夜明けと共に、ヴァンパイア
暗夜に風が吹き、亜人たちを撫でた。
静かに広がる草原に皆、倒れている。死んではいないが、動くこともできない程度には痛め付けられていた。
「こんなものなの? 人間さんたちに酷いことをしようと企んでおいて、自分たちはこんな程度で音を上げるんだ?」
「く、う、うぁ」
彼ら亜人の群れを、一人残らず地に伏せさせたその者が問いかけた。女だ……灰色の髪を月光に煌めかせ、幼げな顔立ちを冷たいものにしている。
何よりも特徴的なのは、その瞳だ。深く、混じりけのない緋色。燃えるような赤い瞳が爛々と闇夜にくっきりと浮かび上がっている。
「き、さま……馬鹿な。何故、邪魔立て、する」
倒れる亜人の中、まだ年若く見える男が呻きながら女に困惑の視線を向けた。彼女の風貌が、とある亜人種の種族的特徴と一致していることからその正体は知れたものの、どうして自分たちをこうして襲ってきたのか、それが分からない。
女は興味さえなさそうにふん、とだけ鼻で笑い、言った。
「人間さんたちの平穏を乱そうとするから邪魔するんだよ。戦争はもう終わったのに、いつまでつまんないことしてるの?」
「ふざけるな……! 戦争終われど、我ら亜人の人間への恐怖と憎悪は変わらぬ!」
「人間は放っておいてはならない! 放置すればいずれ、我々を脅かしてくる!」
「そうなる前に排除しなければならない……! 亜人は、人間を、摘み取らねばならない!!」
倒れながらも次々叫ぶ。つまるところ、それは恐怖が由来していた。
どこまでも文明を発展させ、生存圏を拡張し、進化していく『弱き者たち』への恐れと不安である。
亜人は多かれ少なかれ、人間に対してはこうした感情を持つ傾向にある。老化が遅く長寿でもあるゆえに進化や変化に疎い彼らにとり、儚く短い生を燃やし、文化文明をより良い方向へと劇的なまでに改善しようという人間の姿とは異様なのだ。
人間はいずれ、その進化の果てに亜人を滅ぼす。そう恐れるがゆえに凶行へと至ろうと叫ぶその亜人たち。
しかして女はそれを嘲った。笑うより外ないと、馬鹿にしてみせたのだ。
「何がおかしい!」
「いや……『我ら』だの『我々』だの、ずいぶん総意で物言うけどさ。そんなの結局、あんたら個人がビビってるだけじゃない」
「貴様……っ」
「種族を言い訳に他人に迷惑をかけるなんてみっともないのよ。ましてや何の罪もない命を踏みにじろうとするなんて……私は絶対にそんなことを許しはしない」
冷たく見下ろす。女にとって、踏みにじられていく命に種族も貴賤もありはしない。そこに脅かされる者がいるならば、彼女は何とだって戦うだろう。
──かつて種族単位で、人間を苦しめていた亜人がいた。
人間を餌とし、管理し支配し脅かし、果ては牧場の家畜にまで貶めた最悪の存在があった。
しかしてその種は今現在、人間との共存を選んでいる。暴虐を尽くした旧き世代に否やを唱え、ついには打倒し追放した新しき世代の時代が訪れたがゆえに。
人間と対立するのでなく、人間を支配するのでもなく──人間と共に歩む選択をした、新世代の亜人種。
男はついに叫ぶ。その種、その亜人の名は。
「──ヴァンパイア! 亜人の面汚しめ、恥を知れっ!!」
「面汚しはあんたらよ! 覚悟しなさい……この共和国は、新世代のヴァンパイアたるハーモニが護ってみせる!!」
ヴァンパイア──吸血亜人。人間の血を吸うことで数ある亜人の中でも一際強力な能力を行使できるその種族の、ハーモニは一員であった。
そして名乗り、数秒足らず。亜人の男たちはついに止めを刺されて息絶えていた。ハーモニは職務としてこのような亜人犯罪者と対峙しているわけではないため、生け捕りにする必要などないのだ。
「ふう、まったく……こういう手合いのせいで亜人と人間の軋轢が深まるのよ、馬鹿馬鹿しい」
骸となった亜人たちを睥睨し、呟く。ハーモニは最近になり、こうして共和国内で犯罪を画策している亜人たちと戦っていた。
人間との関係が悪化することを懸念して、というのもあるが……単純にハーモニの気質が、何の咎もない弱者をいたぶる行為を断じて見逃せなかったというのが大きい。
そして、もう一つ。
「『特務執行官』……中々掴まらないなあ。あちこち国中駆け回ってるみたいだし、仕方ないけど」
共和国全土をたった一人で巡り、亜人犯罪者の魔の手から人々を救うべく戦い続ける人間がいるという話を聞き付けたためでもあった。
『特務執行官』。名も姿も知らないが各地で奮闘しているというその姿勢に、ハーモニは強い敬意を抱いていた。
「必ず力になるんだ……特務執行官の。きっと高潔な戦士で、そんな人が苦境に立たされているなら。私が力になってみせる!」
握り拳と共に、固い決意を口にする。
共和国の夜明けに、ヴァンパイア・ハーモニの姿があった。
共和国は首都、治安維持局本部内の特務執行課のデスクにて。特務執行官エルゼターニアはコーヒーを啜り、束の間の平穏を味わっていた。
その日は朝から二件、首都付近の荒野と少し離れた所にある小さな町で、それぞれ亜人を捕縛するという活躍を見せた彼女。
帰還した今、それらの事件についての報告書を纏めているところなのだ。
「はふう……今日は朝からペース早いっすねえ」
「午後からは南部に行くんだったか。出立を明日に延ばしたって構わないぞ、エル?」
コーヒーの熱に身を温めつつ息を吐くエルゼターニアに、特務執行課長ヴィアが気遣いの言葉を投げた。いつも通り、ブラウンの髪をざっくばらんに伸ばしたスーツ姿。
普段から折に触れて身を案じてくる上司に、彼女は至って元気一杯に笑って応える。
「何のこれしきっす! 温泉でゆっくり養生してリフレッシュできましたから、バリバリ働きますよー!」
「そうか……頼もしいな。やはり休日はしっかり休まないと、パフォーマンスも落ちるものな」
人間、適度な休息が必要なのだとヴィアは改めて思い知っていた。当たり前の話を、これまで軽んじていた部分があったのだろうと己を恥じる。
──温泉村での休暇から帰還して既に半月近くが経過していた。疲労の蓄積をすっかり解消したエルゼターニアの活躍は目覚ましく、それゆえに休暇というものの重要性が浮き彫りになった形だ。
申しわけなさげに課長が詫びた。
「……今まで忙しさにかまけて、お前さんの休みを気にしてやれなかったな。悪かった」
「このご時世で、私の職務内容。仕方ないことっすから、どうぞお気になさらずー」
「気にするさ。心身のケアもそうだし、休暇から戻ってきたお前さんの活躍ぶりを思えば、仕事の能率的にも、なあ」
単にエルゼターニアを労うため、と言うばかりの発言ではない。休暇後の彼女の働きが、それまでとは段違いに良くなっていたこともヴィアに影響を与えていた。
もちろん以前までの働きも、特務執行官として申し分ないものだった。亜人との戦いを経る度にその実力や経験則も高まっていき、最初は素人そのものだったのがいつの間にか、すっかりと歴戦の風格が漂うようになっていたのだ。
しかし今現在、休暇を過ごしてリフレッシュを果たした彼女は更にその上を行く。
蓄積した疲労が、やはり動きを悪くしていたのだろう──枷を付けながら戦っていたようなものだ。それを外した今、積み重ねた経験や技術もあって過去最高の実力を発揮できるようになっているのは当然と言えた。
「私も今回、初めて身体を休めることの効果を知りましたねー……今度からは普段の休日でも、しっかりとリフレッシュすることを心がけますよ」
「それが良い。特務執行課としても、今後は週に一日は必ず休日を作るよ。たとえ火急の用ができても、休みの日は何も気にせずゆっくりしてくれて良い」
「ん……まあ、無理や無茶は控えたいっすからね。ありがたいっす」
すんなりと休日を受け入れるエルゼターニア。その、意識の変化もヴィアは重視していた。
温泉村へ行く前ならばこのような話をしても、恐らくは拒否するか休日出勤を強行していただろう。そして大概の場合、毎日亜人犯罪は起きるものなので、やはり彼女は出動するのだ。
精神的な余裕のなさ。予てよりヴィアの懸念していた、あまりにも職務を優先する姿勢に変化が見られている。情熱はそのままに、しかし己を省みることもし始めているのだ。
これは休暇中に共に過ごしたという、王国からの賓客の影響が大きいのだろう。報告を思い返して特務執行課長は微笑んだ。
「マオ殿、とか言ったな? 王国の特級賓客……とんでもないのと知り合って、しかも貴重な情報まで貰うなんてな」
「そうっすね……マオさんには本当に、たくさんのことを教わりました。休み方とか、戦士としての在り方とか。そして何より『オロバ』についてとか」
エルゼターニアに多大な影響を及ぼした少女、マオ。彼女は特務執行課のみならず共和国そのものにとってさえ重大な情報を伝えてくれていた──すなわち王国南西部にて『魔剣騒動』を引き起こし、今また共和国にて『魔眼事件』を画策している邪悪なる者どもの存在について。
「『オロバ』か……治安維持局長どころか政治家連中も揃って泡食ってたよ」
「まさかそんな連中がこの国に潜んでるなんて、思いもしないことっすからねえ」
「王国の『豊穣王』ローランからの使者も来て、マオ殿の発言を肯定して警告までしてきたんだからこりゃ、一大事だわ」
思い返すは先週の話だ。報告にあった『オロバ』の存在について、王国からの使者が来訪していた。
マオもまた、ローラン王に旅先での出来事を報告したのだろう……主に『魔剣騒動』によってかの国が得ていた情報が、共和国にももたらされたのだ。
それまではいかに王国の賓客と言えど与太が過ぎると鼻で笑っている者もいたが、『豊穣王』の名代から明確にその存在と暗躍を示されては事実とせざるを得ない。
結果としてひとまず国政レベルで『オロバ』は知れ渡り、その対策を緊急事態として講じることとなったのであった。
「まあ対策っても、今すぐってわけにはいかんだろうけどな……開発局が何ぞ秘策を持ってるようだったが、あのマッドどもがやることなんて信頼性はないし」
「あ、あはは……まあ、どうにか私も頑張って、『オロバ』を止めて見せますよ。『魔眼事件』なんてそんなの、放っておくと絶対にろくなことになりませんし」
苦笑しつつもその瞳には、共和国を護り『共和』の理念を貫かんとする特務執行官としての矜持、信念が決意と共に鋭く光っている。
邪悪なる『オロバ』への闘志を静かに燃やし、エルゼターニアは微笑むのであった。




