胎動する『オロバ』、邪悪たちの動揺
温泉村へと帰還を果たし、負傷した保安官たちと放火犯マルケルを病院へと移送したエルゼターニアとマオ。
場所は今や病院の前。ようやっと馬車を降りた二人は、担架にて次々運ばれていく負傷者たちを眺めながらも言葉を交わした。
「早めに復帰できると良いんすけど……」
「そこは心配ない。保安官どもも少しの間焼かれてた程度、早けりゃ半月かそこらで動けるようになるだろ。アホの放火魔だって、このマオさんが手際を間違うものかよ」
「マオさんの実力は分かってますから、そこは信じてますよ」
ことここに至ればもはや、二人に為さねばならないことなど無い。天使にこそ逃げられたが放火魔は捕らえ、負傷者も全員医者の元へと運んだ。
後は精々が保安部の駐在所へと戻り報告を行う程度だろう──そんな状況の中、ひとまず馬車を村の入り口にある厩舎に戻すかと考える二人に対し、話しかける者がいた。
「特務執行官、それにマオ殿!」
「お?」
「あ、保安部の」
この村の保安部の駐在所、そこで働く保安官の男だ。今回の事件に際してエルゼターニアやマオに説明と打ち合わせを行っており、顔馴染みとは言えないにしろ知らない顔でもない。
温厚そうな顔を困惑に染め、男はそれでも軽く笑って言う。
「お疲れさまでした、お二人とも……どうにも大変なことになっているみたいですね」
「お疲れ様っす。すみません、マルケルはマオさんが無力化してくださったんすけど……亜人の方は取り逃がしてしまいまして」
「そうでしたか。いえ、何はともあれ死者は出ていないようで」
申しわけなさそうに会釈するエルゼターニアだが、保安官としては何とも反応しづらく当たり障りのない答えをするに留まった。
亜人を相手にするという、その時点で既に大任なのだ。いかに特務執行官と言えど倒せないこともあるだろうに、責任を感じている素振りの少女に掛ける言葉が思い浮かばないでいる。
そんな二人に、マオが何の気なしに口を挟んだ。
「今のエルゼターニアにはちょっと荷が重い相手だったな……天使なんてレアな輩、何でこんなところをうろちょろしてたんだか」
「天使!? お、おとぎ話でよく出てくる、あのですか?」
「それも矢面と後詰めに一人ずつな。放火の共犯やってた方はてんで雑魚っちかったが、後詰めはそこそこやる奴みたいだ」
天使という、文献や昔話、フィクションでしか見かけることのない……しかし存在はたしかにしているとされる幻めいた亜人種。
かの『剣姫』リリーナが元々天使だったとされるが、逆に言えばその程度にしか存在の痕跡を残していない者たち。そのような伝説が、エルゼターニアの前に二人も表れ、敵対したというのだ。
感嘆と畏怖とを覗かせ、保安官は特務執行官に視線を向けた。
「そのような恐るべき者たちを相手に、よくぞご無事で戻られました。今しがた搬送された保安官たちと……マルケルも、天使が?」
「あ、いえ。保安官の人たちは皆、マルケルの不思議な『眼』の力で焼かれました。そのマルケルの眼を抉り無力化したのが、マオさんっす」
「マルケルの……『眼』、ですか?」
突拍子のない話だ、保安官が胡散臭そうに返すのも無理はないと、エルゼターニアには思える。
とはいえ事実は事実、それがどんなに信じがたくとも、目の前で起きたことは真実なのだ……マオが肩を竦めて補足する。
「魔眼ってね、何ともバカらしい代物だよ……ちょうど良いな、保安官。お前、エルゼターニアの代わりに上に報告しておけ。『オロバ』の存在についてな」
「『オロバ』……?」
「ちょっと、マオさん。それはさすがに」
「君はちょっとは休まなきゃ駄目だけど、報告とやらもさっさとしたいんだろ? だったらそんなもん、誰か適当な奴に任せれば良いんだよ」
さしあたり急ぎ、報告せねばならない『オロバ』と魔眼。しかしてそれは保安官にでもさせて今は骨休めをすべきと主張するマオに、エルゼターニアもどうしたものか戸惑っている。
いきなり仕事を増やされそうな保安官とて混乱の最中だが、亜人を相手に戦ってきたばかりの少女にはたしかに、休息の時は必要だろうと考え、頷いた。
「な、何か分かりかねますが……私で良ければ、代理報告の形で請け負わせていただきます」
「そんな、悪いっすよ」
「いえいえ。マオ殿の仰る通り、特務執行官にはゆっくりとした養生が要るかと。幸いこの地は温泉村、骨休めには最適ですよ」
「う……」
暖かい気遣いの言葉が、エルゼターニアの頑なな義務感を溶かしていく。そもそも彼女とて、このような事態にならず順当にことが済んでいたならば、気兼ねなく楽しい休暇を過ごそうと思っていたのだ。
報告を保安官が肩代わりしてくれるというならば、つまりは首都に急ぎ帰る謂われもなくなるわけで……昨日の昼に味わった美食と温泉を思い出して少女の相好が思わず緩む。
「うううー……休みたいけど仕事もしたい。休みつつ仕事したい。いえむしろ仕事しながら休みたいぃ」
「ちょっと色々限界来てそうな発言止めろ! 良いから休めって君! おい保安官、そういうわけだし報告は任すぞ、あらましは後で説明するから」
「分かりました、馬車もこちらで片付けておきますので! その、特務執行官……どうかお大事に」
「病気じゃないっすよ!?」
気の毒がる視線に抗議する、エルゼターニア。
それをひとまずマオと保安官は宥め、後程改めて駐在所で話をすることとなったのであった。
「……『魔王』が、何でこんなところに来てんだよっ!!」
思い切り叫び、少年はテーブルを叩いた。亜人用に特別頑丈に拵えられたそれら鋼鉄製、ゆえに己の拳ばかりを痛めてしまったが今はそれどころではない。
いきなり帰還した2体の天使による報告が、子供の心から余裕を奪い去っていた。
ここは共和国でも人間の立ち寄ることの少ない丘陵地帯、そこに生い茂る雑木林の奥深く。拵えられた何ら変哲もない家屋の中。
特務執行官との戦いから命からがら生き延びた天使エフェソスとトリエントの逃げ着いた先──すなわち『オロバ』の共和国における拠点。
魔眼に纏わる一切を取り仕切る存在の住まいであった。
「ざっけんな、ここは共和国だぞ!? 王国で隠居してる奴がどうして、どうして!!」
「レンサス……落ち着くのだ」
「しかも『特務執行官』を庇ってエフェソスに攻撃した!? 何でだ! 星の化身が、何故人間を護る!? 人間は星にとって寄生虫、忌むべき存在じゃないのか、ええっ!?」
半狂乱になり、今は隣室にて休むエフェソスの負傷の原因に叫ぶ少年、レンサス。灰色の髪に憎悪にギラギラと光る目付きの、スーツを着た彼もまた亜人の一人。
『オロバ』大幹部にして魔眼に関連する一連の作戦『ミッション・魔眼』の総責任者である。
そんな彼は今、いきなり降って沸いたかの大災害への怒りと憎悪を隠さずにいる。
見かねた天使トリエントが宥めようとしたことさえ逆効果で、レンサスの激昂は彼に向けられることとなった。
「落ち着く!? どう落ち着けってんだ、状況分かって言ってんのかお前、ああ!?」
「分かっているとも。たしかに魔王は恐ろしい……しかし今そうして暴れたところで何にもなるまい」
「はんっ──その認識が甘いんだよ!」
「何?」
自暴自棄じみた冷笑を浮かべ、あからさまに馬鹿にしてくるレンサス。それに対してトリエントはただただ困惑を浮かべるばかりだ……怒りはない。
この少年亜人が普段は余裕ありげなものの、ある一定までストレスが溜まるとしばらく今のように激昂する悪癖があることは、知り合ってからそう長くないにしろ分かっていることだ。
だからこそ解せない。ただの報告一つで即座に激昂し暴れだす程に、魔王とは致命的な存在なのだろうか。どんなに恐ろしい存在だとしても、いくらなんでもこの反応の早さは過剰に思える。
不思議がるトリエントに向け、いっそ優しくさえある声音でレンサスは説いた。魔王だけでない……いやむしろ、魔王のバックにいる者こそが問題なのだと。
「良いか? あの魔王が僕らに、『オロバ』に気付いたとして……間違いなく奴は王国に戻り、そのことを奴に、『勇者』に知らせる」
「……勇者か。魔王をさえ凌駕すると聞くが」
「化け物だよ。一度相対したから嫌って程に分かる。あいつは、あの男は怪物だ。この世界に在ってはならない次元の生命体だ。魔王だって、あれに比べれば良いとこ赤子だろうよ」
「馬鹿な」
魔王でさえ赤子──そうまで嘯く少年に、トリエントは思わず失笑を抑えられなかった。
何があったかは知らないが、いくらなんでも恐れすぎのように思えたのだ。魔王の恐ろしさは今しがた味わったばかりだ。その魔王を赤子扱いだなどと、あまりにも荒唐無稽に過ぎる。
「かつて魔王を倒したというのならば、たしかにその勇者とやらは強いのだろう……だが我らとてまったくの無力ではあるまいて」
「黙れ。奴と相対したこともない癖に舐めたことを吠えるな。いいか、これは確定事項として捉えろ。『奴が出張った時点で詰み』だ。勇者がこの国に来た時点で『ミッション・魔眼』は一時中断し、僕はどこか遠くへ高飛びする」
「何だと……!?」
顔を蒼白にしたまま、恥も外聞もなく逃亡を口にするレンサスの必死な形相。それを受け、次第に冗談で言っているわけではないとトリエントの不安感が煽り立てられていた。
まさか、本気で冗談で済まない存在なのか? 『勇者』とは。
永らく群れから離れることが無かった彼ら天使には、いまいちその存在の恐ろしさが分からないでいる。
「と、とにかく……今は調査だ。人間に金を掴ませて魔王の様子を探らせろ。せめて何が目的でこの国に来たのかくらいは知らないと」
「『ミッション・魔眼』の方はどうなる?」
「どうもならん。エフェソスはしばらくは動けないしクラバル次第だ。トリエント、お前もクラバルに手を貸せ。なるべく『特務執行官』に気取られるな。連鎖して魔王まで動きかねない」
矢継ぎ早に指示を出し、レンサスは深くため息を吐いて椅子にもたれ込んだ。ひどく疲れた気分だった……他でもない魔王と、それに付随して勇者が絡んでくる危機が突然現れたのだ、致し方のない話ではある。
「とにかく、ことは慎重に隠れて進めろ……クラバルにもそう伝えておけ」
「分かった。お前は?」
「寝る。疲れた……病み上がりでこのニュースは堪えるよ、くそっ」
「……分かった」
フラフラと動くレンサスに一つ心配げな、憂う視線を向けるもトリエントは、結局指示通りに動いた。もう一人のレンサスの部下、クラバルのフォローに動くのだ。
そんなにも恐ろしいのか? 勇者とは──そのような一抹の疑問を抱きながらも、天使は次なる任務のために家を出るのであった。




