束の間の平和、少女たちの一時
「『オロバ』……ですか。そのような組織が、まさかマルケルの背後にいたとは」
「正直、私も驚いてるよ。まさか王国からそこまで離れてないこの国で、連中が動いてたなんてな」
眼を白黒させている保安官に向け、マオが呟いた。場所は温泉村の保安部駐在所、エルゼターニアに代わっての報告を行うべく、今回のあらましの説明が為されている真っ最中のことだ。
マオによってもたらされた情報──悪の組織『オロバ』。数ヵ月前に王国で初めて観測されたその存在が、今度は共和国にて活動を開始したという。
「王国南西部での『魔剣騒動』が阻止されて間もない。もう少し時間を空けるか、もしくはよその大陸でやるかと思っていたんだが」
「何か思惑があるんすかね……」
「どうだろうなあ。共和国には敵対的な存在が少ないし、王国よりかはことを進めやすいってのはありそうだが」
敵の意図について、いくらか推測していく。共和国の保持する戦力の薄さ──現状、対抗できるのがエルゼターニア一人のみという状況につけ込まれているのは要因として挙げられるだろうが、それだけでもないように思える。
「『魔剣騒動』の首謀者……ワーウルフだったんだが、そいつは『オロバ』とは別に、個人的な目的のためにも動いていた」
「目的?」
「しょーもない話だ。結局そっちも失敗して、『オロバ』にとっての脅威を増やすだけとなったんだがね……それはともかく。今回の『魔眼事件』を進めている首謀者も、個人的な目的があって共和国でことを起こしているのかもしれない」
「つまり、共和国でなければならない何かがある、と」
ぽつりと呟く。凡そエルゼターニアには想像もつかない話ばかりが続いている。
『魔剣騒動』は戦後世界においても広く知られつつある。亜人の集団による大規模な殺人犯罪を高名な冒険者たちが総出で鎮圧したというのだから、話題性に富んだ事件として語られることが多い。
それと同じことが今、共和国にて起こるかもしれないのだ。ゾッとする心地を覚え、特務執行官は呟く。
「……ヤバイっすね、本当。どう考えても私一人じゃ手に負えないっすよ、『オロバ』なんて」
「だろうな。一応聞いとくが、他に当てになる戦力っていないのか、この国」
「今のところは皆無っすね。腕の立つ冒険者は大半が戦争で死にましたし、残っている人たちも協力には消極的っす。こちらの提示している報酬が少ないらしいので、仕方ないんすけど」
「情けないなあ。自分らの国を守ろうって気概とか無いのかよ」
「冒険者さんにとっても仕事っすから。命張るのにリターンが少ないんじゃやりたくはないっすよ」
呆れるマオに苦笑する。言いたいことは分かるが、彼ら冒険者としても生活があるのだ。まさか二束三文で迫り来る亜人たちの魔の手から国を守れ、などと言えるはずもなくエルゼターニアは半ば諦めの境地でいる。
そんな彼女の頭を撫でて、エメラルドグリーンの少女は慰めを口にした。
「……きっとすぐに状況は好転するよ。いつまでも君一人にすべてを背負わせるなんて、そんなことがあるものか」
「一応『クローズド・ヘヴン』にも依頼をかける予定らしいんで。来てくれると良いんすけどねー」
世界最高峰の冒険者集団『クローズド・ヘヴン』。世界の秩序と平和のために活動する、国際的な組織だ。
10人いるメンバーのすべてが単独で亜人と戦える力を持つ、人間の中でもトップクラスの実力者たち。彼らの一人でも加勢してくれるならば、相当に状況は楽になるだろうと予測しているエルゼターニアなのだが……マオの反応は案外、芳しくない。
「あの面白集団かあ。腕は立つんだろうがいまいちこう、威厳とか頼り甲斐とかはないぞ?」
「そ、そーなんすか……そう言えば『魔剣騒動』にも二人、『クローズド・ヘヴン』が関わっていたんすよね」
「ゴリラ2号とずばりずばりうるさいのがな。見つけ出して依頼するのに骨が折れたとかローランが言ってたよ」
「そうだったんすか……さすがに世界を股にかけて活動するだけはあるんすねえ。共和国は、依頼までこぎ着けられるのかなあ」
基本的に世界中を行き来して紛争や事件に関わるかの組織のメンバーたちは、依頼するために接触を試みることさえ難しい。
今や世界的な経済大国、何をするにしても資源と財政が潤沢な王国の辣腕『豊穣王』をして骨が折れたと言わしめるのだから相当なものであろう。
規模としてはどうしても片田舎程度でしかない共和国が、果たしてメンバーとの接触を果たせるのだろうか。
いよいよ不安になってくるエルゼターニアに、マオは苦笑して言う。
「そんな先の話を心配しても仕方ないさ。気楽に行け、気楽に……さしあたり休息だ。保安官、そういうことだから報告は任せるぞ」
「承りました。特務執行官、どうかごゆっくりお過ごし下さい。我々保安部も今後、少しでもお力添えできるように努力します」
「保安官さん……ありがとうございます」
言われた通りだとエルゼターニアは思う。ここでくよくよしていても気勢が削がれるばかりで、何も良い方向に転がりはしない。
少なくとも治安維持局の仲間たちも今後、『オロバ』への対策に向けて動き出すのだ。そう思えば、一人で亜人と戦いはするが決して孤独ではないのだと、少女の心底から勇気と正義が湧き上がっていく。
そのためにもまずは、休息だ。
エルゼターニアはかくして特務執行官に就任して以来初の、長期休暇を楽しむことにしたのであった。
報告関係はすべて保安官に任せることとなり、エルゼターニアはひとまずこれにて一週間程の暇を得た。
不安の種はそこかしこにあり、心休らかな心地でとはいかない気もしていたが……そこは彼女と共に休暇を楽しむ気満々のマオが取り成し、フォローしていた。
「休むとなれば仕事のあれこれは忘れなよ。そういうメリハリ、肝心だぜ?」
「それは、そうなんすけど……そう切り替えも早くできなくてっすね」
「しばらくダラダラしてりゃあ楽しいことしか考えなくなるぜ? 私なんか君、パートナーの家で隠居生活を始めた途端、自分でも笑っちゃうくらいぐーたらぜーたくモードだものよ。いやー衣食住タダって最高だね!」
「よく相方さんに怒られないっすね、それ」
「身内とか一目置いてる奴には極端に甘いんだよ、彼。悪癖ではあるんだけど、そこが魅力でもある」
村の大通りをぶらりと横並んで歩く。背丈が同じくらいの二人は、時折肩が触れ合うような近しい距離で雑談をしながらも観光に興じている。
もうじき夕暮れ時の、涼やかな風の通り抜ける風景。保安官たちが大勢病院へと運び込まれたことで一時は騒ぎにもなっていたようだが、今はすっかり、元の観光地としての姿を取り戻していた。
村の観光地図を広げてマオが、これからをどう過ごすか考える。
「さて、どうするか? 個人的にはここの、露天風呂なんてのが気になってんだが」
「へえ……外の景色を楽しみながらの入浴なんて、温泉の醍醐味みたいなもんっすよ!」
「ほっほーう。それじゃそうだな……ご飯食べて夜になったら満点の星空を見上げつつ湯浴み、なんてどうだい」
「風情っすねえー。あ、でもこの季節だと夜は寒くないっすか?」
露天風呂の響きに早速、心惹かれるエルゼターニアであったが季節柄の寒さを案じてマオに問うた。何しろ季節は秋も深まり、徐々に冬の気配も感じてきている頃合いだ。
夜ともなればいよいよ寒気もあるだろう。入浴中は良くともその後の湯冷めが怖いと呟く彼女に、マオはならばと笑って答えた。
「私の能力で暖まりながら帰れば良いんだよ。上は一瞬で灰一つ残さず、下は人肌温度まで。マオさんの『ファイア』は温度調節とてバッチリだともさ」
「『ファイア』……もしかして天使を追い詰めた、不思議な力の一つっすか?」
「おうよ。色々ある私の力の、ほんのちょっぴりだけだがね」
胸を張り己の保持する技能を自慢する、魔王。星のエネルギーを引き出し、己の望むがままの事象を起こす万能能力は、マオの意思によって自在に戦闘から生活まで幅広い場面で用いることが可能だ。
天使との戦いで見せた、大規模な竜巻、暴風。それらを改めて思い返し、エルゼターニアはぽつりと呟いた。
「……その力、何なんすか? 魔眼のオリジナルとか、言ってたような」
「ん……」
その際に激怒のまま叫んでいた、迂闊な言葉を拾われてマオは一瞬、逡巡した。魔法に対しての拘りの強い彼女ゆえ、魔法こそ魔眼の力の根源であると勢い任せに主張したのであるが……こうなると余計なことを言ってしまったかと後悔せざるを得ない。
頭を掻いて、いくらか説明する。
「何て言うかね、うん。魔眼が用いている力は、私の使う能力と似てる部分があるみたいだしさ」
「似てる部分……っすか?」
「魔剣もそうだったんだけど私の種族が持つ能力に、目を付けてるらしくてねあの『オロバ』は。まったく迷惑なもんだ、使用料くらい頂きたいところだよハッハッハ!」
高笑いなどして誤魔化す。別段間違った説明はしていないが、意図的に隠している部分も当然ある。
『魔王』というこの世でたった一人だけの亜人種のみが持つ魔法、それをどうやったか解析し、劣化とはいえ魔剣や魔眼という形で常人にも使用可能にしてみせたのが『オロバ』だ。
星の化身、最上位の端末機構である『魔王』としては断じて許すことのできない事態である。
ゆえにマオはかの組織を追っているのだ……その尻尾を掴み次第、王国の『豊穣王』や森の館の主、そして『オロバ』討伐の使命を背負う少年へと、その子細を告げるために。
そんなこととは露知らず、いよいよマオの素性を不思議に思ったエルゼターニアが尋ねる。
「マオさんって何の亜人なんすか……? そんなとんでもない力を持つ亜人種なんて、見たことも聞いたこともないんすけど」
「ふふふ、そいつは秘密さ。謎めいた美少女マオさんって、何か良いと思わない?」
「思わ……えー、あー、思います、よ?」
「思わないって言いかけたろ、今!」
茶目っ気めかすマオに、エルゼターニアもわざと乗りふざけてみせた。
ことここに至り、マオが何かしら重大な秘密を隠しているのはエルゼターニアにも理解できていた……ゆえに、黙っておく。ただでさえ王国の貴人、それを差し引いても新しい友人であり命の恩人なのだ。あれこれと詮索するのは良いことでは無いように思える。
「まったく最近、どいつもこいつも人を芸人かお笑い要員みたいに言いやがって! 私って美人でミステリアスなおねーさんなんですけど!!」
「美人はともかく、ミステリアスなおねーさん……?」
「……言いたいことがあるなら言えよ」
「ええとその……わんぱくなお嬢ちゃんって感じかなーって」
「何だとこの野郎!」
素直に物申したエルゼターニアの、身長に似合わぬ豊満な胸を鷲掴みするマオ。もちろん力は程々に抑えているのだが、それはそれとして痛みと羞恥に特務執行官は顔を赤らめた。
「ぎゃーっ、痛いっす! 恥ずかしいっす! セクハラっすよこれー!!」
「こいつめ、ジナじゃあるまいに何て胸してんだこの、アリスとかに分けてやれよこいつ!」
「誰っすか!? マジ誰っすかー!?」
行き交う人々の視線を集めるのも気にせず騒ぎ合う二人。
そうこうしつつも日は暮れる。特務執行官の数日ばかりの休日は、そのようにして始まったのであった。




