルゼターニアに、ハーモニはいよいよヴァンパイアの何たるかを説かんと迫る。
目的地たる特務執行官の実家までもう少し、それでもわずかながら、ヴァンパイアという種族への理解は深められていくのであった。




