守護者から刃へと【最終話】
魔眼による支配から解放された中央オアシス政府領。数年にも渡り意識を封じられていた国民たちが、自分たちに何が起きていたのかを把握し理解するのには、意外にも大した時間がかからなかった。
解放後エルゼターニアたちが働きかけた結果、共和国と王国による支援とケアが迅速に行われたのである。
共に『オロバ』による被害を受けた共通項のある両国。それだけに連携も良くスムーズに中央オアシスへの説明ができ、あまつさえ支援へと至ることができた。
砂漠国家の方もザロンストンによる支配以前に国を治めていた政治家たちが再度政府を樹立したことにより、著しく早い段階で平穏を取り戻すことに成功。
結果から言えばわずか一月あまりで中央オアシスは、数年前、戦後まもなくから現在にかけて吹き飛ばされてしまった時間を、大した混乱もなく受け入れることに成功していた。
「言っちゃえば数年、皆して眠ってたようなもんっすからねえ。現実味には乏しいんすよね、きっと」
「操られている間に死んじゃった人とかそのご家族さんとか、更にはこの数年出生率が0だったってこととか……行政面や情緒面での混乱が出てくるのはそろそろって辺りかもなあ」
「っすねぇ。でも、生活や経済の土台となる政府が既に復帰してますから。どうにか物騒なことにはならないと良いんすけど」
エルゼターニアとヴィアが語らう。中央オアシス政府領の今後は政治屋ならぬ身には不透明だが、それでも止まっていた時計の針が動き出したかの国は、様々なことが起きるのだろうことは想像がつく。
きっと良いことも悪いことも起きるのだろう。けれど、意識なく操られていた頃よりは間違いなく良いはずなのだ……難しげに唸りつつもそう信じる少女の隣で、相棒は気楽げに笑う。
「大丈夫だって、エル。王国や共和国の支援もあるんだし、すぐに立ち直るよあの国は。何せ厳しい環境の中でも立派に生きてきた人たちなんだからさ、逞しいよ」
「……そうっすね。絶対にそうっす」
救われるような心地で微笑み返す。すっかり出立の準備を整えた二人は、見つめ合って頷いた。
──ここは共和国治安維持局本部の正門前。いつになく重装備のエルゼターニアとハーモニが馬車の前にて並び、ヴィアやレイン、ゴルディン、オルビスやファズと向かい合っている。
いかにも彼女たちは今日、旅立ちの日を迎えていた。目指すは大陸は遥か北部、王国をも越えた先にある万年凍土、連邦領。
『オロバ』が画策する三つ目の邪悪『オペレーション・魔獣』の調査と阻止に向け、共和国が誇る特務執行官として新たな戦いへと臨むこととなっていた。
「連邦はまだまだ、失踪事件が頻発してるようですしなァ……恐らくはそれも『オロバ』絡みなんでしょうや。どうぞお気を付けてください、お二方」
「オルビスさん、ありがとうございます!」
「共和国のことは僕らに任せておいてください。あと連邦には今、『クローズド・ヘヴン』のゴッホレールにカームハルト、あとシオンの三人がいます。うまく合流できたら酷使してあげてくださいね」
「あ、あはは……まあ、仲間が増えるなら探してみるよ、ファズさん。元々リムルヘヴンにリムルヘル、探すつもりだったしね」
オルビスとファズ、『クローズド・ヘヴン』の二人と挨拶を交わす。彼らは春先まで共和国にて治安維持と、エルゼターニアの後釜たるエイゼスをリーダーとして新設される『特務執行隊』のアドバイザーを務める予定だ。
「エルちゃん、しんどくなったらいつでも帰ってこいよ! その魔眼があるなら毎日だって戻ってくりゃあ良いんだ……無茶なんてしないでくれよな!!」
「はい、ゴルディン部長……さすがに毎日は無理っすけど、週に一、二回は報告とかルヴァルクレークのメンテナンスも兼ねて戻るつもりっす。いつも、ありがとうございます」
治安維持局保安部長ゴルディンが、厳めしい体格と顔付きとは裏腹にひどく心配そうに眉を下げて言ってくる。エルゼターニアの無理しがちな性格を案じて、とにかく無事を願っているのだ。
いつも自分を心配してくれる、心優しい辣腕部長。頼れる大人に、エルゼターニアは深く、これまでの礼とこれからの感謝を込めて頭を下げた。
「二人とも、どうか気を付けて……向こうはとにかく寒いって聞くから、体調を崩さないようにね?」
「連邦も広いから、手探りで連中の尻尾を掴むってのは大変なことだろう。一応二人には共和国からの正式な捜査官として、特別権限を行使できるように通達してある。これでどうにかやってくれ。何なら贅沢してくれても良いくらいだ」
「ありがとねレインさん、ヴィアさん。私は亜人だから寒さとかへっちゃらだけど、エルが風邪なんて引いたら大変だしね! 絶対に健康には気を付けるよ」
「それに私たちへの特権付与、とても助かります。正しい形で行使して、必ず『オロバ』の陰謀を阻止して見せます!」
そしてレイン、ヴィアの二人と話す。特務執行課のメンバーとして一番初めからエルゼターニアを支えてくれた、かけがえのない仲間たちだ。
今やそんな彼らの元さえ旅立ち、国を離れて二人、極北にて戦おうとしている。それが何やら感慨深く、エルゼターニアはしみじみと空を見上げた。冬の寒空は遠く、けれど青く透き通った清々しさを孕む。
一つ深呼吸して、ハーモニに視線を向ける。同じようにパートナーもこちらを見て、共に言葉を重ねた。
「──行きましょうハーモニさん。これから始まる戦いの、ここが第一歩っす」
「うん、行こうエル。いつまでもどこまでも──私たちは一緒だよ」
手を取り、繋ぐ。互いの温もりに安心と、勇気と、覚悟を見出だして。
『特務執行官』エルゼターニアと『新世代の七人』ハーモニは馬車へと乗り込んだ!
「行ってきます、皆──行ってきます、共和国!!」
大切な故郷、仲間、友、家族。それらを守るために今、あえて世界へと飛び出す。
『共和の守護者』はかくして連邦へと向かい、動き始めたのであった。
──連邦領。とある地域、とある研究所。
人里から遠く離れ、厳しい気候から亜人すらも寄り付かないような雪山の麓に、『オロバ』の拠点はある。地下深くにまで大きく空けた空洞を、研究所として運用しているのだ。もう数百年にも及んでの長久たる施設だ。
男はそこを訪れていた。ブラウンのオールバックにスーツ姿の、優男風の中年。けれど瞳だけは異様にギラついた、妄執と野望とが貼り付いた輝きを放っている。
彼──『オロバ』創設者、首領と立場でのみ呼ばれる名も知れぬ男は、一人研究所内にて佇み周囲を見渡していた。
「ふむ。明かりがあり、生活臭もある。人の気配もあるが……それ以外も野放しか」
「──グウルゥァァアアアアアアアッ」
呟くや否や、背後から猛スピードで飛びかかってくる獣。虎の頭に蛇の体と、異様な風体をしている。自然界にはまず存在しない、怪物。
鋭い牙から毒であろう液体を垂らして迫るソレを、しかして首領は顧みない。腰に提げた黒い剣の柄に手をかけて──
「『パーフェクトドライバー・タイプ"アルマゲドン"』」
「ァ──ガ、カ」
──次の瞬間には怪物を両断していた。『宿命魔剣』が攻撃機能の一つを行使したのだ。
恐るべき無限エネルギーの発露が、切り落とした怪物を食らいつくしていく。それさえもはや忘れたように、男はなおも思索した。
「……『魔獣』か。出来の悪さを見るに試作品だろうが、野放しとはな。脱走したか、それとも」
「僕らがちゃんと管理してるよ、首領」
唐突にかけられた声だが、既に『気配感知』にて把握していたものだ、驚きなく首領は振り向く。年若い少年少女と、大柄な男の三人がそこにいる。
見覚えのない顔だ。詰まらなさげに『宿命魔剣』を携え、彼は問う。
「……あれが何か理解しているのかね? そして私のことさえも」
「当然! ミシュナウムのばーちゃんから聞かされてたしね、粗相のないようにって」
「さっきの『ペット』ちゃんはごめんなさい! その、檻に入れとくのも可哀想だと思って」
「ブハハハハハ、しかし首領殿はお強いな、さすがはミシュナウムの婆様の上役殿! 惚れ惚れするわ!!」
「……ミシュナウムの、孫? あれにか?」
いつになく困惑する首領。ミシュナウム──それは組織黎明からの付き合いだった大幹部にして、『オペレーション・魔獣』の責任者だった老婆だ。しかして王国での『プロジェクト・魔剣』の最終局面において勇者セーマと魔王マオによって殺された、妄執の権化と言うべき老婆である。
1000年前から彼女を知っている首領には、どうしてもミシュナウムを『婆さん』扱いする目の前の三人が信じられない。控えめに言っても狂いきったあの老婆は己の目的を果たすことしか考えていなかったのだ、子を成すどころか番を得たことさえないはずだ。
「そもそもあのような老婆、相手にする物好きがいるとも到底──む、う?」
にわかに混乱する首領だが、すぐに違和感に気付いて看破する。左目に宿した『運命魔眼』が虹色の煌めきと共に、目の前の三人が何なのかを端的に示してきたのだ。
そして、鳥肌。抑えきれない戦慄と堪えきれない愉悦と共に、首領はやがて声をあげて笑い始めた。
「く、くく……はは、はは! はははははははは! はははははははははっ!」
「え、どしたんこの人……ミーナ、分かるか?」
「さ、さあ? シュロウに分かんないのに、私が分かるわけないよ」
「婆様に孫がいるのがそんなにおかしいんかねえ? まあ……苛烈なお人だったしな、色々」
「ムーロルーロ、ありゃ苛烈じゃ済まねえだろ……」
いきなりの洪笑に引き気味の、自称ミシュナウムの孫たち──シュロウ、ミーナ、ムーロルーロ。
その名を呼び合うのを聞いて、首領は更に爆笑した。心の底から面白がるような、そんな……悪意ある嘲笑。
「はっははははははっ! ひ、ははははは、ははははは──シュロウ? ミーナ? ムーロルーロ?! くくくふふふっ、まったく私を笑い殺すつもりか、ミシュナウム!」
「え、ええと……首領さん?」
「ついに手をかけたか、『永遠』へ──と。いやはやすまないね三人とも。あんまり面白かったものだからつい」
「何が面白かったので?」
「んん? いやいや、それはまあ、あれだよ。ミシュナウムの孫可愛がりを想像してね、ふふ」
腹を抱えつつもようやく収まりつつあるのか、笑いを湛えて応える首領。何がそんなに面白いのか、孫三人にはまったく分からない。
ともかく、と強引に話を変えて──そうでもしないとまた笑ってしまいそうだった──男は『宿命魔剣』を腰に戻して言った。
「君たちを見て大体分かった。『オペレーション・魔獣』は君たちが受け継いだのだな」
「あ、ああまあ……それな。僕たち『ミシュナウムチルドレン』が今後、『天命魔獣』の創造に着手するよ」
「よろしい、実によろしい。今日ここに来て良かったよ。君たちを見て確信した──ことは成功する、必ず。とな」
強く断定する首領に、『ミシュナウムチルドレン』の三人は顔を見合わせて自信ありげに笑った。事業を引き継いだ彼らに、それを遂行できる能力があるのだと上役に判断された、期待されたと思ってのものだ。
「ふふ、期待しているよ『ミシュナウムチルドレン』。君たちこそが、ミシュナウムの後継者だ」
朗らかに笑い告げる、男。その表情に宿る嘲りに、ついに彼らは気付かぬままだった。
──燃えるような体の熱さと裏腹に、彼の心は冷えきっていた。
錆び付いていると言っても良い。とにかく暗く重く沈んで、動かずにいるのだ。それでも体は生きることを求めて日々、周囲をさ迷うのだから、まったく嗤える話だと彼は彼自身を嘲る。
「あん? 何だ人間が、どうしてこんな森ん中にいるんだ」
「しかも何だこいつ、この寒いのに何で半裸にボロッボロのコート一枚なんだよ。寒くねえのか?」
「馬鹿じゃねえのか……」
彼を見付けて吹雪の森の中、次々亜人たちが集まる。厚着したオークが数人、いずれも彼の出で立ちを見て気味悪がるなり馬鹿にするなりしている。
上半身裸、ズボンと靴のみ。それでいて黒くボロボロのコートを羽織っている、珍妙な出で立ち。少なくともこの万年凍土の連邦では絶対にあり得ない服装だ……今ここにこうして生きていることが奇跡的な程に、寒さに対して無防備な姿。
変態か狂人か。どちらにせよ関係ない話だとオークたちは構えた。縄張りに入ってきた者は何であれ殺す。ましてや人間など以ての他だ。戦争の怨み、少しでも晴らしてやる。
そうにやつき彼を囲むオークたちは、ふとその足下に何か、巨大な鉄の塊が落ちてあるのに気が付いた。雪に埋もれつつあるがそれは、たしかに鉄だ。それも形状からして剣、と言える程の。
「馬鹿……馬鹿か。そうだよ、俺は馬鹿だ」
不意に、彼が呟いた。濁りきった瞳、焼け焦げた浅黒い肌、そして一部が黒い、煤けた銀髪。
『かつてと変わり果てた姿で』、彼はなおも続ける。
「馬鹿なんだよ。屑で、ゴミで、虫けらで、カスで、先祖の面汚しで、身の程知らずで──」
「な、んだ? てめえ……」
「──どうせ俺なんか、死んでないだけの死人だよ」
いよいよ異様なものを感じて後ずさる、オークたちを前に。
彼は──かつて風の魔剣士と呼ばれた彼、クロードは。
「それでも死んでねえから、生きてるだけなんだよ──!」
足下の鉄塊、『攻勢魔剣』を蹴り上げ、掴み取り。
「道連れだ、死人に殺されろ──『ストライクドライバー』ァァァッ!!」
身の丈をも超える大斬撃にて、オークたちを纏めて両断して見せた。
かくして舞台は共和国から連邦へと移る。
『勇者』セーマ、『焔の英雄』アイン、『共和の守護者』エルゼターニア。三人の英雄たちから更に繋がっていくのは、かつて邪道に堕ちた剣士、クロード。
『オロバ』第三の計画がもたらす戦い、新時代を切り開くための三つ目の物語。
錆び付いた刃が、再び輝きを取り戻し蘇るため──
そして妄執に身を浸した魂を救うため──
『連邦魔獣戦役』の幕は上がろうとしていた。
これにて『八百万英雄伝』第二部「共和国魔眼事件エルゼターニア─共和の守護者─」完全完結です!
約一年、本当にありがとうございました!
ここから一年程間を起きましてそれから、第三部「連邦魔獣戦役クロード─蘇る刃─」を開始したいと思います。
それまでの間はノクターンノベルさんの方でセーマくんを中心にしたお話を書き続けようかなと思います。興味ある18歳以上の方は是非、そちらもご覧下さい。
これからも続くシリーズですので、何卒よろしくお願いいたします。
御愛読ありがとうございました。てんたくろーでしたー