事件の幕開け、有翼亜人の謎
「エルゼターニア、ただいま戻りましたー」
「おう、お帰りー……聞いたぞ、一仕事したんだって?」
窃盗犯を捕らえてからも、しばらく首都内を見て回ってから、もう昼前の頃だ。
エルゼターニアが特務執行課に戻ると、すぐに一番奥のデスクに座る課長ヴィアからそう声をかけられた。
相変わらず耳の早い人だと驚きつつも答える。
「はい。巡回中に出くわしたんで、まあ現行犯ですしサクッと捕まえました」
「お疲れさん。保安部長が感謝してたから、今度表彰されるかもな」
「うひーっ! 勘弁っすよ、そんなの。堅苦しい式典だのに呼ばれるのは好きじゃないんすから」
言いながらエルゼターニアが、ルヴァルクレークを専用の保管庫に設置した。そろそろメンテナンスが必要かなとも思いつつ、次いで自分のデスクに座ってぼやく。
「大体、そういうとこでの礼儀作法とかマナーとか知らないっすよ私」
「あー、まあ……特務執行官になるまではただの村娘だったもんな、お前さん」
「そうっす。いきなりスカウトされて、色々手順すっ飛ばしてこの立ち位置なんすから。ぶっちゃけここにいること自体、場違い感があるんすよ?」
忌憚ない意見にヴィアが笑う。改めて無茶な成り行きで、この少女を特務執行官の位置に据えたものだと感じさせられたのだ。
一年前の特務執行課発足時。ルヴァルクレークの運用に際して、クラウシフ博士の定めた『条件』を満たす者が国内にいやしないかと方々を巡り、ついに見つけたのが共和国内陸部の村で暮らしていた少女エルゼターニアだ。
「今更ながら御家族には申し訳ないことをした……愛娘を対亜人犯罪の急先鋒になんて、死んでもさせたくなかったろうに」
「今でも休みになると私、田舎に帰ってるんすけど……その度に心配されちゃってますねー。まあ、ウチは弟三人、妹五人の大家族っす。私に何かあっても大丈夫っすよー」
「……冗談でもそういうことは言うもんじゃないよ、エル」
けらけら笑うエルゼターニアに、ヴィアは神妙に注意をいれた。彼女なりのジョーク、心配をかけまいとする心遣いなのだろうが……上司として大人として、何より彼女を巻き込んだ者として、そこは言わずにいられない。
「お前さんにルヴァルクレークを与えた張本人がどの面提げてって話だが……それでも言うぞ。絶対に無理や無茶はするな。使命は大事だけど、それ以上に自分の命を最優先にしてくれ」
「まあ、私だって別に好き好んで死にたいわけでもないっすし」
「今はずいぶん負担をかけてしまっているが、直に追加戦力だって来てくれる。俺たち執行課も全力でサポートを行うから、くれぐれも無茶はするな」
「……はい。ありがとうございます、課長」
心底からの心配を見せるヴィアに、エルゼターニアは照れ臭そうに答えた。
正直なところ、成り行きから始めた仕事ではあるがやりがいは感じているのだ、彼女も。特別な装備で生まれ育った国を護るという使命、それは村で家事手伝いをしているよりもずっと、素晴らしいことに思えている。
加えてここまで心配してくれる人が身近にいるのだ……ヴィアだけでなく、向かいの席のレインもエルゼターニアに優しく笑いかけてくれている。
こうした支援者の存在あってこそ、こんなに忙しく命がけだが充実した日々を送れるのだろう。ありがたい話だと、特務執行官の少女は笑った。
と、そんな時。特務執行課のドアが数回ノックされ、来客を告げる。
レインがドアを開けるとそこにはスーツ姿の、白髪混じりの黒髪に髭を蓄えた壮年男性が一人、気さくな笑みを浮かべていた。
「よっ、ヴィア課長」
「ゴルディン部長。どうしたんです、こんなとこまで」
「いや、今朝の窃盗犯取締で世話になったからな、お礼を言いに来たのさ……保安部長としてよ」
ニッ、と笑うその顔は、髭もあってか熊を思わせる容貌ではあったが……どこかコミカルさもあり、親しみの持てるものだ。
治安維持局保安部長、ゴルディン。共和国内の治安維持の大半を担う辣腕のお出ましである。
ゴルディンはエルゼターニアに視線を向け、声をかけた。
「おう、エルちゃん! ありがとなぁ、本当に助かったぜぇー!」
「お久しぶりっすゴルディン部長。お役に立てたなら嬉しいっす!」
「相変わらず謙虚だなぁ! スゲー武器持ってるんだから、ちったぁ天狗になったって罰は当たらねえのによぉ! ガハハハハ!」
豪快に笑うゴルディン保安部長。彼もヴィアやレイン同様、エルゼターニアを気にかけている者の一人だ。
所属や立場の違いから中々、会って話をする機会には恵まれないが……会えばこうして、まるで孫を可愛がるよう好好爺のようになる人物である。
ヴィアが首を傾げて問いかけた。
「それでわざわざお越しくださったので?」
「ん……いやあ、他にちょっとあってな。エルちゃんへの感謝がついでってわけじゃ、もちろんないんだが」
気まずそうに頭を掻く。そんな保安部のトップにエルゼターニアは、気を遣いすぎだと苦笑いする。
「ついでで良いっすよゴルディン部長ー。あ、話でしたらお掛けになってください」
「コーヒーをお持ちしますね」
「ああエルちゃん、レインさん、どうも」
促されて来客用のソファに腰掛けるゴルディン。その間、レインは備え付けの台所まで行ってコーヒーの準備を始めた。
ヴィアがゴルディンの向かい、テーブルを挟んで設置されているソファに座る。エルゼターニアも促されて彼の横に座れば、おずおずと本題は始まった。
「ヴィア課長、エルちゃん。ここ最近、北東地域で火事が多発しているのを知ってるか?」
「北東地域……新聞には載ってましたね。いくつかの町や村でのもので、あるいは連続放火事件の線もあると記者連中は書き立てていますが」
「あ、それ私も読んだっす。ここ半月で5件とかなんとか。さすがに人為的っすよねー」
ヴィアとエルゼターニア、二人で頷く。
共和国は内陸部、北東地域。豊かな自然に囲まれたその土地は、天然の源泉を利用した温泉地である。
戦前では国内でも有数の観光地として世界にも名高かったその土地において、ここ半月程、火事が多発していた。
ゴルディンもまた頷き、保安部長の立場から説明していく。
「うむ。保安部もその件について捜査していて、実際に人間による犯行だということは突き止めているんだが……」
「え。それなら、すぐにその犯人を捕まえれば良いんじゃないっすか?」
「……何か、躊躇せざるを得ない要素があるんですね? ゴルディン部長」
ヴィアの言葉にゴルディンは、苦々しくも応えた。
「ああ。どうもな……亜人が、その下手人に手を貸しているみたいなんだよ」
「──亜人が、人間に?」
「捕縛に乗り出した現地の保安官が3人、割って入った亜人に半殺しにされてな。背に美しい翼の生えた女だったらしい」
「有翼亜人っすか!?」
まさかの言葉にエルゼターニアが叫ぶ。
有翼亜人……亜人種のカテゴリーの一つであり、その名の通り翼を持つ種族は皆そこに分類される。
ハーピーやサキュバスなど有名どころも多く、しかも大抵の場合は飛行能力を持ち合わせている種ばかりなことから、亜人の中でも特に強力とされている。
彼女は続き、恐々と呟いた。
「有翼亜人は……厄介っすね。私もこの一年で何体か相手にしましたけど、空に逃げられると打てる手が限られてくるんすよね」
「槍を持っていたそうなんだが、そちらの方も滅法腕が立つ。成す術も逃げる暇もなくやられたと、病室で彼らが言っていたそうだ」
「そんな腕前で、しかし半殺しで抑えた……? 人間に力を貸していることと言い、憎悪で動いているわけではないのか?」
意図の掴めないその亜人の行動を、ヴィアが訝しむ。
かの戦争に絡む復讐行為である場合、その亜人は人間を殺めている方が自然だ。実際にこれまでの共和国内での亜人犯罪はそのすべてが、魔王軍の残党による復讐殺人だった。
それを半殺しで済ませた。いやそれどころか下手人である人間を護るような行動まで取っている。これは、明らかにそれまでの亜人犯罪とは異なる点だ。
どことなく漂ってきた不気味さに顔をしかめつつ、ヴィアは続けた。
「……どうあれ亜人が絡んでの犯罪である以上、我々が動かない理由はないですね」
「有翼亜人の相手をエルちゃん……いや、そちらの特務執行官エルゼターニア殿にお願いしたい。下手人の方は保安部で捕縛する」
「分かりました……聞いた通りだ、エル。やってくれるか?」
特務執行課と保安部との連携。それを受けてエルゼターニアは不敵に笑い、頷いた。
「もちろんっす! 放火犯に手を貸す有翼亜人……課長、特殊事項Bでいけるっすか?」
「ああ、そうだな……微妙っちゃ微妙だが『広範囲に被害が及ぶテロリズム』として申請できなくはない。ルヴァルクレークの出力解放を50%まで許可しよう」
「了解っす!」
『電磁兵装運用法』第3条、特殊事項B……国家転覆や広範囲に被害の及ぶテロリズムと認められる場合、ルヴァルクレークの出力を50%引き出して運用、事態の鎮圧に取りかかることができる法律だ。
この条件を満たすことにより、エルゼターニアはルヴァルクレークの機能を発動させるボトルの、ほぼすべてを自在に用いることが可能になる。
「レインさん! 『リパブリックセイバー』のボトル、回復しました?」
「ええ、ついさっきね……お待たせしました皆さん、コーヒーをどうぞ」
ちょうどコーヒーを人数分持ってきたレイン。テーブルの上にそれらを置いてから、自分のデスクの中にあった青いボトルを取り出し、エルゼターニアに渡す。
「はい、エルちゃん」
「どうもっす! よーし……これなら行けます!」
「……大変だな、電磁兵装ってのも」
喜び勇むエルゼターニアを見詰め、ぽつり。しみじみ語るゴルディンに、他の三人が目を向けた。
「法律に則った形で、法律の定める出力でしか戦えねえ……共和国の立場からすりゃそうするしか無いのは分かるんだが、なあ」
「得体の知れない武器をやむなく使っているわけですからね。少しでも首輪を着けておきたいんでしょう、お上も」
「政治家の連中からすれば、亜人もルヴァルクレークも同じく脅威ってかい。ったく、情けねえ話だぜ。エルちゃんに負担を集中させちまってる癖してよう」
ぼやく言葉にヴィアもレインも同意を示す。
腕利きの冒険者が少ないこの国においてエルゼターニアは現状、ほぼ唯一と言って良い『一人で亜人を倒せる人間』だ。
ルヴァルクレークがそれを為さしめるのであるが……それゆえに彼女の負担は大きい。何しろ亜人はおろか、国の都合にまで振り回されているのだ。
あからさまに同情を向けてくる大人たちに、少女は宥めるように笑顔を浮かべた。
「いやあ……ルヴァルクレークはそのくらい制限されて当然だと思うんすけどね? 実際使ってると、とんでもない威力っすから」
「……なるべく早く、腕の立つ冒険者を呼ぶからな」
年端もいかない少女一人に国全体が寄り掛かる、その情けなさ、心苦しさ。
忸怩たる思いを誤魔化すように、ヴィアが肩を竦めた。
「とにかく、話は分かりました。エルゼターニアはいつ頃向かわせましょうか」
「なるべく早く頼む。放っておいたらまた火事が起きちまうよ」
「分かりました! じゃあ、早く準備して明日の早朝にでも首都を出ますね。さしあたりどこ行けば良いっすか? 町二つに村一つ、あの辺りにはありますけど」
「村で頼む。その近辺に下手人の隠れ家があることは分かってるんだ。現地の保安官と合流してくれ」
トントン拍子に打ち合わせが進む。
かくしてエルゼターニアは、翌日からしばらく首都を離れ、謎多き有翼亜人と戦うためにルヴァルクレークを振るうのであった。