エピローグ
「暑い……」
M県警のビル、捜査一課のフロア。
冷房の効いたその部屋に戻ってきた紗映子は、自分のデスクについてうなだれる。
「お、お疲れさん」
うしろから声を掛けられる。背後のデスクに座っていた原田だ。
「どう、進展は」
「原田さん」
振り向きながら紗映子は言う。
「まあ、そこそこです」
「なんだよ曖昧な返事だな」
言って、原田はからからと笑う。紗映子より4つ年上の先輩刑事だ。
「今日は相棒は一緒じゃなかったんだ」
「やめてくださいよ、それ。牧宮さんと組んだ覚えはありませんから。今日は1人で動いてたんです」
うんざりした声で紗映子は言う。それを聞いた原田はまた笑う。
あの日から――裏野ドリームランドを牧宮とともに訪れてから、3週間が経過していた。
独断捜査、担当外である紗映子の同伴、拳銃の発砲――牧宮は、そして紗映子も、厳罰を受けても仕方のないほどのことをしていた。懲戒免職もあり得るのでは、と密かに戦々恐々としていたのだが、結果はお咎めなし。2人とも、元通りに職務を遂行している。
――誰かが2人の罪を隠蔽したのだろうか。
牧宮によると、あの事件については県警の上層部でも特異な事案として扱われており――当然だろう――捜査から完全に手を引くべきだという派閥と、県内で起きた事件を理解不能のまま手放すことを嫌う派閥などに分かれているという。
2人のしたことがどちらの派閥を利することになったのかは判然としない。しかし紗映子たちを処分するには、今は間が悪い――ということなのかもしれない。いずれ処分は下されるのかもしれないが、ともかく紗映子は捜査一課に在籍することを許されている。
牧宮は、裏で相当に絞られたようではあるが。
2人にとって最大の心残りといえば、やはり日高のことである。彼女への面会は難しくなってしまった。以前のような手は使えない。
彼女はまだ増えつづけているのだろうか。死につづけているのだろうか。
あれ以来、上は2人をまとめて監視するつもりのようで、チームを組ませて事件を担当させている。
「いいコンビだと思うけどなぁ」
原田はからかうような口調で言う。
「勘弁してくださいって。あの人、雑談が通じないんですから。しんどいんですよ」
うしろで束ねた髪をほどいて、紗映子は肩を落とす。だが、言うほど牧宮を毛嫌いしているわけでもなかった。あの無愛想にも、意外と人情深い一面があったりする。だからと言って好きになるわけでもないのだが。
「バツイチかどうかも、微妙なところですしね……」
「ん、何だって?」
「いえ、なんでもありません」
言ったところで、デスクの上の電話が鳴った。内線だ。嫌な予感がしつつも紗映子は受話器を取る。案の定、電話の相手は牧宮だった。
「――え、はい? なんですか、いや、だから」
またも一方的に電話を切られた。
「はは、デートのお誘いか?」
「……だから勘弁してくださいってば。はあ」
ふらりと立ち上がり、重い足取りで紗映子は部屋を出る。まったく、こちらも暇じゃないのに。
事件は増える。紗映子たちが立ち止まろうと、うつむこうと、世間は次々に事件を量産する。警官でいられるうちは、その1つずつと向き合っていこう。紗映子は深く息を吐いて、牧宮の待つ会議室へと向かった。
・・・・・・
北原紗映子が出て行ったドアを見てから、原田は首をかしげる。
――あれはなんだったのだろう。
原田はさっき見たものを思い出している。女性に身体的特徴を指摘するのは憚られたため、あえて訊ねはしなかったが。
何かの傷跡だったのだろうか。
席に着いた北原の首筋を思い出す。
なんだったのだろうか、あの、彼女のうなじに伸びた一本の細い線は――。
(終)