『共和』を胸に、悪しき者共へ向かえば
町中の厩舎に馬車を留める。御者役の保安官たちが半日歩き続けた馬たちを労うのを尻目に、エルゼターニアとレインの二人は宿を目指して歩き始めていた。
陽の光、一つ差さない暗雲の下。今にも降ってきそうな空を警戒してか、通りに出ても人は少ない。とはいえ何人か歩いてくる人とすれ違えば笑顔で会釈してくるのだから、こうした土地にたまに見られる排他性というものは、あまり感じていない二人であった。
「良い感じに静かっすねえ。晴れてたらもうちょっと、様子も違うと思いますけど」
「この辺りは観光名所が多いとは言えないから、あまり外部からの客は少ないんでしょうけれど……いつもよりはきっと、静かなんでしょうね」
首都とは当然ながら規模も賑わいも控えめな町を、のんびり歩き進む。
ルヴァルクレークを背にしたエルゼターニアには時折、奇異の視線が投げ掛けられなくもないが……それでも他の土地よりかは少ないのが、少女の身には心地好い。レインの方も、薄暗がりながら遠くに見える牧畜たちの風景を楽しんでいるようで、どことなく笑顔でいる。
良い町だ。素直にそのような認識で以て、二人は宿へと向かっていく。場所はそう遠くなく、通りを少し進んだところを一つ角を曲がると見えてきていた。
「温泉村の宿よりは正直、グレードは落ちるわ。ごめんなさいねエルちゃん」
「いや、別に良い宿をねだったことなんてないじゃないすか。こないだは私の休暇も兼ねてあんな、良い宿を取ってもらえたんすよね。ありがたい話っすよ、本当」
見えてきた宿は、小ぢんまりとしたものだ……言ってしまえば質素。温泉村にてエルゼターニアが宿泊したものと比べるべくもないランクと言わざるを得ない。
とはいえそれが普通なのだと、エルゼターニアはレインに笑いかけた。これまでの任務においてほとんどの場合、利用した宿泊施設はこのランクのものがほとんどだった。温泉村の宿が特別、高級であっただけの話である。
「それに、あんまり贅沢してるとそれはそれで問題じゃないっすか。私たちは国民の税金で働いてるんで、そこは気にしとかないと」
「そんなこと、気にしなくて良いのに……貴女のこの国への貢献を思えば、誰も文句なんて」
その言葉は、共和国に奉仕する公務員としては問題があると見なされかねないものだろう。特務執行課の予算も元を糺せば民の金、いわゆる血税から捻出されているのだ。無駄遣いや贅沢はすまいというエルゼターニアこそがこの場合、正しい。
それでもレインは言わずにはいられなかった。亜人と日夜死闘を繰り広げるこの少女は、せめて束の間の日常くらいは満ち足りた生活を送るべきなのだ……この一年、時に傷付き時に脅え竦み、それでも共和国の民すべてを護るために歯を食い縛って戦い抜いてきた姿を知るゆえに、余計にそう思う。
「貴女は、もっと自分の権利を主張すべきよ……もっと、幸せになって良いはずよ」
「あはは……すみません。けど、それを笠に着るようになったらきっと、私はルヴァルクレークを振るう資格をなくしちゃいますし」
「っ」
透き通るような声音と笑みで、エルゼターニアが言った。レインというよりは己を戒めるような言葉だ。
特務執行官という特別な立ち位置、特別な権限。それらを己のために行使することの危険性。少女は自分自身に言い聞かせるように続ける。
「共和国に住む、すべての人たちのためにこそ特務執行官とルヴァルクレークはあるんす。個人的なあれこれで悪用するなんて、よくないっすから」
「……貴女も、共和国に住む人の一人なのよ」
「ええ、だから私は戦うんすよ。同じ国に住む大切な人たちを、一人だって傷付けさせないために。誰もが当たり前の平和を、当たり前に過ごすことができる未来を作るために」
静かな眼差しがレインに向けられた。理想と信念に殉じる覚悟を秘めた穏やかな眼差しが、美女を絶句させる。
結局、精神的に余裕があろうがなかろうが、これがエルゼターニアなのだ。『共和』の理念を貫くために、人々の平和な未来を築くために己の一切合切を燃やさんとする激烈なまでの熱意。たしかに己を大切にするようにはなっていても、やはり彼女は『特務執行官』なのである。
「もちろん、休みはしっかり取りますけどね! 疲れが溜まると逆に動きが悪くなるって、こないだで思い知りましたので!」
「……そう、ね。とにかく、自分のことを大切にね? 貴女のことを大事に想う人のことを、どうか忘れないで」
そう言うばかりが精一杯だった。レインには、この鋼のごとき決意をどうすることもできはしない。せめて少しでも特務執行官の職務をサポートする他ないと、聡明なる頭脳にて考えを新たにする。
しかして心の片隅に疑問も残っていた──何がここまでこの子を突き動かすのだろう。
己の命さえ擲ちかねない異様なまでの『共和』への想い。それをどうにも理解しかねてしまいつつも、彼女はエルゼターニアに寄り添っていた。
宿にチェックインして部屋に入り、簡単に荷下ろしを済ませてから二人はまた、外に出た。
幾分か手軽になった状態で向かうのは、この町の保安部駐在所だ。まずはことのあらましについて現地の保安官から話を聞かねば始まらない。温泉村の時と同じ手筈であった。
「えーっと、今回はたしか強盗でしたっけ」
いよいよ雨もちらついてきた道を、傘を差しながら歩く二人。ルヴァルクレークも部屋に置いてきて身軽なエルゼターニアが少し空を見上げて思い返し呟けば、レインがそれに頷いた。
「そうね。金品目当てに町へ押し入った五人の亜人……種族は分からないけれど、牧場を襲って牧畜のほとんどを殺し、食べ散らかしたり持ち逃げしたとか」
「殺しは無しっすか? 押し入りついでに一家惨殺、なんてのも過去にはあったんすけど」
不思議なこととエルゼターニアが目を丸くする。強盗までしている亜人は大概の場合、家人まで皆殺しにしているパターンが多い。
この間の天使のように、まさか人間相手に手心を加えているのだろうか。そう考えているとレインは、疑問に対して答えた。
「夜間で人はいない時間帯だったのよ。牧場主一家もすぐさま保安部にまで逃げて難を逃れたそうで」
「そうっすか……ひとまず生き延びたなら何よりっすね」
「とはいえ、自分たちの牧場を荒らされてはダメージも大きいでしょうね……」
何ごとも命あっての物種であるが、さりとて職場をこうも踏みにじられては経済活動にも支障が出てくる。育てていた牧畜のほとんどを殺されたというのだから、今後の経営はどうしても苦しいものになるのだろう。
ともあれその辺りを気にしていても仕方がない。特務執行課にできることは、これ以上被害者が出ることを防ぐため、速やかに犯人を打倒して捕縛することだ。
よりモチベーションを高め、悪と戦う決意を固める二人はやがて駐在所にまで辿り着いた。
保安部の看板が備え付けられた二階建ての家屋には入り口の前に一人、保安官の男が立っている。天気に依らず、いついかなる時でも助けを求める声に応じられるように立っているのだ。
雨天でも己の職責を果たす一保安官に対して、エルゼターニアとレインは揃って会釈した。
「お勤め、お疲れ様です。治安維持局特務執行課、特務執行官のエルゼターニアです」
「お疲れ様です、同じく特務執行課職員、レインです。この町で発生した亜人による強盗事件の捜査で参りました」
「お疲れ様です! ……あ、貴女方が特務執行課ですか。お噂は、かねがね……」
名乗り出れば男は実直に会釈を返した。いかにも町を護る者らしい、質実剛健たる佇まいだ。
彼はエルゼターニアたちが特務執行課と知るや、どこか動揺と敬意を以て接してくる。よくある反応だった……特務執行課、及び特務執行官の活躍は今や共和国中に知れ渡っている。
特務執行官の正体が成人も迎えていない少女であることはほとんどの治安維持局員が聞き及んでいるはずなのだが、実際に相対すると決まってこのようにして、見るからに動揺を示してくるのだ。
保安官の男は努めて冷静さを保たんといくつか間を空けて己を落ち着かせ、次いで明朗な声で告げた。
「……失礼しました。先んじて二人、保安部の者も来ております。どうぞ中へお入りください」
「畏れ入ります。それでは失礼しますね」
「は、はい」
少しばかり声が上擦りを見せた保安官に、にこりと笑いかけて二人は施設へと入った。彼の気持ちはよく分かることだし、エルゼターニアからすればこれまでに幾度となく似たような反応をされているため、慣れたものである。
中に入ればデスクがいくつかとソファが二つ、テーブルが一つある部屋が見えた。ソファには先程まで馬車を御していた二人の保安官が座っており、片やデスクにはこの町の保安官だろう女が二人、緊張した面持ちで座っている。
皆立ち上がり、言葉を交わす。
「特務執行課のお二方! ようこそお出でくださいました」
「遠路はるばるお越しいただき、感謝に絶えません」
「いえこちらこそ、遅くなってしまい申し訳ありませんでした……共和国治安維持局特務執行課所属、特務執行官エルゼターニアです。こちらは特務執行課職員のレイン」
「レインです。よろしくお願いいたします」
挨拶もそこそこにして特務執行課の二人もソファに座る。ちょうどテーブルを挟んで御者役の二人と向かい合うようにしての位置取りだ。
外は雨足が強くなってきている。表で立っている保安官は大丈夫かなと若干気遣いつつも、エルゼターニアはさっそく本題に入った。
「それじゃあ始めますか。とりあえず、ことの子細をお教え願えますか?」
「分かりました。とはいえ、事前に特務執行課に報告したデータがほぼすべてですが……」
「種族不明の亜人五人による、牧畜強盗。とある牧場で育てていた動物たちがほぼ全滅する形で食い荒らされ、奪い去られたと聞いておりますが」
「はい、概ねその通りですね」
互いの認識を擦り合わせる。報告した側もされた側も、まずは手持ちの情報に齟齬がない形で共有せねばならない。矢面に立つエルゼターニアにとってはそれが己の命運を左右することなのだから、真剣そのものの表情である。
概ね報告通り。しかして現地の保安官は、追加で更なる情報を提示してきた。
「追加で、数日前に鑑定が終わって判明したこともあります」
「と言うと?」
「下手人たちは揃って皆、オークであることが分かりました。牧畜を食い荒らした痕跡に、かの亜人種特有の歯形が見られたためですね」
「オークっすか……それが五人。中々シビアなシチュエーションっすね」
明かされた敵の正体に、エルゼターニアの顔が一気に引き締まった。
ただでさえ亜人が五人という時点でハードな状況であるものを、それらすべてがオークの亜人であるというのであるのだから。




