黄金の朝、いざ行かんや決戦の地
早朝。空が白んで、遠くに見える山々もその輪郭を、徐々に明朗なものにせんとする黎明の頃合い。
エルゼターニアはふと目を覚ました。
「ん……んんんー」
温もるベッドのシーツの中、寝ぼけ眼を擦りながら手足を伸ばす。身体の解れを感じながら、彼女はぼんやりと呟いた。
「お、起きなきゃ……」
のそのそとベッドから這い出る。洗面台にて顔と歯を洗えば少しは覚醒も進み、大きな欠伸を一つ、漏らしてから窓際へ向かう。
カーテンを開ける。少しずつ朝の光が昇っているのを前に柔軟体操を行い、エルゼターニアはさてと呟いた。
「時間はまだ余裕あるし……ルヴァルクレーク、最後に確認しとこうかな」
今日は朝から、件の放火事件の犯人が住処としているという山の麓の小屋にまで向かい、そのまま逮捕に踏み切る。
犯人を護っているという有翼亜人とも間違いなく戦闘になるだろう──万全を期さねば。
すっかり対亜人に向けて意識を『特務執行官』のものへと切り替えたエルゼターニアが、隅に立て掛けていたルヴァルクレークとボトルホルダーからボトルを手に取ってソファに座る。
鍵を取り出す。ルヴァルクレークのソケット部、その間にある鍵穴に差し込んで開錠。これにより機能制限が解除された電磁兵装を眺め、少女は感嘆の念を漏らした。
「盗難防止用のロック……いつ見てもすごい技術。クラウシフ博士、本当にどこの国から来たんだろう」
セキュリティロック。ルヴァルクレークが万一にも第三者の手に渡らないように施されている、盗難者迎撃システムだ。
施錠することにより機能に制限をかけ、更にその状態で条件を満たしていない者が触れるとプラズマが襲いかかるのである。
これによりエルゼターニアは、用のない時には常時携行せずとも済むのであった。
「他はともかくこのシステムだけは解明してほしいんだけどなあ……国の治安改善にも一役買うし。せめて博士がもう少し、技術情報残してくれてたら」
言いながらため息を吐く。現状の共和国が持つ技術力では、解明できたとして再現できるかも微妙だと認めざるを得ないからだ。
何しろ電磁兵装がどういう仕組みなのかの解明は、数多の研究者が総力を挙げて日夜研究に没頭していてなお難航しているのだ。こればかりは最低限のカタログしか残さずに姿を消したかの博士に文句を言わずにはいられない。
「……ま、言っても仕方ないよね。今は仕事に向けて準備、準備、と」
それでも差し迫る戦いに向け、エルゼターニアはルヴァルクレークの状態確認を始める。
とはいえやることは簡単だ。ソファ前のテーブルに並べたボトルから一本、紫のものを取り出してソケットに差し込む。
「『ルヴァルクレーク"ソーラー・メンテナンス"』」
技名……でもないのだが、定められているコードネームを呟く。途端に、ルヴァルクレークからプラズマが放出された。広範囲へのものでも、大出力のものでもない……刃の部分にのみ小さく細かく発生している。
『ルヴァルクレーク"ソーラー・メンテナンス"』のボトルは、まさしくルヴァルクレークのメンテナンス用のボトルだ。
普段であれば治安維持局にある専用の設備で行うのだが、旅先などでそれが利用できない場合に使用する。
オートで刃部分の研磨を行い、かつ異常があればその部分を修復するという、これまた既存の技術にはあり得ないテクノロジーである。
「さて、と」
プラズマが研磨を行うその傍らでエルゼターニアは、柄の部分にも持参していた滑り止めの薬液を振りかけ、それを馴染ませるように伸ばしていく。
彼女は普段、指貫のグローブを装着している。そちらも滑り止め防止の細工はしてあるが、何しろ指先は素のままだ。万一を考えれば柄自体にも処理はしなければならない。
「んしょ、んしょっ……ふう。これなら戦闘中、汗で落っことすなんてこともないかなー」
数分かけてしっかりと薬液を施して、エルゼターニアは人心地つけた。刃の研磨も終わりを告げるようにプラズマが霧散し、彼女は立ち上がった。
ルヴァルクレークを構える。室内ゆえ振り回しはしないが型を取り、握りの感覚や刃の仕上がりを身体でたしかめていく。
「……よし! 準備完了!」
何ら違和感のない、常の心地……これならば万全の状態で戦えると、エルゼターニアは己に渇を入れるように声をあげた。
すぐさまルヴァルクレークを待機状態に戻し、己自身の仕度に入る──すなわち着替えだ。
浴衣を脱ぎ、制服を着る。白いシャツのボタンをしっかりと留め、黒いソックスを履く。そして上下黒のジャケットとスカートを着てグローブを装備すれば、あっという間に『特務執行官』エルゼターニアの完成だ。
ベルトの側部にボトル入りホルダーを着けるのも忘れない……これがなければ話にならない。
最後に背まで伸びたブラウンの後ろ髪を、ポニーテールにまとめて紐で結び──彼女はルヴァルクレークを背負った。
「さあて……! 特務執行官エルゼターニア、出動します!」
やがて陽の昇りゆく景観の、輝く黄金の光を受けて。
共和国の秩序とそこに住む人間と亜人を護り、『共和』の理念を貫く少女は部屋を飛び出した。
そして村の門の前、エルゼターニアはマオと並んで立っていた。
部屋を出てから合流し、軽い朝食を取ってから待ち合わせ場所に向かったのである。
共に行動する保安官たちが今、馬車を用意している。その間は暇だ……エルゼターニアはマオを見て言った。
「マオさん、すごい服っすねー」
「ふふん、そうかい? まあ、お気に入りだからね。ははは!」
高笑いするマオ。その外見は当然、昨日の浴衣のままではない。
装飾過多──ボタンや勲章らしきものが、明らかに不要な程の量取り付けられた、いかにも貴族が着そうな服だ。更に赤いマントも羽織っており、少女の外見ながらたしかな威厳を示している。
エルゼターニアは知る由もないが、これがマオの──『魔王』マオの正装である。
くるりと一回転すれば、エメラルドグリーンの長髪が美しく舞い、赤いマントとのコントラストを見せ付ける。
思わず見とれるエルゼターニアに、彼女は笑う。
「似合うかね? 15年間ずっと変わらないマオさんファッションさ」
「え……それしか服ないんすか!?」
「そっち!? いやまあ、つい最近までこれしかなかったけど! 今は違うぞ、色々と買い込んでる!」
「つ、つい最近までは一張羅だったんすね……」
戦慄して呻く。いくらなんでも15年、他に着るものがなかったというのは異様に思える。
案外貧しかったのだろうか──にわかに心配の色さえ浮かべるエルゼターニア。そんな彼女に、ため息を吐いてマオは答えた。
「この服は特別製でね。星の……いや、あー特殊な素材で作られてるから非常に防御力に秀でている。ちょっと物騒めな場面なら大体、これを着ているよ」
「特別製、っすか。にしてもこれしかなかったってすごいっすね。洗濯とかどうしてたんすか」
「あ? ……行水する時に一緒にばしゃばしゃーっとね。亜人はその辺無頓着だし?」
「うはぇー……」
露骨に嫌そうな反応をしかけて、しかしどうにかそれを抑えようとした──そんな雰囲気の漂う吐息。
昔ならいざ知らず、人間社会の文化文明に染まってきているマオとしてもその気持ちがよく分かる。ゆえに、彼女も曖昧な誤魔化し笑いを浮かべてこほんと話を切り替えた。
「と、ところで……馬車はまだかな? っていうか例の小屋までどのくらいかかるんだ?」
「さ、さあ? 山の麓っていうからには、それなりに距離があると思うんすけど……」
今回の目的地への距離を問う。遠く眺めれば山が見えるのだが、あの麓まで行くとなるとそこそこ時間がかかるのではないかと推測する。
そんな二人に、2台の馬車を走らせて保安官たちがやって来た。総勢6人、馬を止めてエルゼターニアとマオの前に立つ。
「お疲れ様です、特務執行官! お待たせいたしました、こちらの馬車で現地へ向かいます!」
「どうもお疲れ様っす。ええと、これからどのくらいかかるんすか?」
「普通ならば概ね二時間以上かかりますが……今回は駿馬を用意しておりますので、もう少し早く着くかと」
保安官の一人が答える。昨日、二人に現状報告と打ち合わせを行った男だ。
次いで隣の女保安官が告げる。
「現地には既に10名、マルケルと有翼亜人を監視している保安官たちがいます。犯人に何かあればすぐ、我々に伝達が来るかと」
「ふうん……本腰入れてるんだな、保安も」
つまりは一同が到着した時点で現場には、マオ含めて18人並ぶことになる。
それなりの人数だ。意外に思う彼女に、続けて保安官たちが説明を重ねる。
「何しろ死人まで出している放火事件です。これ以上好きにはさせまいと、近隣の町に駐在している保安部と共同で動いていますから」
「村はまだマシですが、二つある町の方はいずれもひどく、警戒心が高まっています。風評を考えれば、是が非でも今日逮捕したいところなのです」
「なるほど……だよなあ」
連日というわけではないが、三日に一度起きる放火事件。観光地がそんなことになれば風評も立たないわけがない。
温泉村よりも規模が大きく、観光地としてよりスタンダードである温泉町二つなど、特に観光産業に対してのダメージは大きいだろう。
だからこその近隣町村に駐在する保安部たちが総出で逮捕に臨んでいるのだ。
「保安もやるもんだ……王国南西部はそこら辺、冒険者に丸投げしてるから感覚がズレるんだよねえ」
「王国南西部……たしか治安維持を冒険者が担っているんすよね?」
エルゼターニアが尋ねる。王国の治安維持はその大部分を王国騎士団が担い、保安は都市内での活動に留まるのが一般的だが……王国南西部だけは毛色が異なる。
ギルドが依頼を出し、それを冒険者がこなすことで治安維持を賄っているのだ。
世界でも珍しく、戦争による影響を一切受けなかった地域。今やどこよりも平和で穏やかな気風が特長となった土地ならではの形態である。
「王国騎士団も人手が足りてないみたいで、平和な南西部だけはギルドと冒険者任せさ……最近はずいぶんと余裕が出てきたらしいがね」
「それでよく治安が安定してますね……」
「依頼に困らない土地柄、腕の立つ冒険者が集ってんのさ。えーと……『剣姫』リリーナや『疾狼』ジナを筆頭に『タイフーン』ロベカルだの、格落ちするが『破鎚』レヴィなんかもいるな」
指折り、高名らしい二つ名付きの冒険者を挙げていく。実力や名声に富んだ上級冒険者はかくのごとく異名が付けられ、世界に名を轟かせるのだ。
全員知り合いで、前二人に至っては家族でさえある面子を告げて、マオは最後に言った。
「ああそうそう、最近じゃ『焔魔豪剣』なんてのもあったか。大層な異名だがローランもまったく、サービスするもんだね」
「錚々たる顔ぶれっすね……」
「『剣姫』様までいるじゃないですか……」
「それは……王国南西部も安泰ですね」
いずれも共和国においても有名な冒険者の名がつらつらと述べられれば、エルゼターニアはじめ保安官たちも絶句せずにはいられない。
王国南西部が世界一平和な地域だと言われている所以を、改めて思い知る一同であった。