歪んだ理想、歪みなき家族愛
エルゼターニア目掛けて放ち、当たればそれで勝負が付くはずだった『激水清流・ハンマーフォール』。しかして現実には何らかの原因により、彼女の眼前にて弾かれ霧散した結果に終わった。
避けられるはずがない……『磁力魔眼』による拘束は今も彼女を完璧に縛り付けている、わずかとて動けていない。
それでは何故? 何があった?
瞬間的ないくつもの疑問が脳裏を駆け巡る中、どこからともない声がまた、響く。
『"ヴァンピーア・ファントム"──とあーっ!!」
「な……にいっ!?」
そしてクラバルは瞠目した。マリオス・リアス兄妹もまた、突然のことに目を剥いている。
目の前にいきなり、無数の女が現れていた。全員同じ姿、形だ……灰色の髪を伸ばし、黒いマントを羽織ってエルゼターニアを取り囲むように、三人に相対している。
──同時に、兄妹の放つ『磁力魔眼』の光線から特務執行官が解放されていた。マリオスとリアスの視線上にその女たちが現れたことで、彼女の拘束が外されたのだ。
しかして三人はそれどころではなく、大いに驚きを見せていた。
「何、が。これは!?」
「だ、誰、この人たち!?」
「全員姉妹……なわけねーよな!?」
クラバルもマリオスもリアスも、あまりに唐突に現れたその女たちの、いっそ異様なまでの光景に混乱を隠せない。
まるで同じ女が数限りなくいるなど、常人には意味不明で恐るべき事態だ。若干の薄気味悪ささえ覚えていると、そんな彼ら彼女らに声がかけられた。
「──あんたのことは大体分かった。ついでにそこのガキんちょどもの、しょうもない眼のこともね」
眼前の女たちの中、誰か一人が言う。明確に意思ある瞳で全員が視線を向けてはいるが、クラバルには分かっていた。
気配は一つきり。広く薄いが、たったの一人分だけだ。つまりこの女たちは全員、何らかの方法で拵えられたカムフラージュだ。
『気配感知』を具に行いながらも問う。
「貴女は……何者ですか?」
「私? ふふん、よくぞ聞いてくれたね!」
得意気に女たちが笑う。全員、よく見ればそれぞれ微妙に異なる仕草だ。マリオスとリアスは子供ゆえの好奇心から興味を惹かれたか、それぞれ女たちに目をやっている。
クラバルがそんな二人を抱き寄せ護るようにするのを鼻で笑いつつ、誇らしげに女は名乗りをあげた。
「我が名はハーモニ。特務執行官の新たなる友、そして彼女を護り共に戦う唯一無二の相棒! ヴァンパイア・ハーモニだ!」
「ヴァンパイア……! この付近を彷徨いていた、謎の個体ですか!!」
「いかにも! 万一を考えて気配を殺し『霧化』して、エルの周囲にいたのさ……! とあーっ!!」
女──ヴァンパイア・ハーモニ。
名乗りと共に飛び上がった彼女らは、一斉に三人へと向かっていった。圧倒的多数による攻勢かと一瞬、思ったクラバルだが名乗りからその性質を推測し看破する。
「『霧化』による分身……!? ならば本体以外は、いわば夢幻!!」
「そして目眩ましでもある! 『ヴァンピーア・クイックフォース』!」
「ぬうっ!?」
叫ぶや否や、ヴァンパイア・ハーモニの分身体たちが弾けて、周囲にもうもうと立ち込める霧が発生した。あまりの濃度に兄妹はおろか、亜人であるクラバルさえも視界が封じられる。
『ヴァンピーア・クイックフォース』。ハーモニの技の一つであり、『ヴァンピーア・ファントム』から派生して続く連携技だ。
ヴァンパイアの基本技能である『霧化』。身体の一部ないしは全体を霧に変じて移動、攻撃、防御に用いることのできる幅広い応用性を備えた技だ。
その『霧化』を土台としてハーモニは更に、独自のアレンジを加えて一連の技へと昇華させていた。
発生させた霧を収束させ、己の分身を生み出す『ヴァンピーア・ファントム』。分身体を霧へと戻して広い範囲に濃霧を発生させる『ヴァンピーア・クイックフォース』。
そして相手の視界を封じた上で、師匠直伝の関節技を叩き込む『ヴァンピーア・ミゼラブル』。この3つの技でハーモニは敵を翻弄し、牽制し、そして仕留めるのだ。
実際今も、ハーモニは仕掛けようと思えばクラバルに、慈悲の欠片もない殺人技を仕掛けることもできた。
だが今回はしない。濃霧によって視界を封じ込めたまま、彼女はどこからともなく声を投げ掛ける。
『このままスライム、あんただけは仕留めたいとこだったけどさ……それをするとそこのガキんちょどもの魔眼にやられそうだからね! だから今日はここまでだ、エルは貰っていくよ!』
「……そのまま特務執行官を連れてこの地を、離れてくれればそれが一番なのですがね」
クラバルが応える。言動からハーモニが、このまま攻撃に移るでもなく引き下がるつもりなのだと窺い知れての、やや余裕を持った言葉。
見逃してほしい……その想いはむしろクラバルの側にこそある。
特務執行官とこうして戦ってみて、クラバルは分かりきったことを改めて確認していた。つまり、素のままの己では戦士には勝てない、という確信である。
どうあがいてもクラバルは神父だ。戦うための技術は元より、心構えが戦闘に向いたものではないのだ。
何よりもあの、真っ直ぐで善良なる信念で戦う特務執行官とは心情的に戦いたくはなかった。戦えば嫌でも思い知らされる──彼女が正義で、己が悪だと。
いかに夢でも理想でも、その過程において既に被害者は出ているのだ。目を逸らし続け、けれど内心の一番深い奥底では分かっていることを、彼女がその身を以て突き付けてきているような気がしてならなかった。
「私の夢、理想は必ずやエルゼターニアさんにとっても良い結果をもたらすでしょう。ですから──」
「……ふざけるな、神父」
懇願めいたクラバルの言葉に、濃霧の中、エルゼターニアの声だけが響いた。
既に『磁力魔眼』の拘束は解かれている──兄妹の視線が対象を捉え、そこで初めて成立する能力。ゆえにこの深い霧においてはエルゼターニアを捕縛し続けることも叶わない。
『気配感知』さえも朧なクラバルに向け、特務執行官の言葉は続く。
「お前は罪を犯した。人を殺し、国に侵入し、子供らを道具にした」
「……それは」
「償いもせず語る夢なんて、貫く理想なんて私は絶対に認めない。必ず止めてみせる──共和国の番人、『特務執行官』として」
否定。それも、恐ろしい程に強固な。
昨日、あれだけ無邪気に無垢な顔を見せていた少女が、今は聞くだに恐ろしい怒りを含んだ声を出している。
それをさせたのは他ならぬ己だと、自嘲するクラバル。心配してマリオス、リアスの兄妹が護られるままに神父に抱き付いた。
『誰かのためとか言ってもさ、それさえ含めてあんた個人の都合じゃん。にしてもよくそんな、エルを出汁にしたこと言えたねあんた……面の皮厚すぎ。いや、私が言えたことじゃないけど』
「ヴァンパイア……っ! 貴女が彼女に、私のことを!」
『いかにもー。とはいえぜんぶ身から出た錆だよ、あんた? 詳しいところは知らないけど、人間さん殺しといて人間さんの社会を転々としてんだからさ。そんなの見つかるに決まってんじゃん』
明朗快活な、けれど多分に呆れも混じっている声音に苦々しく神父は顔を歪めた。
ヴァンパイア・ハーモニ……クラバルとて聞いたことのある名だ。100年前にヴァンパイア内での世代交代を成立させた、『新世代の七人』リーダー。
『女帝』と称される最強最古のヴァンパイア・アリスの弟子の一人でもある指折りの実力者。そんな存在がまさか、このような国のこのような地域にこのようなタイミングで現れようなどとは思いもよらなかったことだ。
『誰だって、やったことからは逃げられない……良いことも悪いことも、いつかは必ずその報いが来る』
「何を……!」
『あんたの行為に報いあれ! ってことさ。そこのガキんちょどもも含めて、ね』
幼い子らをさえ含めて嗤う、ハーモニ。その声に歯噛みするクラバルをさておいて、更にヴァンパイアは告げた。
『明日の夜明けにまた来させてもらうよ。今回は色々と様子見だ……本番は明日朝にでも。スライムのあんたも魔眼の兄妹も、私とエルのコンビで打倒してみせるさ』
「……逃げても無駄、でしょうね。私一人ではともかく、今はこの子らもいる」
『一人で逃げ出さないところは大したもんだよ。曲がりなりにもあんた、その子らの親代わりなんだね』
「その潔さを、どうして正しい方向に使えなかったんすか……っ!」
兄妹を置き去りにはしない、クラバルの親代わりとしての姿勢。その点だけは認めるハーモニと、だからこそ悔しげに呻くエルゼターニアの声が聞こえた。
特にエルゼターニアの言葉は、やはりクラバルの心に刺さる──あるいはもっと早くにこの子らと出会えていれば、何か別の道もあっただろうかと、時に思い耽ることもあるがゆえに。
しかして現実はこの有り様で、神父は罪を重ねてまで理想を追求し、兄妹はそのために魔眼を埋め込まれた。それが実際だった。
『ま、そういうわけだからさ。今日はひとまず退散させてもらうね……次は真っ向勝負といこう! 相手するのが楽しみだよ、魔眼!!』
「あんた結局、それっすか──」
心底からの期待と、それに対する呆れ返った声を最後に、霧が徐々に晴れていく。
立ち込めていた白が去り、見えるは近くに草原、遠くに町。空には星の煌めく夜天。夕暮れはとうに去り、今はもう、夜だ。
特務執行官の姿はない。もちろんヴァンパイアも、離れたところにいたはずの馬車さえも。
寒々とした夜風が吹いて、クラバルの緊張に熱した身体を冷ました。
「……命拾い。いえ、執行猶予かもしれませんか」
怖々と呟く。今しがたの特務執行官との戦いは……事実上、クラバルの完敗だ。力で負け技で負け、あまつさえ精神的にさえも圧倒されかけていた程の。
マリオスとリアスがいなければ、ここで決定的な終わりを迎えていただろう。そう考えて、彼は兄妹の頭を撫でた。
「ありがとうございました二人とも……よく来てくれましたね」
「へっへへ……! いやさ、何か帰ってくんの遅いなと思って見に来たら、クラバルがヤバかったから!」
「良かったです、クラバルさんが無事で!」
微笑む子供たち。その表情からはクラバルへの無償の親愛が込められていて、改めて神父は胸一杯の愛情で幼子たちを抱きしめる。
護っているつもりが、護られた。そのことが何故だかひどく嬉しく誇らしく、そして悲しい。
結局、あの少女の言う通りなのだ。親をなくした子に魔眼を与え、己の理想のために、あるいは『オロバ』の思惑のために利用している。それはたしかなことである。
けれど、それだけではないとクラバルは信じたかった。たしかにこの胸には夢や理想とは別の、ただ純粋にこの子たちを愛し慈しむ心が宿っているのだと、そう思いたかった。
そしていつか、理想を果たした後に。大成したこの子たちに、胸を張って向き合えるようになるためにも。
「明日、朝……決戦です。すみませんマリオス、リアス。力を貸してください」
今この時に迫る難局は、家族三人で乗り越える。
固い決心で助力を乞う養父に、マリオスとリアスもまた、力強く頷いた。
「任せろってクラバル! 俺たちの魔眼で誰だろうが取っ捕まえてやる! な、リアス!」
「うん! だからクラバルさんは、安心して戦ってください」
「……ありがとうございます」
顔を見合わせる三人の、強い絆。
もはや本当の家族と言えるかもしれない程に通じあった彼ら彼女らに、怖いものなどありはしなかった。




