八 酔い語り
「でも、俺があそこから落ちなければ良かったんです。あんな所に行かなければ」
浩太が言うと創元が空のコップに水を注ぎ氷を入れ浩太に向かって差し出した。
「お水をどうぞ。お酒の合間に飲むと深酔いを防げるし体にも良いのよ。生きてれば色々あるわ。誰だって失敗や間違いを犯してしまうものよ」
浩太は創元の言葉を聞きながら水と氷の入ったコップを受け取った。
「そうかも知れないですけど、こんな風に創元さんや竜子ちゃんや、母さんも、皆を巻き込んでます。最低です。俺」
浩太はコップの中の水を梅酒を飲んでいる時のようにちびりっと舐めた。
「もう浩太ちゃんったら気にし過ぎ。そんな事ないんだから良いのよ。それより、お水どう? 普段よりもおいしい気がしない?」
創元が優しい声で労わるように言った。
「すいません。俺、創元さんに気を使わせちゃってますね。水は、はい。確かに、なんかおいしい気がします」
浩太は本当においしい気がするけどなんでだろうと思いながらコップの中の水を一気に飲み干した。
「体の中でアルコールを分解するのに水分を使ってるの。だから喉が渇いてるの。それで水が普段よりもおいしく感じられるのよ」
創元がそう言ってから浩太の持っている氷だけになったコップに向かって手を伸ばした。
「創元さんはお酒の事に詳しいんですね」
浩太は言いながら創元にコップを渡した。
「一生懸命勉強したのよ。あたくし、こう見えても侍だから。剣の修行ばかりしててね。なんにも知らなかったの」
創元が言ってからコップに水を注ぐと水で満たされたコップを浩太に向かって差し出した。
「勉強ですか?」
浩太はコップを受け取りながら聞いた。
「そう。居酒屋をやるって事になってからね」
創元がそう言うとどこか遠くを見るような目を竜子に向けた。
「そういえば居酒屋ってなんでなんですか?」
浩太が聞くと創元がにこっと笑った。
「そう思うわよね。あたくしも最初はそう思ったわ。けど、ちゃんとした理由があるのよ。宴の説明の時に言ったでしょ。お酒を飲んだ浩太ちゃんから力をもらうって。あれって、さっきみたいに契約をしてなくっても少しずつならただ傍で人がお酒を飲んでるだけでももらえるの。昔ね。竜と人とは一緒に暮らしてたの。けど、時代を経るにつれて人と竜とは一緒には暮せなくなっていったの。竜の強さを利用する事を人が覚えてしまったから。それで天竜ちゃんは人の住む世界とは違う竜の世界を作ってそこに自分達竜の一族を閉じ込める事にした。でもね。人からもらう力が竜達には必要だったの。ほんの少しずつでも良いから人がお酒を飲んだ時に精神が発する力がね」
創元がそこで言葉を切ると焼酎の水割りを一口飲んだ。
「人なら創元さんがいるじゃないですか。それに竜っていつからいるんですか? 人がいないと駄目って事は人より後に生まれたって事ですか?」
浩太の言葉を聞いた創元が嬉しそうに微笑んだ。
「自分達の事を人に語るのはいつぶりかしらね。こういうのって懐かしい気がするわ。あたくしはもう竜の眷属だから人じゃないのよ。こう見えても竜子と一緒に何百年も生きてるんだから。テイカ―って呼んでてね。竜と繋がってる者なの。浩太ちゃんよりももっとえぐい竜子のお肉を食べるっていう方法で契約するのよ」
創元が言い終え微笑みを消すと浩太の顔をじっと見つめて来た。
「何百年? 創元さんって凄いおじいちゃんだったんすね。あ。ごめんなさい」
浩太は思った事をそのまま口にしてから、また変な事を言ってしまったと思い慌てて謝った。
「そうね。凄いおじいちゃんなのよって。あら。そこなの。竜子のお肉を食べたってところには反応しないのね」
創元が不思議そうな顔をしながら言った。
「自分だったら無理ですよ。でも創元さんならなんか我慢して食べそう。あ。また。ごめんなさい」
浩太の言葉を聞いた創元が笑い声を上げた。
「もう浩太ちゃんったら酷いわね。えっと、それで、話を戻すわね。人より後に竜が生まれたっていうのは違うわよ。竜は人よりも前からいたわ。けど、人と出会う事で変わってしまったの。人に依存するようになった。人の精神が発する力の事もそうだし、テイカ―もそう。竜は竜を殺す事ができないの。戦って瀕死の状態までは追い込む事はできるけどとどめは刺せない。でも、人はできたのよ。人は竜を殺す事ができたの。だから竜達はテイカ―を必要としたの。自分達の仲間を殺す為に竜の命を獲る者テイカ―をね」
「なんで殺すんですか? 宴の為ですか?」
創元が言葉を切ったので浩太が聞くと創元が小さく頭を振った。
「宴の為じゃないわ。宴で殺すのは天竜ちゃんがやるの。天竜ちゃんだけは竜だけど竜を殺す事がきるのよ。さっき竜の強さを人が利用する事を覚えたって言ったでしょ。何度も何度も戦争があったわ。竜達はその度に人に頼まれ力を貸した。片方の陣営だけの味方ができれば良かったんだけどね。そうもいかなかったのよ。だって、敵味方に分かれる前に竜達と仲良くなった人達がいて、その人達が敵味方に分かれて戦い始めて殺されるかも知れないから助けて欲しいって言って来たら片方だけの味方をするってわけにはいかないでしょ。戦いを止められれば良かったんだけど、竜の力をもってしても人間同士の戦いを止める事はできなかったわ。そうして竜達は人の為に竜同士で戦うようになったの」
創元が言い終えると冷奴のひとかけらを箸で摘まみ口に運んだ。
「何も殺すまでやらなくっても良いと思うんですけど、でも、戦争ですもんね。きっとそんな事言ってられなかったんでしょうね」
浩太は自分の心の中に生まれた戦争や戦いに対する思いを心の奥深くに押し流そうとするかのようにコップの中の水を一気に飲み干した。
「そう。戦争は人を変えるわ。どんな残酷な事でもやってしまえるようになるほどにね。そしてそんな戦争に加わった竜達も人に協力する為に残酷な決断をする必要に迫られたの。色々あったわ。本当に色々ね」
創元がしみじみとそう言った。
「創元さんも戦ったんですか?」
浩太は水がなくなり氷だけになったコップを座卓の上の置くと梅酒の入ったコップを手に取りながら聞いた。
「あら。気が付かなくってごめんなさいね。お水もっと飲む?」
創元が浩太の持つ梅酒の入ったコップを見ながら言った。
「酔ってたのも大丈夫になって来たみたいだし、またちょっと飲みたくなって来たからこっちで良いです」
浩太は言ってからちびりっと梅酒を舐めた。
「じゃあ話に戻るわね。あたくしも戦場で戦ったわ。そうそう。そういえば竜子と初めて出会ったのもテイカ―になる契約をしたのも戦闘の最中だったわね。あの子、テイカ―なしでぽつんと一人で戦場で戦っててね。あたくしから先に話し掛けたんだけど、その時はすげなくほっとけなのじゃって言われたの。だけど、あの子、その後、ずっとあたくしの事気にかけててくれてたみたいでね。あたくしが敵にやられた時にすぐに駆け付けて来てくれたの。普通なら死んでしまうほどの手傷を負ってたんだけど、竜子が助けてくれたのよ。あの子自分で自分の体を傷付けてね。自分のお肉をあたくしに食べさせたの。竜と契約してテイカ―になった人間は契約を交わした竜が死なない限り死ななくなる。契約を交わした竜が生きてる限りは不老不死になるの」
創元が口を閉じると竜子の方に顔を向けた。浩太も竜子の方に顔を向けた。
「想像できません。竜子ちゃんがそんな事するなんて」
浩太が言うと創元が小さな声で笑った。
「この子の事を良く知らなければそう思うのも当然だと思うわ。優しくて強くて情熱的で。でも、どこか飄々としてて。不思議な子よ」
創元が言ってから焼酎の水割りを一口飲んだ。
「でも今は駄目駄目なんですよね? 無気力になってとかなんとか言ってじゃないですか」
浩太の言葉を聞いた創元が今度は大きな声で笑った。
「竜達とあたくし達がこの天竜ちゃんの作った世界に引きこもって長い時間が経って竜子も変わってしまったわ。この子こんな風だけど本当は人が大好きなのよ。だから昔みたいに人と一緒に暮らしたいって天竜ちゃんを説得し続けてたんだけどね。ある事があってからその事に関して何も言わなくなってしまったわ」
浩太は話している創元の目をじっと見た。創元が浩太の目を見つめ返して来た。
「ある事なんて言い方は駄目ね。そんな言い方したら気になるものね。浩太ちゃんみたいにこの世界に迷い込んで来ちゃう人ってのがたまに、本当にたまにいてね。天竜ちゃんが浩太ちゃんの事でここに来た時みたいにその人の所に一人で行ってずっとこの世界にいるように説得したり、本人が望めば、その人の命を絶ったりっていう手段でなんとかするんだけどその事で今回のあたくしと天竜ちゃんみたいに竜子と天竜ちゃんがぶつかった事があったの。今の浩太ちゃんみたいにあたくし達と直接の関わり合いがない場合だと天竜ちゃんがうまく隠すから人がこっちの世界に迷い込んでもあたくし達と迷い込んだ人との接点なんてまずないんだけどね。その時はタイミングが悪かったのね。竜子が天竜ちゃんが見知らぬ人といる所を見ちゃったのよ。それでその人が迷い込んだ人だって事を知ってしまってね。竜子が知ってしまったからには放っておけないって言い出して。その人を人の世界に帰す為なら自分は死んでも構わないから宴を開催しろって天竜ちゃんに詰め寄ったのよ。でも、天竜ちゃんは一歩も譲らなかった。その人の処遇は天竜ちゃんが自分一人だけで自分の家で自分と死ぬまで一緒に暮らすって決めてしまって、竜子の意見を突っ撥ねた後はあたくし達にその人を一切会わせず、どうなったのかも絶対に教えてくれなかったわ。それからよ。竜子は人と一緒に暮らすっていう事に関して何も言わなくなったわ」
創元が小さな溜息をついて口を閉ざし浩太の目から視線を外した。そんな事があったんだ。竜子ちゃんが今の創元さんと同じ事を昔してたなんて。今の竜子ちゃんからは想像できないなと浩太は思いそれを口にしようとしたが、小さな溜息をつき黙り込んでしまった創元を見ていて余計な事は言わない方が良いかも知れないと思い直すと創元を元気付けようと考え別の言葉を口から出した。
「創元さん元気出して下さいよ。そんな暗い表情、創元さんには似合わないですよ」
「もう。浩太ちゃんったら。そんな風に気を使われたらあたくし惚れちゃうぞっ」
創元が嬉しそうに微笑みながらぶりっ子っぽく言い放った。
「ぶっはっっ。それは許して下さい。お願いします!!」
浩太は思いっ切り頭を下げた。
「いってえぇ」
浩太は額を座卓の天板に思いっ切りぶつけてしまった。
「もう。いやだ~。浩太ちゃんったら何してんのよ。大丈夫?」
創元が小さな子供を心配する母親のような口調で言った。
「あ~。いたたた。大丈夫ですけど思いっ切りぶつけたちゃいましたよ~。もう~」
浩太は天板にぶつけた額を手で撫でながら言った。
「浩太ちゃん。はい。これで冷やすと良いわよ」
創元がそう言うとアイスペールから氷を取り出しおしぼりに包んで浩太に向かって差し出した。
「ありがとうございます」
浩太は言いながら氷入りのおしぼりを受け取ると額に当てた。
「励ましてくれてありがとね浩太ちゃん。もうあたくしすっかり元気になったわ。宴、頑張りましょうね。絶対に勝って浩太ちゃんを家に帰すんだから」
創元が絶対に勝つという強い決意を込めて言い、焼酎の水割りの残りを一気に飲み干した。
「俺の方こそ色々ありがとうございます。俺、頑張って二人に力をたくさん伝えられるようにお酒を一生懸命飲みます」
浩太は創元の言葉にちゃんとした態度で答えようと思うと氷入りのおしぼりを座卓の上に置き正座をして創元の顔をじっと見つめてから言葉を出した。
「正座なんてしちゃって。もう。かわいいんだから。無理はしちゃ駄目よ。楽しく飲むのが一番良いんだから。楽しく飲んでこそ強い力がたくさんあたくし達に伝わるの」
創元が言い終えると氷だけになった自分のコップに焼酎と水を注ぎ新たに焼酎の水割りを作った。
「さっきからうるさいのじゃ。わしはまだ眠いのじゃ。静かにするのじゃ」
不意に竜子が顔を上げたと思うと至極不機嫌そうに言ってからまた座卓の上に突っ伏した。
「創元さん。俺達はやる気になってますけど、竜子ちゃんは大丈夫なんですかね。わしは嫌なのじゃとかいって戦ってくれなかったりしないですよね?」
浩太は今のこの竜子ちゃんを見てると昔の竜子ちゃんがさっき創元さんの言ってた通りの竜子ちゃんだったとはとても思えないと思いながら少し小さな声で言った。
「大丈夫よ。戦う時になったらちゃんと戦ってくれるわ。竜子はそういう子よ」
創元が言い終えると優しい目を竜子に向けた。
「そうですかね」
浩太は本当にそうなのかなと思いつつ言葉を返してから梅酒をちびりっと舐めた。
「あたくしには分かるの。竜子は切欠さえあれば昔みたいに生きる事に前向きになれる。
今みたいに生きてたって死んでるのと同じよ。永遠に生き続けられるからこそあたくし達には生き方が重要なの。浩太ちゃんに出会えて良かったわ。もしも天竜ちゃんに負けたとしてもあたくしも竜子も後悔はしない。もう随分と長く生きたんだもの」
言い終えた創元が幸せそうに微笑んだ。創元の顔を見ていて浩太は唐突に眠気を感じ、こんな時になんだよもう。大切な話の最中なのにと思った。
「創元さん。そんな寂しい事言わないで下さい。さっき絶対に勝つって言ったばかりじゃないですか。死んじゃ駄目です。駄目ですってば。ふぁうあー。駄目なんだから。駄目、駄目って」
言葉の途中で眠気が猛烈な勢いで牙をむき浩太は意識を失いそうになったが必死に最後まで言葉を作ろうとした。
「あらあら。浩太ちゃん。眠くなったのね?」
創元が小さな子を見守っている親のような声で言った。
「いきなり、ですね。飲むと、こんな風に、なるんだ」
浩太は眠気と戦い意識を途切れさせながらもなんとか言葉を出した。
「寝ちゃって良いのよ」
創元がうふふふと笑いながら言った。
「ふう~。もにゃもにゃもにゃ」
竜子のように座卓の上に突っ伏した浩太は創元に全然平気ですと言ったつもりだったがそれは言葉にはならずもにゃもにゃと言っただけだった。
「今日は色々あったものね。疲れてて当然よ。おやすみなさい浩太ちゃん。あとであたくしが寝室まで運んであげるから寝ちゃって大丈夫よ」
創元の言葉は聞こえてはいたがもう浩太は口を動かす事すらできなくなっていた。浩太は眠りの深淵の中に静かに落ちて行った。