燃え上がれ銀朱、邪悪を討つ焔
何が起きたのか、一瞬ながら理解できなかった。いきなり突き飛ばされたと思えば、真っ直ぐ伸びた光線にハーモニが貫かれて。
エルゼターニアは自失するも、やがて事態を把握して叫んだ。
「ハ……ハーモニさんっ!!」
攻撃された。ハーモニが、己を庇って。
端的に何が起きたかだけを理解しての絶叫が辺りに響く。特務執行官の視線の先、ヴァンパイアの女は胸に風穴を開けて膝から崩れ落ちていた。
慌てて、傷を負った身体を無理に動かしてハーモニの下へ詰め寄る。
「ハーモニさん!? そんな、何が!?」
「くっ、う……がはっ」
倒れかけた女を抱き止め、唐突な事態に混乱するエルゼターニア。口から血を吐くハーモニがひどく弱々しく、焦燥と恐怖が少女を襲う。
ヴァンパイアは、やがて弱々しくも呟いた。
「だ……だ、いじょうぶ、エル」
「ハーモニさんっ……でも、その傷は」
「この、くらいなら……!」
震える声で案じるエルゼターニアを安心させようと笑い、ハーモニはその身を霧へと変えていった。
傷ごと、血ごと『霧化』したのだ。そしてすぐに肉体を形成した。傷を追う前の、元通りの姿へと戻るハーモニ。
しかしそれでも膝をつき、彼女は荒く息をした。
「ぐっ、う……!! っは、はぁっ、はあ……」
「だ、大丈夫なんすか!?」
「傷は、ね。くうっ……でも、痛みを消すとか、体力まで元通りとはいかないから、さ。くそ……まずいな、戦えそうにない」
胸を貫かれての明らかな致命傷さえ、ヴァンパイアは『霧化』することによって帳消しにできる。
しかしそれとて、ダメージまで無かったことにできるわけではない。胸を貫かれた痛みはハーモニをして、悔しげに戦闘不能を宣言させる程のものであったのだ。その身体を、エルゼターニアが抱きしめて胸元に寄せる。
「生きているならまずは良いっす……! それより、今の攻撃は!?」
ひとまず生きてくれているならそれで良い。問題は、これをやったのが誰か、だ。
光線の放たれた彼方へと視線をやる。下手人らしき者はすぐに見つかった──翼の生えた男女と、大きな鳥の背に乗る少年が一人。
「有翼亜人! それも放火に荷担していた、あの『天使』!!」
「……お久しぶりですね、特務執行官。不躾な攻撃、失礼いたしました」
驚愕するエルゼターニアに、天使──以前温泉村にて放火に手を染めた『魔眼』使いを護衛していた、有翼亜人の女はゆっくりと地に降り立ち、言葉を発した。
同時にもう一人の有翼亜人も大地に降り立った。こちらは男で、威圧感のあるスキンヘッドだ。
男もまた、エルゼターニアに声をかける。
「こうして面と向かうのは初になるな、特務執行官。クラバルを下した手腕、見事だった」
「私のことを知って……何者だ!」
「失礼ながら先の温泉村以降、いくらかは観察させていただいていた。私はトリエント。『天使』トリエントだ」
「後れ馳せながら私も名乗らせていただきます──エフェソス。『天使』エフェソスと申します」
「トリエントと、エフェソス……っ」
名乗りを受けて、いよいよエルゼターニアは身構えた。とはいえ『ルヴァルクレーク"エクスキューショナー"』によるダメージが大きく、更に大ダメージを負ったハーモニを抱き寄せているため、ルヴァルクレークを握りしめるくらいしかできなかったが。
そんな特務執行官の様子に表情を曇らせて、エフェソスは俯き気味に言う。
「本当に……申しわけありません。戦い終えた直後の、負傷した戦士にこれ程卑劣な奇襲を仕掛けるなど。そこなヴァンパイアが庇うのは予想外でしたが、私としては助かった心地です」
「何をふざけたことを……! 何のつもりだ!!」
「我々も好きで、このようなことをしているわけではないということだが……君には関係ない話だな、特務執行官。我々は、下衆だ」
同じく苦々しく語るトリエント。天使の亜人がふたりそろって、今しがたの奇襲には抵抗感が強いことを匂わせている。
訝しむエルゼターニア。そんな折、天使たちの後ろ、巨大な鳥に乗る少年が鼻を鳴らした。
「下らないやり取りはやめなよ、馬鹿馬鹿しい」
「……しかし」
「敵に情を移すなんてとんだ甘ちゃんどもだよ、お前らは……いいから言われたことだけやってろ。せっかく利用してやって、利用されてやってるのにそんなんじゃ甲斐が無いんだよ、ボンクラどもが」
辛辣な言葉を吐く少年に、エルゼターニアは視線を向けた。
灰色の髪の、スーツ姿だ。端正な顔立ちなのだろうが、表情が憎悪に染まった憤怒に満ちていて判別しかねた。何かに激怒している、そんな顔だ。
「君、は?」
「ふん……お前が巷で噂の特務執行官か。クラバルと『磁力魔眼』を一顧だにしなかったのは大したもんだが、自爆同然のその有り様じゃあな」
「れ……レンサス。来ていたのですか」
エルゼターニアとハーモニの後方、未だ身体を崩壊させたままのクラバルが言った。少年に対し、畏怖とも親しみともつかない声音でいる。
レンサスと呼ばれた少年もまた、クラバルに応えた。
「ああ、特務執行官とやらの様子見がてらね。負けちゃったか、神父」
「……貴方には申しわけないことです。せっかく魔眼を与えてくれたのに」
「ふん、最初から期待してないから良いよ。ま、そこのガキどもからデータも取れたし、後は好きにしろ……お疲れさん。終われて良かったな」
「そう、ですね。彼女の、エルゼターニアさんのお陰です」
無感情な、けれどどこか優しげなものを覗かせる少年。マリオスとリアスの二人にもどこか、暖かみのある視線をちらとやる。
そうしてから、彼は──凍てつくような視線を、エルゼターニアに向けた。
先の会話から聞き捨てならない言葉を拾っていた少女が、噛み付くように問う。
「クラバルさんに魔眼を与えた……! つまり君も『オロバ』の!?」
「君も、じゃないな……君が、なら意味が通る。冥土の土産だお姉さん、名乗りくらいはしたげるよ」
少年は巨大な鳥の上、立ち上がって詰まらなさそうに名乗りをあげた。
「『オロバ』大幹部レンサス。亜人としての種は『スモーラ』だ──こう見えても600年は生きてるよ。ま、人間からはガキにしか見られないんだけどさ」
「大幹部……!? まさか、この国で魔眼事件を引き起こしているのは!」
「僕の指揮だ。『ミッション・魔眼』……魔眼を用いての大願成就、そのための実験場なのさ、共和国は」
「……!!」
名乗りを受けて、エルゼターニアは絶句した。このような、見た目は年端もいかない少年が『オロバ』の大幹部にして、一連の魔眼事件の黒幕というのだ。
つまりはこの少年を倒せば、少なくとも魔眼事件に関してはひとまず解決へと向かうことになる。
「……っ、ぐっ!」
ハーモニを横たわらせ、立ち上がる。あちこちの傷口から血が流れるのも気にせずルヴァルクレークを構えるエルゼターニア。
レンサスが口笛を吹いた。エフェソス、トリエントは感心しつつ、しかし苦み走った表情で見ている。
「やるね、お姉さん……その傷でまだ戦う気なんだ」
「……お止めなさい。抵抗しなければ命までは奪いません。再起不能にはなっていただきますが、それでも死ぬことはないのです」
痛みを堪えて立ち向かわんとする特務執行官に、レンサスとエフェソスがそれぞれ声をかける。
命までは取る気はないとする天使の言は、恐らく本当なのだろうとエルゼターニアにも分かっている。戦意は感じても殺意まではないのだ、本当に、抵抗しなければ命だけは助かるのだろう。
しかし、それでもエルゼターニアは構えた。トリエントが静かに問いかける。
「まだうら若き乙女よ。国のためと言えど、このような場所で死ぬことになっても良いのか?」
「『特務執行官』を舐めるな……! 私は、決してこの国を脅かす輩に屈しはしない!」
「まともに戦えまい、その体では。勝ち目はないのだぞ」
「命ある限り、戦う力はまだ残っている!! たとえ両手両足もがれても私は、首だけでも食らいつくぞ『オロバ』ッ!!」
決死の覚悟。たとえここで死んだとしても、刺し違えてでも『オロバ』を止めて見せるという決意。
少女の苛烈な意志を受け、天使二人は瞳を閉じた──見事。その一言に尽きる。
戦士として、護るべきもののために命をさえ擲たんとする姿勢。真に敬意に値すると、エフェソスとトリエントは感嘆の念を漏らす。
ゆえにもう、容赦はしない。せめて早々と葬ってやるのが天使としての務めだと、二人は槍を構えた。
絶望的な戦いの気配。相手は万全の時でさえ分が悪かったエフェソスに加え、恐らくはかつて、マオにエフェソス以上と言わしめた闖入者であろうトリエント。
ことここに至り、特務執行官は悟っていた──私は、ここで、死ぬ。
そんなエルゼターニアを、深手により動くことも難しいハーモニが必死に制止していた。
「エル……駄目だ、逃げて……死なないでっ!」
「ハーモニさん……すみません。なるべく時間を稼ぎますから、どうにか三人を連れて離脱してください」
「やだよそんなの……せっかく会えたのに、これから一緒に闘えるはずなのに!! ねえ生きてよ、生き抜いてよぉっ!!」
「たった一日なんて短い間でしたけど、知り合えて良かったっすよ、ハーモニさん……この国の未来、どうかお願いします」
「エルっ……!!」
微笑みながらも託す言葉、すなわち遺言。そんな言葉を聞きたくないと、ハーモニは涙さえ流して俯いた。
クラバルが叫ぶ。
「止めてください! 彼女を、せめて命までは!!」
「クラバル……悪いが無理だ。これ程の戦士相手に手心を加えては、逆にこちらが殺られる」
「何より失礼というものでしょう、彼女は超一流の戦士です。そんな方に私たちができることは、せめて全力で全速で葬ることだけ」
「そ、んな……!」
戦士として強固な意志の天使二人を止めること叶わず、クラバルは言葉を失う。
まさかこんなことになるとは……己が為したことで、目の前で恩人が死ぬ。そのことが受け入れがたく、神父は呆然自失となっていた。
そして。エルゼターニアが構えた。
静かに宣誓する。
「……我が名はエルゼターニア。共和国の盾、『特務執行官』の使命と責務において」
「止めて、エル! エル!!」
「特務執行──この命、すべて余さず『共和』に捧げる!!」
最後の最後まで、特務執行官として生きて死ぬことを誓い、少女は駆けた。
迎え撃たんとするエフェソスとトリエント。血に塗れながらも大鎌を振るわんとするエルゼターニアに、最高の一撃を放とうとして──
「待て、二人とも! 何か来るぞ!!」
「……!? 何!」
──レンサスの焦燥の声にそれを止め、空中高くへと飛び上がった。それに応じてエルゼターニアも止まる。
スモーラの声が続いた。
「信じられない速度だ……何だ、馬車どころじゃないぞ!? てか空から来てる!」
「──たしかに感じるな。それも何だ、この気配は。二人いるが」
「人間……の、ようですが。少なくとも片割れは間違いなく。もう片方は……人間とはわずかに感覚が違います」
戸惑うレンサスと、『気配感知』にて状況を探るエフェソスとトリエント。
地上にてエルゼターニアが何事か訝しんだが、それどころではなかった。謎の気配が二つ、猛烈な、考えられない程の速度で飛来してくるのだから。
「な、に……? 何か、来るの?」
気を抜けば倒れそうになる身体を、どうにか気力にて支えエルゼターニアも空を見る。晴れ渡った空に陽の光が眩しい朝。
──目を凝らせばほんの微かに、異常なものが見えてきていた。
炎。うねる蛇のような燃え盛る炎が、まっすぐこちらに向けて、みるみる内に近づいてくるのだ。
「な──」
「何だあれは!? 炎だと!?」
「こ、こちらに来ます!」
信じがたい光景に、エルゼターニアも天使たちも、あるいはその場の誰もが唖然としていた。
もはや後数秒で接触する、それ程の速度で迫り来る謎の炎。
その刹那、レンサスは見た──炎に乗る者、赤毛の剣士。
携えている……銀朱の剣!
戦闘態勢だ! 戦慄と共に叫ぶ!
「僕らを狙ってる!! 緊急回避ぃッ!!」
「遅いッ! 『オクトプロミネンス・ドライバー』ッ!!」
慌てて三人が回避せんとした、その矢先。
声と共に放たれた炎竜が七匹、『オロバ』の者たちに襲い掛かった。




