町の神父、穏和なるクラバル
町人たちとのちょっとした交流──というにはレインはいささか剣呑ではあったが──を経て、エルゼターニアたち特務執行課はいよいよ精霊信仰教会の前まで来ていた。
見た目は特に普通の家だ。町から少し離れた野原にあることと屋根に一つ、恐らくは人間であろう抽象的に人型を象った彫像がある点を除けばどこにでもある家と言って差し支えない。
彫像を見上げ、エルゼターニアが呟く。
「あれ、何がモチーフなんすかね。ポーズもなんだか、特徴的と言いますか……両手を組んで、天高く伸ばしてる?」
「精霊信仰に関係しているのかしら? 精霊諸島の文化とか宗教って、あんまりよく事情が掴めてないのよね」
彫像の意味や意図についてあれこれと述べ合うが、二人ともそもそも精霊信仰について何かしら知るところは少ない。
排他的かつ閉鎖的な風土の文化ゆえ、遠く離れたこの共和国にまでは情報が入ってこないのだ。神秘のベールに包まれた地域、精霊諸島とはそういう場所であった。
「まあクラバルさんが神父さんなら知ってますよね……入信するかはともかく、精霊信仰自体は気になりますし」
「エルちゃんは勉強熱心ね。私は正直、そこまで気にもしてないかしら。あまりに縁遠すぎて」
困ったようにレインが言った。精霊信仰自体、遠く海の向こうに栄える帝国領付近の諸島特有でしかない。共和国の人間としてはっきり言えば、興味が湧かないのだ。
エルゼターニアの方は好奇心旺盛ゆえか、何であれ知りたがる。同じ特務執行課に在籍して仲の良い二人ではあるが、こうした点においては対照的だった。
「──そんなことは、ありませんよ」
「え」
思わぬ声。同時にぎい、と音を立ててドアが開いた。そして姿を見せる、男の姿。
細い目の、白髪を後ろに流した男。黒い礼服を着たその者が、ゆっくりと静かに語りかける。穏やかな、そして静かな笑み。
「縁遠いなどとてもとても……精霊はこの世界にあまねくもの。未知なるものではあっても無関係のものではありませんよ、お嬢さん」
「は、はあ……貴方は?」
誰何を問うレインだが、内心では既に当たりを付けていた。エルゼターニアも同様だ。
彼がこの、精霊信仰教会の主なのだろう。そしてオークの群れと交渉を行った、亜人との接し方を心得ている勇敢な神父。
男は問いに答え、名乗った。
「これは失礼、つい先んじて口を挟んでしまいました……私の名はクラバル。見ての通り、精霊信仰を世に広めんとする者です」
「クラバルさん……こちらこそ申し遅れました。治安維持局特務執行課、特務執行官のエルゼターニアです」
「同じく特務執行課職員のレインです。先程は大変失礼な発言をしてしまいました、申しわけありません」
遅れて二人も名乗る。陰口のつもりではなかったが興味がない、などの発言を聞かれていたことにレインが謝罪すれば、クラバルはやはり、穏やかに微笑んでそれを受け入れた。
「いえいえ。遠い共和国ともなればそのような反応も当然のこと。しかし……特務執行課とは。お噂はこの地にも伝わっておりますよ。お勤め、ご苦労様です」
「畏れ入ります。あの、クラバルさん。我々は今回、この町の牧場を襲った亜人の捕縛のため、こちらへ来たのですが──」
そうして語る、こちらの事情。オークを打倒するにあたり少しでも情報が欲しく、そのために捜査に協力していたクラバルからも話を聞きたいという、旨を伝える。
「何か、捜査の中で少しでも気になったことがあればお教え願いたいのですが、構いませんでしょうか?」
「ええ、もちろん。喜んでご協力いたしますとも……この町の人々は異国人の私をも温かく受け入れてくれた。そんな人たちを脅かす亜人を、許せないのは私も同じですから」
快諾したクラバルの瞳は、凪いでいるながらもやはり、強盗に及んだ亜人たちへの憤りが見える。本心からこの町を愛しているのだろう、それが伝わってくる。
共和国をこうまで気に入ってくれたことは、エルゼターニアにはとても嬉しいことである。それゆえ彼女も嬉しさを滲ませた微笑みで返し、言うのであった。
「ご協力感謝いたします。それではまず──」
「おっと! さしあたり中へお入り下さい。この雨の中では、落ち着いて話もできません」
「良いんですか? ありがとうございます!」
教会の中へと促され、エルゼターニアとレインはそれに従い中へと入っていった。
外見もほぼ民家であったが、内装もやはり、普通の民家だ。居間の奥に一際大きな祭壇が置いてあることを除けば、どこにでもあるありふれたものと言えるだろう。
着席を促され、椅子に座る。祭壇の物珍しさにエルゼターニアが注意深く見ていると、クラバルが笑った。
「この辺では珍しいでしょうね。精霊信仰の祭壇です。日に二度、朝と夕方に祈りを捧げて『精霊』様を身近に感じるのです」
「『精霊』様……」
「この世のありとあらゆるものに宿る、魂の守護者。その存在は目に見えねども、いつも私たちを見守ってくれている……偉大なるスピリット。その存在を崇め奉り、感謝と共に生きていくのが精霊信仰の核となる考え方ですね」
そう語るクラバルも着席する。改めて見ると、とにかく物腰が柔らかな青年男性だ。細目に薄く笑っている顔はともすればうろんげな印象を与えるものだが、この男に限ってはむしろ親しみやすい、穏和な雰囲気へと繋がっていた。
「茶ぁ持ってきたぜー」
「菓子も持ってきました」
と、そこでもう二人、子供たちが居間へとやって来た。まだ10歳になるかならないかの年の頃で、兄妹なのかどことなく顔立ちの似通った少年少女。
エルゼターニアが目を丸くして尋ねる。
「お子さんっすか? 結婚してらっしゃるので?」
「いえ、この子たちは預かっている兄妹です。ほら、挨拶なさい」
「はい」
「へいへい」
説明と共に促されたクラバルに従い、二人の子供はそれぞ答えた。素直に頷く女の子にひねくれた反応を示す男の子と、対照的な兄妹だ。
前に出て名乗りをあげる。
「マリオス、10歳。クラバルんとこで世話になってる」
「リアスです。9歳で、マリオス兄さんの妹です!」
「ご丁寧にどうも。私はエルゼターニアっす」
「私はレイン。よろしくねマリオスくん、リアスちゃん」
マリオス、リアスの兄妹は挨拶だけ交わすと、そそくさとテーブルに茶と菓子を置き、別室へと移動した。
クラバルが、穏やかに笑いながらも言う。
「……あの子たちの親は、亜人犯罪でこの世を去りましてね」
「え……」
「戦後間もなくで、私が町に来る少し前のことです。そのせいで行き場を失くしていたあの子たちを、こうして引き取り世話をしているのですよ」
「そう、なんですね」
語られた事実は重い。エルゼターニアとレインは、神妙に兄妹を襲った苦難を偲ぶ
──戦後から特務執行課発足までの間の共和国は、さながら地獄の様相を呈していた。亜人犯罪に対抗できる組織がなければ個人もいない、まったくの無防備な状況。
毎日どこかで誰かしら、罪なき国民が命を奪われて、しかも泣き寝入りするしかなかった状態。暗黒の世界がまさしく数年間、共和国を襲っていたのだ。
特務執行官として、絶対に再来させてはならない悪夢の時代。その被害者たる兄妹を想い、エルゼターニアはその表情を凛としたものとしてクラバルに問うた。
「それではクラバルさん。今回、あなたが捜査に協力してくださった強盗事件について、改めて詳しい話をお聞きしたく思うのですが」
「そうですね。とはいえ、保安官の方にもお話ししたことが概ね全部ですので、これと言って追加するようなことも──」
そこまで言って、ふむとクラバルは顎に手をやった。何かを思い返すように数秒、虚空を見詰め、やがて答える。
「いえ。一つだけ、事件とは関係無いかと言いそびれていたことがありましたね」
「と、言いますと?」
「オークの群れから聞いたことなのですが……最近、この辺りでヴァンパイアが彷徨いているようで」
「……ヴァンパイア!?」
「ええ。これまで南部地方にヴァンパイアがいた話など無かったので、印象深くて覚えていますよ」
エルゼターニアは仰天した。オーク絡みの話かと思えばまさか、このような場面でヴァンパイアの名を聞くことになるとは露と思っていなかったためだ。
数ある亜人種の中でも最強の一角とも目されているヴァンパイア。身体を霧に変じて自在に動き回り、その膂力たるやオークをも凌駕するという。
人間の血を吸わなければ力を発揮できないという種族単位での事情もあり、人間に対して非常に友好的な態度を取っていることでも知られているそんな種族ゆえ、エルゼターニアもヴァンパイアとは一度も合間見えてはいない。
そんな存在が、どうしたことか最近になって近辺を彷徨いているという。驚愕と共に呟く。
「共和国内に数ヶ所、ヴァンパイアのコミュニティがあることは知ってましたが……この辺りにあるなんてことはなかったはずっす」
「ヴァンパイア互助会ね。王国南西部に本部があると聞くけれど。世界各国に支部があるとも」
「精霊諸島にもありましたよ。ここに来る前に立ち寄った帝国でも見かけました。いずれも穏やかな物腰でしたね。件のヴァンパイアがどうかは知りませんが」
ヴァンパイアと言う種族は世界中に生息しており、しかもそれらすべてが互助会組織を通して強力に連携している。
王国南西部に本部を構えるその組織は、人間に対しても極めてオープン、かつ協力的な態度をここ数十年、一貫して続けている。
何しろ王国公認で人間と亜人兼用のカジノ施設を拵えて娯楽を提供しているのだから、どれだけ人間に対して歩み寄りを示しているかが窺えよう。
唯一、先の戦争期にあってのみ人間にも亜人にも与せず中立の立場を取ったが……それも当時、亜人排斥政策を採用していた王国に抗議してのことである。基本的には人間に友好的な姿勢を続けている種族なのだ。
「そんなヴァンパイアが、何でコミュニティもないこんなところをうろちょろと……旅行っすかね」
「互助会の支部をこの辺りにも設置しようとしている、とかかしら」
「一人で行動しているらしいので、組織だっての動きかは分かりません。ただオークたちは不安がっていましたね。これまでこの辺りに住んでいたいくつかの亜人種の、テリトリーが乱されはしないか、と」
「後からやって来ると、そういうのも問題になってきますからね……」
亜人とてそれぞれに群れを形成し、互いに干渉し合わないよう定めた縄張りの中で生活している。新参の群れがやってくるというのはそれら秩序を乱す行為そのものと言えるだろう。
新参たちの姿勢によっては侵略とさえ見なされかねないのだ、原住亜人たちにとって気が気でないのは、人間であるエルゼターニアにも分かることだ。
「この町の保安官や他の人たちにはまだ、言ってはいません。変にことを荒立てるのは良くありませんからね……あるいは本当に、ちょっとした旅行者でしかないのかも知れませんし」
「ふむ……なるほど、お話いただいてありがとうございました、クラバルさん。強盗犯を捕縛した後、そのヴァンパイアの方にも接触して事情を聞いてみます」
今のところ、何とも言えない案件ではある……だからこそ、町の外から来た者が対応すべきなのだろうと、エルゼターニアはクラバルに、ヴァンパイアを引き受ける旨を伝えた。
レインも続けて微笑む。
「外から来た我々の方が、穏便にことは済ませられるはずですからね。どうぞご安心下さい」
「良かった……ありがとうございます、特務執行課のお二方」
ホッとしたように笑うクラバル。
かくしてオーク捕縛に加え、謎のヴァンパイアに接触するミッションが加えられたのであった。




