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4・・・立入禁止

 裏野ドリームランドは、山中にありながら広大な駐車場を持っていた。

 車一台ないそこを突っ切り、入場ゲート付近にまで車を寄せる。途中にあった警告――『立入禁止』の表示――は無視して、車止めの鉄柵などは一旦停車して2人で解除して進んできた。


 牧宮が運転席から下りる。紗映子もそれに続く。


 満月の明かり。

 虫の音だけがする夜の森。


 そして、うち捨てられた夢の国――事件現場。


 紗映子はアスファルトの地面に立ち、巨大な入場ゲートを見やる。ゲートの上部には、マスコットである桃色のうさぎをかたどった巨大な看板。錆びて朽ちており、その笑顔も、やけに迫力があった。


「おい」


 背後から牧宮が紗映子を呼ぶ。


「北原、これを付けておけ」

「え」


 牧宮は、拳銃が収められたホルスターを手渡してくる。


「これ、私が?」

「お前の判断で使え」

「いや、でも」

「こっちもだ」


 紗映子が言うのも聞かず、牧宮はさらに大型の懐中電灯を手渡し、先に進む。不承不承、紗映子はシャツの上からホルスターを装着する。懐中電灯をかざし、前方を照らす。


 ――ひゅうと風が背後を通り過ぎた。

 人の気配がした。

 そんな気がした。


 だが振り向かなかった。

 紗映子は牧宮の背を小走りに追った。


 ■ ■ ■


 園内には、いっそううら寂しい(、、、、、)雰囲気が漂っていた。遠くにジェットコースターやメリーゴーラウンド、お城のような建物も見える。


「肝試し……」


 つい言葉が漏れる。

 なるほど、これは想像以上だ。一時期は多くの人で賑わった施設も、こうも荒廃しては不気味さしか感じない。


「たしか、ドリームランドにはいくつか噂がありましたよね」

「ああ」


 人づてに、あるいはインターネットでまことしやかに交換される噂。


 紗映子と牧宮は、それぞれ聞き及んでいる噂を交互に披露し合った。


 たとえば誰も乗っていないメリーゴーラウンドが動き出すとか、ジェットコースターで人が死んだとか、ドリームキャッスル――あの向こう見える城を模した施設――の地下には拷問部屋がある、などだ。


「ここが廃園になったのは子どもが失踪したからだ、なんて噂もありますね……今回とは逆ですけれど」


 そう、今回はいなくなるどころか増えているのだ。


「ふん」


 振り向きもせず牧宮は応える。


「案外、何もかも本当のことなのかもしれんな」

「…………」

「今回のことはあまりに常識を越えすぎている」

「幽霊、信じないんじゃなかったですっけ?」

「この目で見て、経験したことだ。自分自身まで信じられなくなったら何を信じる」

「まあ、そうですけど――」


 出来ることなら全部嘘であって欲しいとは思う。

 だがそうもいかない。


「あの、自首してきた男子学生って、今どうなってるんですか?」

「日高とは別のところに収容されている」

「……やっぱり、死んじゃう、んですか?」

「いや」


 歩きながら牧宮は言う。


「逮捕してくれ、保護してくれ、と繰り返すばかりだ。ずっと何かに怯えるようにしている」

「……じゃあ」

「ああ、増えつづけて――それだけだ」


 ――死なない?

 では、あの病院で見た日高美奈の異様はなんだというのだろう。


「現場はこっちだ」


 牧宮は大股で歩を進める。置き去りにされないよう紗映子も急ぐ。そうしながら、紗映子はなんとなく、今日の牧宮は饒舌だなと思っていた。そのほうが気が紛れて助かるし、別に雑談ではなく事件の話なのだから、当然と言えば当然の会話なのだが。


 だが、それにしても、である。


 そして事件は解決しているのだ。少なくとも人知の及ぶ範囲においては。被害者は保護され、加害者は死亡あるいは逮捕されている。事件はすべて終わっている。終わりきっている。


 なのに――牧宮は、見えない何かを追うように、夜の廃園をずんずん進んでいる。何を求めているのか。紗映子に何をさせようというのか――何を期待しているのだろうか。


「あの、事件現場って」

「ミラーハウスだ」


 牧宮はきっぱりとした口調で言う。


「被害者の日高は、そこで強姦された」

「…………」


 事件。発端となった事件。そこで何かがあったのだ。ミラーハウスにまつわる噂は……。


「『ミラーハウスから出てきたらまるで別人のようになっていた』……」

「ふん」


 牧宮はあざけるように鼻で笑う。


「別人、か――逆だろうに」

「逆?」


 それ以上牧宮は何も言わなかった。


 逆――逆とはなんだろう。

 ミラーハウスに入り、本人が出てきた……それはなんの異常でもない。


 だが、

 しかし――。


 紗映子は首を振る。何かが掴めそうで掴めない。あと少しで本質に迫れそうな気がする。人が増える理屈はまったく分からないし、自分には分かりそうもない。白衣の学者たちや、心霊の専門家にでも任せるしかないと思っている。


 だが。

 刑事である自分にとって大事なもの――いや、普段追っているもの。その糸口となるもの。この事件の――加害者の、被害者の――。


「ここだ」


 はっとして紗映子は顔をあげる。

 目の前には3階建てほどの大きさがある建物。朽ちた看板から、かろうじて英語で綴られた『ミラーハウス』の文字が読み取れた。


 懐中電灯の明かりを入口に向ける。一応、立入禁止のテープで封鎖されているが、本来の扉は損壊していて、斜めに張られたテープの間から、濃い闇が覗いている。


 ――犯行はここで行われたのだ。


 この廃墟で被害者は、友人だと思っていた女性に騙され、他の3人の男の慰みものになった。


 その光景を想起すると、腹の底で、怒りが渦を巻いた。


 人間が増えるという怪奇さに覆われて見失いそうになっていたが、本来、それこそがもっとも忌むべき事件なのである。同じ女性の身だから、というわけではない。もっと根源的なやるせなさが紗映子に怒りを覚えさせていた。


 そんな卑劣な人間は許せない――。


 そう考えると、加害者たちの顛末は天罰のようにも思える。警察官としてそのように感じることはあまり良いことではないのだろう。この法治国家において、人を裁いていいのは法だけだ。人が人を裁くことがってはならないし、ましてや神罰などを期待するのもあまりに前時代的だろう。


 しかし、そうやって冷静に考えられるのは、紗映子が刑事だからではなく、被害者と直接的なつながりがないからではないか。


 もし、紗映子が日高美奈と友人であったなら。あるいは、もっと親しい間柄――例えば家族であったなら。妹であったなら。加害者を許せるだろうか。


 そしてもし、その許されざる犯罪者が誰にも裁かれることなく生き長らえていたとしたら――。もし、牧宮の――。


「おい、さっきから何をぼやぼやしている」


 封鎖用テープの一部を除きながら、牧宮が振り向く。


「あ、はい、すみません」


 紗映子も手伝い、ミラーハウスへと足を踏み入れた。


 ■ ■ ■


 ミラーハウスは、壁面がすべて鏡で覆われた迷路である。


 その鏡面が複雑に入り組み、天井や床そして侵入者の像を映し出し、それがさらに他の鏡に反射して侵入者の視覚を惑わす迷宮となるのだ。


 紗映子は、ミラーハウスを体験するのは初めてだった。


 お化け屋敷のように、こちらを脅かそうとする仕掛けなどはないようだ。だが夜の――照明が懐中電灯2つしかないこのシチュエーションでは、それだけで十分過ぎるほどの雰囲気があった。


 ごくりと生唾を飲み込み、紗映子は迷宮を進む。


 いやに静かだ。ミラーハウスの外では、いくら静寂とはいえ、まだ虫の音などが響いていた。だがこの中ではその音すら届かない。あるのは、牧宮と自分の靴音。そして息づかい――ただそれだけだ。


 紗映子が歩くと、当然、鏡の中の紗映子も動く。手元の懐中電灯の光線はそのたびに揺れる。それも1つではなく、鏡面に写るすべての光がゆらゆらと上下や左右に動いて、視界のあちこちで目障りに動く。そして紗映子が足を止めるとぴたりと止まる。


 ――止まるはずなのだが、そのうちのひとつが、一拍遅れて止まったように感じられた。


 もちろん気のせいだ。おそらく、先を行く牧宮の光を、自分の像だと勘違いしたのだろう。そうとしか考えられない。


 錯覚だと頭では理解していても、紗映子は小さく震えた。


「せ、先輩。ちょっと待ってくださいよ……」


 牧宮は道順を覚えているのだろうか。さほど迷うでもなく、迷路を奥へ奥へと進んでいく。紗映子は勝手が分からず壁にぶつかりそうになったりして、そのたびに針路を修正せねばならなかった。



 しばらく行くと開けた場所に出た。鏡の壁面で囲まれた小さなホールだ。そこで牧宮は立ち止まった。


 迷宮はまだ道半ばらしく、道が3つに分かれている。


「ここだ」


 暗闇の中、牧宮があごでホールの中心辺りを示す。


 ここが犯行現場――。


 紗映子はホールの壁面へ懐中電灯を向ける。その壁は懐中電灯の光を反射してくる。そうすると、その光に当てられた自分の体が、胸から下の部分が鏡に映って見える。


 いくつか懐中電灯を床にでも置けば、このホールはそれなりの明るさを得るだろう。

 

 大学生の日高美奈は、本人はあくまで肝試しのつもりでここまで進んできて、男たちに組み伏せられた。


 そして残酷な犯行は、ついに本番を迎えた。どれだけ叫んでも聞きとがめる者はいない。悲痛な叫び声は、壁に反響して自分の耳に届く。男3人が相手では、あの細腕での抵抗など無意味だったろう。心を許していた同性の友人は、スマートフォンを構えてその様子を笑いながら見ている。


 混乱と恐怖、絶望と諦観の果てに顔を背けると――


 鏡だ。

 鏡がある。


 たくさんの――


 増えている。

 自分が。

 たくさんの。


「まったく、悪趣味だな……」


 牧宮が忌々しげに独りごちた。

 

 そうだ。そうなのだ。この空間は鏡で囲まれている。ならば、被害者は、そして加害者も自分たちの姿を見て取ることができるのだ。そして、それが目的であったならば――加害者たちは、強姦する自分たちの姿を見て興奮し、被害者はそのおぞましい光景をみずから目にし、絶望を色濃くする。


 それこそがこのドリームランドの、そしてこのミラーハウスを犯行現場に選んだ目的であったならば。


「……ひどい」


 と、心の底から思った。


 だが同時に、何かが噛み合ったようなひらめきが、驚きを伴って紗映子の胸をよぎった。



 何かが符合する。

 この犯行現場と、あの被害者と――そして加害者の。


 彼女たちが増えた(、、、)状況とは、なんだったろうか。一見、そこに一貫性はないように思える。


 病室で増えた日高美奈。その初めは、映像として記録には残っていない。ただ、夜であったことは間違いないようだ。


 紗映子は病室の様子を思い描く。彼女は別の病院に運ばれていたというが、それでも病室の設備などはそう変わりはないだろう。

 無機質なベッドにカーテン。枕元にはナースコールのボタンと、わずかばかりの明かりを提供する読書灯。栄養状態が良くないようだったので、点滴を受けていたかもしれない。


 夜になると明かりは落とされ、静寂が辺りを支配する。


 もし自分が彼女なら、そんな夜は恐ろしく感じるだろう。このミラーハウスで、あのような悲惨な目に遭ったあとなら、特に。そうして寝付くことができずに、体を起こすかもしれない。


 ベッドを下り、スリッパを履いて、ほんの少し、ここではないどこかへ行こうとして――。


「あ」


 窓を見るかもしれない。いや、明確な意思を持って外を窺おうとしなくても、たとえばカーテンのすき間から、窓を見ることがあるかもしれない。そしてそのとき、わずかでも室内のほうが明るければ――読書灯のほんの少しの明かりでもあれば――窓には像が映る。


 自分の姿が――顔が。


 では加害者たちはどうだっただろうか。

 軽自動車の中で増えて、自分たちの肉の圧力で押し潰された3人は。


 考えるまでもない。先ほども、紗映子自身が目にしていた通りだ。夜道を走る自動車――ふと横を見れば、窓には自分の顔が映る。


 だから――増えた?


 しかし、牧宮に見せられた例の映像はどうだったか。あのとき、日高美奈は鏡を見ていただろうか。不安定なタイムラグがあるのかもしれない。鏡を見て、しばらくしたのちに増えるということも考えられる。


 いや、そうだろうか。

 タイムラグ自体はあるのかもしれないが――何かが引っかかる。


 見ている気がする。その重要な瞬間を。目撃している。

 自分の姿を映すもの――写し取るもの。


「カメラ……」


 紗映子はつぶやいた。


 ――そうだ、目を開いたのだ。

 日高はあの映像の中で、一度こちらを睨むようにして目を剥いた。そこには何があったか。ビデオカメラのレンズだ。天井に取り付けられたそのカメラのレンズは、ほんの小さなものであったろう。距離もある。だが、間違いなく日高の姿を捉えたものがそこにはあったのだ。


 そして――増えた。


 牧宮の声がする。


「カメラだと。それがどうした」


 牧宮が懐中電灯をこちらに向ける。

 まぶしさに顔を逸らす。


「ひっ」


 壁には紗映子の姿が映し出されていた。

 まるで増えたかのように。

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