発動するは『魔法』、不埒なる者への鉄槌を
真っ向から向かい合うエルゼターニアと天使。
一連の攻防も一区切り、ひとまず落ち着いた二人の表情は明暗くっきりと分かれている──すなわち未だ、明らかな余力を残している天使と、それなりに体力を消耗した様子のエルゼターニアとだ。
「素晴らしい力です、特務執行官」
天使が嘯いた。揶揄や皮肉の意図は感じられない。純粋に、心からの賛辞だ。
訝しむエルゼターニアに、更に続ける。
「亜人犯罪と立ち向かう、この国でたった一人の実力者。なるほど実際に相手をすれば、その強さが分かります」
「……命乞いとか、降参ってんなら助かるんすけどね」
「──そして賢明。既に私にはどうあがいても勝ち目がないことも分かっている。強がりがちなのは、まあご愛嬌でしょう」
正しく現状を認識しているからこその空元気。すっかりエルゼターニアの胸中にまで理解を示した天使に、絶望感はますます募る。
このままでは勝てない……殺られる。少なくとも現状のルヴァルクレークの出力では力負けしてしまう。
とはいえ、打つ手がないわけではない──エルゼターニアはホルダーに手を伸ばした。そっと、白色のボトルを撫でる。
禁断のボトルだ。ルヴァルクレークの性能を100%引き出すが代償として、強すぎるゆえの余剰エネルギーが使用者たるエルゼターニア本人まで傷付ける。
以前一度だけ用いて、病院送りにされてしまったことさえある──
「けど、四の五の言ってられない、かな!」
「む──?」
当時を思い出して恐怖に怖じける己を押し殺して、エルゼターニアはボトルを取り出した。
悠長なことを言える状況ではない。どのみち使わねば殺されてしまうのだ、それならば最後まで、全力で特務を執行するのみ!
「電磁兵装運用法第四条、特例事項B! 『電磁兵装使用者の生命が危機に晒された場合』と断定!」
「ボトル? ──っ!?」
取り出された白いボトルに一瞬、不審げな顔をするものの……亜人特有の発達した五感が即座に本能的な警告を訴えるに至り、天使は即座に身構えた。
これまでの特務執行官は、強力だがあくまで格下に過ぎない程度のものだった。それゆえ天使も余裕を以て対処できていた。
だが白いボトルから放たれる膨大なエネルギーはわけが違う。見るからに威圧感を放つそれは、美しい有翼亜人の女から余裕を剥ぎ取るには十分に過ぎたのである。
「何ですか、そのボトルは……! 人間には過ぎた力ですよ!?」
「百も承知……! それでも今ここで、あんたを止められるならっ!!」
覚悟を決めた眼差しで、エルゼターニアはボトルを握り締めた。これから起こること、すなわちルヴァルクレークのフルパワーの発現への恐怖を捩じ伏せての気迫に、いよいよ只ならぬものを感じた天使が制止する。
「お止めなさいっ! それに込められたエネルギーは、決して人間に扱いきれるものではありません! 命を粗末にしてはいけないっ!」
それは天使なりの気遣いの言葉だった。彼女にはエルゼターニアと戦いはしても殺すつもりは毛頭ない──彼女の目的を考えればむしろ、ここで死なれては困る──ゆえの発言なのだが。
逆にそれこそがエルゼターニアの逆鱗だった。凄絶なまでの眼光で睨み付け、激怒する特務執行官。訝しむ天使に向けて彼女は叫んだ。
「放火なんてやる人に荷担しておいてっ! どの口で命を粗末にするななんて言えるんすか!!」
「それ、は」
「あんたがあの、マルケルの放火を手助けしたことで! 人が二人も死んでるんすよ!!」
「──!」
二人死んだ。マルケルの『魔眼』で。
そのことに天使があからさまな動揺を見せたことに、エルゼターニアは気付かない。命を粗末にした目の前の敵が、命の大切さを語ることの欺瞞。それが彼女をどうしようもなく激怒させていた。
ボトルを握った腕を天高く掲げる。白いボトルから放たれる威圧がいよいよ強さを増す。
「何の罪もない命を踏みにじっておいて、どうしてそんなことを言えるんすか!? あんたは、自分たちが何をしたか分かってないんすか!!」
「し……しかし、それでもそのボトルは!」
「危険でも何でも! 今ここで、あんたを止められる力なら!!」
なおも制止しようとする天使を振り払うように、勢いよく振り下ろされる天高き手、そしてボトル。
それはそのまま、ルヴァルクレークのソケットに差し込まれようとして──
「止めとけ、エル」
「っ!?」
突然横から伸びた手に掴まれ、止められた。
まったくいきなりの事態にぎょっとしたエルゼターニアが振り向けば、そこにはエメラルドグリーンの長髪をたなびかせる少女が一人。
「どう見てもろくな代物じゃないだろ、それ……そういうのはこんな雑魚に使うようなもんじゃない。もっと大事なところで、絶対に倒さないといけない奴に使うもんさ」
「──マオさん!? いつの間に」
「ついさっき。何かヒートアップしてるようだがまずは落ち着け、あんな程度の低い輩に本気になっちゃいけないぜ?」
ウインクして笑う、少女──マオ。その片手は掌サイズの氷塊を携えている。
努めて宥めるように肩を叩いてくる少女に、エルゼターニアは大きく深呼吸を繰り返した。このまま頭に血を昇らせては正しい行動を取れないと、冷静を取り戻したのだ。
一方で天使もまた、突然姿を見せたマオに対して強い警戒を抱いていた。
気配感知にさえ引っ掛からなかった、謎の能力……しかも携えている氷の中にあるのは、おそらくは目玉。
不気味な相手に天使は槍を構え、油断せずに問う。
「何者ですか、貴女は。いきなりそこに現れた辺り、只者ではないと見ますが」
「『只者ではない』ねえ? その程度にしか見抜けないのが哀れだな、天使。永らく引きこもりやってたから、見る目の一つも養えてないわけだ、お前らは」
「……私個人へはともかく、我が種族そのものへの侮辱は許しませんよ。神の槍、味わいたくはないでしょう」
種族そのものへの侮蔑を顔を浮かべて嗤うマオに、天使は鋭い視線を向ける。
人間ならば、それだけで気絶してしまうような殺気。威圧も兼ねて全力で叩きつけるのだが、まるで意に介することなくマオは更に嘲笑を浮かべた。
「異空間からすべてを見下すしかしない能無しどもが、何を一丁前のようなツラしてんだか……自惚れるのも大概にしろよ? 時代遅れも良いとこなんだよ、お前ら」
「──警告はしました!」
なおも続いた侮辱の言葉に、天使は赦しがたいと槍の切っ先を向けた。収束していくエネルギー。
先程放ったものと同じ技だ。慌ててエルゼターニアがマオの前に出る。
「マオさん下がって!」
「いやいや、君こそ落ち着いて見ていたまえ。大丈夫、ここは私が受け持つよ」
「!? ダメっす!」
「いいから」
しかしそれを制止する。この期に及んでまだ、他人を守ろうとするエルゼターニアの姿勢に好ましいものを抱きつつもマオは、天使に向けて指を向け何度か挑発をして見せた。
すなわち『かかって来いよ』というジェスチャー。いよいよ不愉快さを覚えて天使が吠える。
「その余裕、彼岸で後悔なさい──『断罪・マテリアルバスター』!!」
放たれた高密度のエネルギー。先程遥か彼方まで貫くように伸びたものとまったく同じ技がマオへと迫る。
思わず身構えるエルゼターニアだが……鼻で笑い、たった一言呟いたマオを見て絶句した。
「『シールド』」
──彼女の眼前にて『断罪・マテリアルバスター』が霧散していた。
不可視の壁にぶつかったような不自然さでかき消えたのだ。
「な──」
「……!? 馬鹿な、それはレンサスの」
「元は私のだ、履き違えるな羽虫が! 『サイクロン』!!」
愕然とする天使に向けてのカウンター、風の魔法『サイクロン』。今度はマオから敵に向け、幾筋もの竜巻が放たれる。
すさまじいスピードと勢いだ……驚愕から脱しきるよりも早く天使に襲いかかる程に。
「ぐぅっ……ぅあああっ!?」
複数の竜巻に挟まれ、風圧によって引き裂かれていく身体。わずか数秒で見る影もない程に傷だらけになっていく天使。
「おいおい、回避くらいしろよ。腕は立つか知らんが心構えはまるでトーシロじゃないか……本当に、身内相手に粋がってばかりだったんだなあ羽付き」
「あ、あ……」
呆れの吐息を混じらせるマオ。隣ではエルゼターニアが仰天してその有り様を見ていた。
今しがた、決死の覚悟で挑もうとしていた恐るべき難敵がボロボロになっていく。わずかな時間に、棒立ちのマオによって。
「ま、マオさん……貴女は、貴女は一体」
「王国からの旅行客。そして君の味方さ、我が友よ。今はそうしておいてくれ」
エルゼターニアの震える声に応えるその表情は、どこか寂しげに揺れている。
その顔に、かける言葉が見当たらないでいる中……『サイクロン』によって傷だらけとなった天使が、倒れ伏したまま声をあげた。
「ぅ、く……こ、この力は……?」
「ふうん? 腐っても天使か、まだ声を出せるなんてな」
相当なダメージにより身動き一つも取れない天使に、マオが感心ともとれる台詞を口にした。
見た目既に瀕死と言って良い程、身体中が切り裂かれて血に塗れた状態でもなお意識を保ち、あまつさえ呻き程度でも声を発して見せたことへの驚きもあった。
だがそれだけだ。マオは歩を進めた。
「エルの手前、殺しはしない……特務執行官殿に感謝するんだな、天使」
「そ、んな……まさか、これは、『魔眼』、の!?」
「こっちがオリジナルだっつってんだろこの野郎、その羽もぐぞ!? エル、さっさとこの不快な雑魚を捕縛してやれ!」
「え? あ、はい!」
激昂して叫ぶマオに、慌ててエルゼターニアが天使に近寄る。『ルヴァルクレーク"エレクトロキャプチャー"』での捕縛だ。
何をそこまで怒ることがあるのか、そこはとんと分からなかったが……特務執行官はある程度距離を詰め、ルヴァルクレークの柄尻を天使に向けた。
「放火の共犯により、あんたを逮捕します! 『ルヴァルクレーク──」
「く、っ……」
『エレクトロキャプチャー』を放とうとするエルゼターニア。ここまでダメージを負っている状態では満足に動けないだろうが、念のために全身を拘束しておくに越したことはない。
マオがいなければ、こうして地に伏していたのは高確率で自分だったろう。確信めいた感覚にゾッとするものを抱きつつも、彼女はとにかく電磁ネットを放たんとする……その時!
「『天誅・アストラルキャノン』!!」
「──!?」
「!? 『シールド』!!」
高らかに響く叫びと共に、天高くから地表に向けて何かが放たれ──エルゼターニアとマオ、そして倒れ伏す天使を呑み込んだ。




