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『魔王』

 温泉をのんびりと堪能したエルゼターニアとマオが、湯屋から出てきたのがもうそろそろ夕暮れになるかといった辺りだ。

 夏に比べて日が沈むのも早くなってきた頃合い、にわかに地平が赤らむ空。未だ賑わう通りを吹き抜けた風が、湯上がりの火照った二人の身体を優しく癒すように涼ませていく。

 

「んー! 良い湯だったぁ。もうこれだけで来た甲斐あったね」

「まったくっすねえ……はふう、すごい気持ち良かったっすー」

 

 熱気を排出するかのような、深い呼吸。すっかり解れた身体をいくらか伸ばしつつ、宿へと向かい二人は歩きだした。

 

「夕飯までにまだ時間あるし、どうしようかな……別の湯でも入るか?」

「いえ、それは止めときます。明日のことを考えると、あんまり濡れたり乾いたりを繰り返すのは体調崩しそうなんで」

「真面目だねえ。じゃあ適当に店でもぶらつくか」

「そうしますかー」

 

 ふらりふらりと店を見ていく。何しろ観光地だ、土産物屋から食事処から色々と退屈しのぎに困ることはない。

 軽くお互いのことなど話しながら、エルゼターニアとマオは一時の観光を満喫していた。

 

「え、マオさんって『豊穣王』とも知り合いなんすか!?」

「まーね。私のパートナーなんか無二の親友だよ。そういうコネもあり、この『特級王国賓客待遇証明書』を作ってもらったわけさ」

「すごーい! え、『豊穣王』ってすっごい美少年って噂なんすけど、本当だったり!?」

「おう、本当本当。ありゃもうほとんど美少女だぜ? 世の女どもが見惚れるを通り越して落ち込むレベルだ」

 

 たとえば土産物屋にて、マオの思わぬ人間関係について話が盛り上がったり。

 

「へえ……君、長女なんだね」

「はい。弟が三人に妹が五人。大家族っすよね!」

「お盛んだったんだねご両親……年は?」

「一番上がまだ12で、一番下の子は今年生まれたばかりっす。いやーうちの家がそこそこ裕福じゃなかったら、こんなの立ち行かないっすね」

「だろうねえ……ま、賑やかそうで何より」

 

 たとえば喫茶店にて、ちょっと小腹満たしにケーキなど食べる最中、エルゼターニアの家族関係について話をしたり。

 

「連邦は謎の失踪事件が多発って新聞にも載ってました。どこも物騒っすねえ」

「帝国も反『英雄皇帝』派が反亜人派と合流して何ぞ企んでるそうだ。権力者も大変だな」

「そんな中、やっぱり王国の安定感はすごいっす。治安もほぼ平定したんすよね」

「そこはさすがの王国騎士団。ゴリラ1号……もといフィオティナ、『世界最強の人間』率いる超武闘派集団は伊達じゃないのさ」

 

 たとえばいよいよ日も暮れてきて、宿に戻る道すがら。未だ混沌たる世界情勢について語り合ったり。

 そのように二人、とりとめもなく言葉を交わしていく。元よりどちらも他者とのコミュニケーションに積極的な質だ、気が合えば特に延々と話し続けるのも当然だった。

 

 と、そうこうしている内に宿に到着した。中に入ればバイキングは既に始まっているのか、にわかに活気付いた気配と食欲をそそるうまみの匂いが食堂から漂う。

 

「お、もうやってるか。どうするエル、今から食いにいくか」

「そうっすね、お腹も空いてますし。あ、タオルだけフロントで交換してもらいましょうか」

「だな」

 

 ことここに至り、マオはエルゼターニアをエルと呼ぶようになっていた。名が些か長いというのもあるが、何より気に入った者に対しての親愛の証である。

 エルゼターニアもすっかりマオと意気投合しているので、愛称で呼ばれることに何ら異論はない。

 つまり二人は友人となったのだ。人間も亜人もなく、ただ互いに信を置ける者として認めあったわけである。

 

「バイキングってどんなのがあるんすか?」

「肉に魚に野菜にデザート、選り取りみどりだよ。野菜が特に美味しくて好印象だったなあ。サラダまで美味いバイキングって、何か珍しい気がする」

「へえ……じゃあサラダからチャレンジしてみます」

 

 打ち解けた様子で笑い合う。マオとしてもエルゼターニアにしても、まさか偶然立ち寄った土地でこのような友を得るなど思いもよらないことで、だから余計に楽しみがある。

 どこかウキウキとしながら二人、タオルを交換したその足でバイキングへと向かうのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方その頃──温泉村から離れたところにある、山の麓。質素な木組みの小屋の中。

 青年マルケルは椅子に座り、酒を飲んでいた。

 

「はあ……次はいつだったか」

「明日です、マルケル」

 

 問いに答える声。テーブルの上、ランプの灯火に照らされた明かりの中、浮かぶ影は二つ。

 椅子に座る彼の傍ら、無表情に立つ有翼亜人がいた。黄金の髪の、美しい女。

 マルケルは更に続けて言う。

 

「明日かぁ……明日、今度はどこ燃やすんだ?」

「そろそろこの辺を発つことになります……どこでも構いません」

「へ、へへ。良いね、良いねえ。『眼』が疼いてきた、へへへ」

 

 左目の瞼を閉じ、上から優しく撫でる。その仕草と共にマルケルの顔に浮かぶ、邪悪な笑み。

 それを横目で眺め、女はぼそりと呟く。

 

「……やはり、この『眼』は恐ろしいですね。トリエント……我々もそろそろ、撤退すべきかもしれません」

「何ぶつくさ言ってんだぁ、『天使』サマよぉ!」

「いえ、何でも」

 

 『天使』……そう呼ばれた女は静かに答え、男を見た。ボサボサの髪、うろんな目付き、不潔な身体にボロボロの服。

 そして──左右で異なる色の瞳。『奇跡を宿した瞳』。それを邪悪に用いるこの男、用いさせるこの、己。

 

 葛藤と罪悪感に瞳を閉じつつ、女は告げる。

 

「……あなたはいつも通り、好きなようにその『眼』を使ってください。私はそのデータを取り、そしてあなたを護る」

「おう、頼むぜ……へへ、へへへ。どーこ燃やすかなぁ、今度はぁ」

 

 邪悪な企み。放火を何よりもの娯楽とする男の醜悪さに、思わず顔を背けたくなりながらもそれを意思の力で抑える。

 そんな資格は己にはない……そう自覚しているからだ。

 

 邪悪に荷担しているのは、果たしてどちらなのか──そんなことを考えながらも、美貌の女は無表情に男を見詰め続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふはー、美味しかったっすー!」

「いや君、めっちゃ食べたな……私の倍以上食べてたろ、隣のおっさんがドン引きしてたぞ」

「あはは、体力勝負の仕事っすから!」

「それだけで済む量じゃ……いや、もういい」

 

 ぽんぽんと、腹を叩く。膨らんだそれが小気味良い音を立てるのを、マオは絶句しつつ見た。

 エルゼターニアだ……バイキングにて、成人男性でも難儀するだろう量の食事を平然と平らげていた。満足げな笑みを浮かべて宿のロビーは休憩スペースにてマオと向かい合い、ソファに座っている。

 

「やー、あんまり美味しいから、危うく食べ過ぎるとこだったっす! さすがに明日に障るからと抑えたっすけど、仕事が終わったらお腹いっぱい食べたいっすねー!」

「嘘だろ……見てるだけでこっちが腹一杯になったんだぞ。『彼』が見てたらたぶん、コーヒー一杯とかで済ませてたな、間違いなく」

「その人こそちょっと、嘘みたいな話なんすけど……」

 

 互いに互いの──エルゼターニアはマオのパートナーの──胃袋事情に呆れつつ、二人はソファに身を委ねた。

 この半日を食事を楽しみ、温泉を楽しみ、そして新たなる友情の縁を楽しむことで大きな満足を得られた。それゆえの清々しい疲労感が少女たちを包んでいた。

 

 となれば当然ながら、若干でも瞼が重くなってくる。こうなれば潮時かなと、マオはエルゼターニアに呼び掛けた。

 

「そろそろ部屋に戻るかぁ……眠たくなってきた」

「そっすねぇ。何かもう、ベッドに入った途端にぐっすりできそうっす」

「私もだよ。さて、そんじゃ行こうかエル。部屋まで送るよ」

「ありがとうございますー」

 

 互いに重たい瞼をこじ開けつつ、並んで部屋に向かう。

 宿は三階建てで、エルゼターニアの部屋は二階、マオの部屋は三階にある。必然的にエルゼターニアの部屋の方がここからでは近く、マオがエルゼターニアを送る形となっていた。

 

 階段を昇る。長い廊下をしばらく歩いた先にある、エルゼターニアの部屋。

 まだ消灯にはいくらか時間もあるが、気分はすっかり就寝直前だ……最後に二人、挨拶を交わす。

 

「今日はありがとうございました、マオさん……すっごく、楽しかったっす」

「こちらこそ楽しかったよ、エル。おやすみ、ゆっくり寝るんだよ? 明日、万全の体調で仕事に臨めるようにね」

「はい、おやすみなさい……」

 

 そしてエルゼターニアは部屋へと入っていった。しっかりと掛けられる鍵の音を確認して、マオもその場を後にする。

 思わぬ特務執行官との出会い、そして交流。それらを振り返ってぽつりとマオは呟いた。

 

「……私の正体を知ったら、エルもきっと、友人ではいられないんだろうね。ま、仕方ないか」

 

 どこか諦念を孕んだその声音。しかしそれも当たり前だろう。

 マオの正体とはまさしく、エルゼターニアを今の苦境に追いやった元凶中の元凶なのだから。

 

 ──『魔王』マオ。

 かつて戦争を引き起こした意思を持つ大災害にして、人間の間引きを以て文明のバランスを調整する役割を担う、星の最上位端末機構。

 戦争にて死んだかと思われていたその大災厄はしかし、かろうじて生き延びていた。

 

 そして今では森の館の主たる『彼』……『勇者』の元に身を寄せ、悠々自適に暮らしているのだ。

 

「彼がいて、森の館があって、そこの連中とも家族同然で……それだけ恵まれてるんだ、さすがにそれ以上は望めないわなあ」

 

 頭を掻いて笑う。少しばかりセンチメンタルな気分でいる自分を新鮮に思いながら、彼女は思考を切り替えた。

 すなわち明日のこと、特務執行官エルゼターニアの実力と電磁兵装ルヴァルクレークの性能の観察についてだ。

 

「どこまで性能を拝めるやら……しょぼい犯罪絡みだし、しょぼい亜人かなあ。せめてルヴァルクレークが魔剣よろしく『魔法』を流用してるかしてないかくらいは知りたいが」

 

 魔王にのみ使用できる、魔法──星の無限エネルギーを望む形で顕現させ、様々な事象を引き起こす万能能力。

 それを不正な形で流用して製造されたのが魔剣であり、『魔剣騒動』の切欠となっていた。

 

 ルヴァルクレークという、魔剣に酷似した性質の武器がもしも同様に魔法を用いているのならば……どうするべきか、そこを考えなくてはならない。

 

「今、エルからルヴァルクレークを取り上げたら……共和国ヤバいよね、間違いなく」

 

 そこは確信があった。エルゼターニア一人で亜人犯罪を取り締まっている現状、そのエルゼターニアを無力化してしまうと、共和国はしばらくの間テロに対してほぼ無防備になってしまう。

 さしものマオとてそのようなことになるのは避けたい。魔王とて、別段人間が嫌いだったり憎いわけではないのだ。

 

「まあ、とりあえずは明日かな。ルヴァルクレークの正体をある程度だけでも掴まんことには判断ができないし」

 

 結局のところ行き着いた結論は先伸ばしに近いが、それでもここで延々悩むよりかはいくらか建設的だ。

 

 そう考えてマオも部屋へと戻っていく。

 明日は早い……エルゼターニアが快眠できていることを祈りつつ、彼女もまた、明日を迎えようとしていた。

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